【ヘンタイ・プリズン】レビュー・評価 逆転×成長のエンターテインメント。ただし、ヘンタイは不在。

4.0
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実際に攻略した順で並んでいます。

・紅林ノアルート

第一印象の悪いルートでした。

あまりにも簡単に、脱獄という禁じ手を選んでしまうからです。

存在証明も自己表現も、あのヘンタイ性を叩き潰さんとするプリズンの中で行われるからこそ意味があると感じました。
なので、脱獄は手っ取り早いかもしれませんが、物語を面白くするようには思えなかった。

また、ノアがシンプルな姉を溺愛する妹キャラであったことも拍子抜けでした。
共通では目的の読めない怪しさ、信用ならない雰囲気をまとっていただけに、薄っぺらさを感じました。

話の中心が自己表現、ゲーム作りから完全に脱してしまっているのも不満です。


一方で印象的だったのはソフりんの言葉でした。
姉は自分と一緒にいたいはず…と、どこまでも自分本位で動くノア
自己表現だ、存在証明だとばかり言い、他者のことなど全く考えず露出を繰り返した主人公。
ソフりんの言葉は彼らの目を覚まし、大きく成長させたと思います。

性犯罪はその場だけの出来事ではなく、死ぬまで癒えないキズを負わせる行為なんだと実感させらます
主人公を応援してたので、あの言葉には横っ面を張られたような心持にさせられました。

・波多江妙花ルート

ノアルート同様、当初の目的であったゲーム作り、自己表現が完全にほっぽり出されていると感じました。

ただ組長自身はカッコいいヒロイン。
それこそはみ出し者だらけのプリズンにおいて、彼らの受け皿であろうとする姿はいっそう美しく見えます。

我妻の陰謀、その真相解明と反逆劇としては面白いのですが、胸に響くものは感じられませんでした。
主人公の組長への惚れ方が、どうにも盲目的であるのも気になります。

・千咲都ルート

個別ルートでは一番好きなルートです。

このルートだけは、当初の目的であったゲーム作りが主軸。
また、千咲都はヘンタイではありませんが、世間から排除された者…という点で、物語のテーマに沿っていると感じるからです。

千咲都自身も大変興味をひくヒロインで、魅力的です。
そもそもなぜここに?から始まり、その全容が明かされて、千咲都がどんどん立体的なキャラクターになっていきます。



牢獄にとらわれ、存在すらなきものにされていた千咲都。
しかし、自分の文章を必要だと言ってくれた主人公の言葉で、変わっていきます。
私もブログなんぞ書くものとして、彼女が言葉を紡ぐ喜びを取り戻していく様に、感動せずにはいられませんでした。

結末も良いものでした。
受け入れろ、理解しろ、なんて言わない。
でも、ここにいるんだと言葉を発し続ける。そうすれば、自分たちのことを覚えていてくれる人が現れるかもしれない。

物語の本来のテーマにも合致しており、もっとも好きな個別ルートです。

・グランド

解釈というか、理解の難しいルートでした。

本作の最大のテーマは、主人公の成長であったと思います。

かつては自己表現だとして、自分のことばかり考えて露出を繰り返した主人公。
それが樋口女史との対話を通し、また我妻の所業を見て、自身の間違いはヘンタイであったことではなく、他者を尊重できないことだったのだと知ります。

では、他者を尊重しつつも、自身の決して捨てられないヘンタイ性(主人公の場合は露出)を、どのように表現すればよいのか?

他者を尊重できないヘンタイから、尊重したうえで、かつヘンタイ性を表現する人物へ。
このようなところに、主人公の成長が描かれていたと思います。
(尊重した上での自己表現すら許さないのが水城所長)



だとするならば、主人公にとってのヘンタイ性=露出は、もっと絶対に捨てられない自己として描いてほしかった。

主人公の最大の目的は、自己を表現し、自分はここにいるんだと存在証明をすることでした。
つまり、彼にとって露出はあくまで自己表現の手段。
露出することそのものには、あまりこだわりを持っていないように見えるのです。

まず誰にも受け入れられない「露出」というヘンタイ性を持っている(はず)
でも、他者は尊重しなければいけない。
ならば、ゲームで表現する。
ありのままの自分を、いまここにいるんだと、ゲームを通して叫ぶ。
他者を尊重したうえで、自己を表現する。存在を証明する。
それはとても自由なこと。
たとえ自分が死刑になったとしても、ゲームがある限り、自由であり続ける。
なぜなら、そこには何物にも縛られない、ヘンタイである自分そのものが表現されているから。

グランドでの主人公の考えは、おおむねこのようなものであると思っています。



しかしこのような内容にするならば、やはり主人公は絶対に捨てられないヘンタイ性を持っているべきでした。
どうあがいても、露出を捨てられない人物としてほしかったです。


また集まった仲間も、何かしらの絶対に受け入れてもらえない自己=ヘンタイ性を持っていてほしかった。
千咲都はともかく、組長とノアは居場所を失ったわけですらありません。

本当の自分を、だれにも受けれいてもらえない。
そんな人物が「ここで生きている」と叫んだ時、物語が持つ力は今よりもずっと強くなったと思います。

テキストADVファンによる、テキストADVファンのための、オリジナル雑誌“風”記事。

「テキストADVマガジン」を、月に一度公開しています。

CSの新作スケジュールから面白いフリーゲーム紹介、簡易レビューまで詰め込んだ、ADV好きのための記事です。

コメント

  1. エロゲ好き より:

    この作品で語られていたのは主人公のネグレクト故の歪んだ承認欲求のため、ゲーム作りというのは実はそんなに重要では無いと思う。他人に自分を表現するという家庭でみとめられなかったことをゲームという形で初めて知っただけであり、本質は認められたいということを描いている。個別√はそれを恋愛という形で副産物的な形で解決しており、グランド√は主人公自身が成長する、大人になることで解決してると表現されている以上このレビューは少し理解が浅いのでは無いかと。あとこのレビューは主人公が露出狂になった理由などがフル無視でキャラ性ばかりであなたのレビューだとこの物語のメッセージ性が何の意味もなくなってしまう。主人公の根底にある承認欲求に着目したら、主人公の幼稚さや信念は揺らいでなどいないことがわかると思う。

    • dis-no1 より:

      コメントありがとうございます。
      なるほど、確かにそもそも自己表現の根底にあるのは承認欲求。他者から認められることだとすれば、ゲームを作ったかどうかは関係ないといえますね。
      個別ルートではヒロインからの承認で欲求が満たされ、結果ゲーム作りからは離れたけど、根底からは外れていないと。
      自分にはまず、承認欲求を満たすために露出をした…という解釈が出てきませんでいた。
      そのため、このような視点は出てきませんでした。ありがとうございます。

      ちなみに、ぜひお聞きしたいのですが、エロゲ好きさんが本作から感じたメッセージ性とは、具体的にどのようなものでしたか?
      もし可能ならば…でかまいません。非公開希望なら、そう書いていただければコメント欄には公開しません。

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