「史上最高のゲーム」を、素直に喜べなかった2つの理由 ~すべてのゲームアワードは、不公平かつ不平等だ~

ゲーム雑記
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昼休みにTwitterを眺めていたら、こんなニュースが飛び込んできました。

38年もの歴史を持つゲームアワード「ゴールデンジョイスティックアワード」の、今年の受賞作。
それが発表されたようです。
例年通り、その一年での最高のゲームを表彰するほか、今年は特別な賞が設けられていたらしい。
その名も「Ultimate Game of All Time
簡単に言えば「これまでで最も優れたゲーム」でしょうか。

なぜ今年はこんな賞があるのかと言えば、どうやら2021年は世界初の商業ゲーム「Computer Space」の誕生から50年の、節目の年であるから。

日本のゲームが世界的な快挙を達成! 『ダークソウル』が世界的に権威あるアワードで「史上最高のゲーム賞」に輝く。『マイクラ』や『スーパーマリオ64』など錚々たるメンツを抑え、この50年での「オールタイム・ベスト」に(電ファミニコゲーマー) - Yahoo!ニュース
 11月24日、イギリスで開催された世界最大級のゲームアワード「ゴールデン・ジョイスティック・アワード」にて、史上最高のゲーム作品を決める「Ultimate Game of All Time」の受賞


この記念すべき年に、50年間のうちに世に出たゲームの中で、最も優れた作品を決めようというわけですね。
そうして選ばれたのが「ダークソウル」

日本のゲームを遊び育ったゲーム好きとして、これは嬉しいニュースです。
おめでとうございます。


しかし、嬉しいと同時に、ある違和感を覚えました。
歯がゆさと言うか、納得のいかない感じというか。


このニュースを、素直に喜べない自分がいたのです。
だって思いませんか?
「ダークソウル」に負けないくらい良いゲームは、世の中にたくさんあるのに…って。

でもTwitterには、祝福の声があふれています。
それどころか、祝えないヤツは捻くれている、拗らせている!という意見すら見かけました。


どうしてこの記念すべきニュースを、自分はみんなと同じように、素直に喜べないんだろう?


考えた結果、答えに行きつきました。
喜べない最大の理由
それはこの「史上最高のゲーム」は、とても不公平で、不平等な決め方をされていたからです。

というか、世の中のすべてゲームアワードは、そもそも不公平かつ不平等が前提なんだと、気づいたんです。

全てのゲームアワードは、不公平かつ不平等である

この世に存在するどんなゲームアワードも、全て例外なく、不公平かつ不平等であると思います。

それは今回選ばれた「 Ultimate Game of All Time 」も同じです。
にも関わらず、公平かつ、平等に選んだかのように報じられたこと。
これが私の違和感の正体であろうと思います。

これは今に始まった話ではありません。
不公平かつ不平等を前提に行われるのが、ゲームアワードです。

ゲームアワードは、全て不公平かつ不平等。
そう言い切れる理由は、2点あります。

・ゲームの出来の優劣は、比べようがないから

・ゲームアワードには「機会の平等」が無いから

一つずつ、説明していきましょう。

ゲームを客観的に比べることは、絶対にできない

ゲームの出来の優劣を、客観的に比べることは、どう頑張ってもできません。
なぜなら、優劣を決める絶対的な基準が、ゲームには存在しないからです。
比べる人の主観によって、結果が変わります。
これはとても不公平です。

例をあげて話してみましょう。

ちょっと質問させてください。

あなたはスマブラとポケモン、どちらが優れたゲームであると思いますか?
誰もが納得できる理由をつけて、はっきり決めてください。



この質問に答えられる方は、なかなかいないと思います。
特に「誰もが納得できる理由」が、とても難しい。
「ここがこうだから、ポケモンの方が優れている」だとか、「ここがこうだから、スマブラの方が完成度が高い」だとか、断言できるだけの理由は、まず見つからないでしょう。

なぜならゲームには、点数のような明確に優劣を示す基準が、存在しないからです。

ポケモンにはポケモンの。
スマブラにはスマブラの良いところがあり、それを数字などで表すことができません。
そのため、どっちが上だとか下だとかを、はっきりとした理由をつけて決めることが難しいのです。

ではどのように判断するかと言えば…最後には選ぶ人の好みや考え方…主観に委ねられます。
どっちが好みか…だとか、ゲームに何を求めているか…だとかで、一人一人判断が違います。

これは、とても不公平です。

なぜ主観に委ねると、不公平なのか?
たとえ話で、解説しましょう

もう一度、質問します。

A君とB君は、国語と数学のテストの合計点で、どちらが上か競うことにしました。
その結果

・A君は、国語は100点。数学は90点でした。
・B君は、国語は90点。数学は100点でした。

2人とも、合計の点数は同じ190点です。
さてこの勝負、どちらが勝ったといえるでしょうか?

ひっかけ問題などではありませんので、安心してください。
率直に、どっちが勝ったと思うかを決めてみてください。

さて、この勝負…

当然、国語100点をとった、A君の勝ちです。

なぜなら私は、数学よりも国語の方が大切だと思うからです。

……………は?


……………。

はい、とても不公平な決め方ですね。
普通に考えれば、勝負は引き分けです。
2人とも合計点は190点なのですから、勝ち負けはありません。

であるのに、「私は数学より国語の方が大事だと思っているから」なんて理由で勝ち負けを決めつけるのは、とても不公平ですよね。
どっちが大切か…なんていうのは、審査員の主観的な意見です。
私たちは、主観的な理由で何かの優劣を決めつけることを、不公平であると感じます。

それは、「主観的な理由=その人の個人的な考え方」だからです

国語と数学、どちらが大切か…というのは、人によって考え方が違います。
人によって違う考え=主観的な考えをもとに、優劣や勝敗を審査をすると、それはとても不公平に感じます。




何かと何かの優劣を審査する時、見るべきなのは、どちらが優れているか。
どちらが良いものであるか…この点のみです。
審査員の主観…つまり好みや考え方は、そこに介入してはいけません。


なぜなら、審査員の主観を基準にしてしまうと、「どちらが優れているか」ではなく、「どちらが審査員好みであったか」までもが、審査のポイントになってしまうからです。
そうなると、優劣だけを比べたことになりません。


上記の例で言えば、A君もB君も同じ合計点を出したのに、最後には「審査員の主観」で勝負が決まっています。
純粋な能力の優劣だけを見れば引き分けなのに、審査員の主観というノイズが混ざっています。
これでは、正確に能力だけで競っているとは言えません。

大切なのは「どちらが優れているか?」です。
「審査員はどっちが好みか?」なんてものは、関係ありません。
いや関係させてはいけません
それは、審査される側の能力には関係のない部分だからです。

また、審査員の主観とは、努力で変えられない点であるのも問題です。
上記の例なら、もし私が数学好きであったら、B君の勝利となってしまいます。
これでは“運”が勝負に介入してしまっています。
そして当然、運は努力では変えられません。

では、上記の例の場合、何を見て審査するべきなのでしょうか?

もちろん、点数です。

テストの点数は、審査員の好みなど関係ありません。
本人たちの能力だけで決まります。

この点数だけを見て勝負を決めれば、正確に「テストで高い点数を取る能力」を競い合ったことになります。

例えば、フィギュアスケートや体操のような採点スポーツの世界でも、その点数のつけ方は厳密に定められています。
これもやはり、人の目…審査員の主観が介入する部分を、できるだけ少なくしようとしている証だと思います。

[基礎点]男女シングル/ジャンプ要素の基礎点
フィギュアスケート男女シングルのジャンプ要素(エレメンツ)の基礎点(ベースバリュー)一覧表。6種類のジャンプの種類と回転数により基礎点が異なる。採点表(プロトコル)に表記されるジャンプの記号(マーク)の説明や読み方も表記。


ゲームに話を戻しましょう。

ゲームの優劣もやはり、テストやフィギュアスケートのように、点数のみで決めるべきです。
審査員の主観は、混ぜるべきではありません。

さて、最初にした質問に戻りましょう。

スマブラとポケモン、どちらが優れたゲームであると言えますか?
“主観を一切入れずに”採点し、その点数だけを見て、はっきり決めてください。

スマブラとポケモンを遊んだことがない方は、好きなゲームソフト2種類ならなんでもOKです。
採点し、点数だけで優劣を審査してみてください。

………………は??


…………はい、無理です。

ゲームはテストのような、主観を廃した採点などしようがありません。
ゲームには正解…それどころか、答えるべき問題すらありません。

スマブラの良いところ、ポケモンの良いところがあり、それに点数などつけようがありません。
どうだったら何点だとか、こうだったら満点だとか、決めるための基準がありません。
だからゲームに点数はつけられない。

面白さは数字にできませんし、売り上げはゲームの良さとは関係ありません。
社会に与えた影響だとか、それこそ曖昧で、よく分からないものです。
これらに点数をつけることは、できない。

無理やりにでもグラフィックの美しさ、音楽の良さ、プレイ時間などで点数をつけることはできるかもしれません。
しかしいずれにせよ、どこにどれだけ配点するか?は、個人的な考え方を介入させざるを得ないでしょう。
レトロゲー風の表現をしたゲームが全て弾かれてしまうのも、大きな問題です。

では、世の様々なゲームアワードは、どうやってGOTYだとか、なんちゃらアワードだとかを審査し、決めているのでしょうか?

そう、不公平で曖昧で、審査される側の努力ではどうにもできない、審査員の主観で決められています。

もちろん、何もかも主観で決めているわけではないでしょう。
多数の審査員により時間をかけて協議し、できるだけ公平に、特定の誰かの好みに偏らないように、最大限の努力をしていることは間違いありません。

しかし、そこに点数のような明確な基準がない以上、最後には主観…考え方や好みが必ず影響します。
いや、むしろ影響させなければ決めようがないのです。
だって点数がつけられないのですから。
ゲームとはそもそもが、比べようがないものなんです。

だから、全てのゲームアワードは不公平なのです。

「Ultimate Game of All Time」も同様です。

汎用


明確な基準もないのに、50年分のゲームを比べることなど、できるはずがない。
比べられないものを、同じフィールドで無理やり比べている以上、そこには必ず主観…個人的な好みや立場があります。
主観が混ざる以上、それは不公平です。

「DARK SOULS」が素晴らしいゲームであるのは、間違いないと思います。
それでも、ポケモンより上だとか、マインクラフトより下だとかは、絶対に決められない。

人によって上だったり下だったりするのですから。
もし決めるとすれば、全人類一人一票の多数決くらいでしょうか。

だからこそDARK SOULSを史上最高のゲームだと判断したことに、違和感を抱いたのだと思います。
しかし、これは考えてみれば、どんなゲームアワードだってそうです。
今回は“史上最高”とことさらに範囲の広い賞であったため、余計に不公平さを感じたのかもしれません。

ゲームアワードには「機会の平等」がない

ゲームアワードは、不平等です。
なぜなら「機会の平等」が、与えられていないからです。



その1年でもっとも優れたゲームだとか、あるいはそのジャンルの名作だとか、ましてや50年のオールタイムベストだとか。

これらには全て「機会の平等」がありません。

また例をあげましょう。

ある100m走の大会に、100人の選手がエントリーしました。
この中から、自己ベストが良い順に8人選出し、彼らだけの記録を取って1位を決めました。

さて、これは平等な大会だと言えるでしょうか?

明らかに不平等です
いくら自己ベストが遅くたって、走ってもいないのに負けだと決めつけるべきではありません。
たとえ勝ち目が薄くても、100人全員に「機会の平等」を与え、1位を決めるべきです。
そうでないと1位の選手だって、本当の勝者であると言えないでしょう。

このように、その中の1位を、真に平等に決めようと思ったら、まずは該当するものを全て見る必要があります。
だって決める人が知らないだけで、もっと優れたものがあるかもしれませんし、何より不平等だだからです。

年間1位のGOTYを選ぶならば、1年の全てのゲームを遊ぶべきです。
そのジャンルの名作を選ぶならば、そのジャンルのゲームを全て遊んでから選ぶべきです。

そして当然、全て遊ぶだなんてことは不可能です。
ゆえに、ゲームアワードは、不平等です。



ゲームアワードは対象があまりに膨大であるため「機会の平等」を与えられません。
GOTYだって、1年に出た全てのゲームを遊んで決めているわけではない。
だいたいこの辺だろうという予測をつけ、その中から選出されています。
今年の1番と言うけれど、そもそも今年のゲーム全ての記録を取っているわけではないのです。

記録を取っていない選手がたくさんいるのに、なぜ1位を決められるのでしょうか。
全てのゲームに、走る機会を与えるべきではないでしょうか。



しかし、これを言い出したらきりがなく、いつまで経っても決められません。
だから、何となくだいたいで、決めるのです。

そのジャンルの名作だ!などというゲームレビューも、実は似たような不平等さを抱えています。
ジャンルの中でも特に優れている…とは、まずそのジャンルの全ての作品に触れてからでないと、判断できません。
記録を取っていない同ジャンルのゲームが数えきれないほどあるのに、なぜそれが優れているとわかるのでしょうか。
しかしこれまた切りがないので、判断する人の感覚や経験による曖昧な基準で、名作だとか傑作だとか言われます。

実は私自身も、たいへん不平等なやり方で、傑作を決めつけています。

それは「月姫 -A piece of blue glass moon-」
私はこれを傑作だとレビューしましたが、あくまで私の感覚や好み、これまでの経験からの判断です。
しかし、まだ知らないゲームが山ほどあるのに、なぜこれを傑作だと言えるのでしょう?


100人の選手の内の10人を走らせて、その中の1位を褒めているようなものです。
残り90人を走らせてみたら、そいつは案外大したことないのかもしれません。

上記の理由から、やはりUltimate Game of All Timeも不平等です。
ゲームアワード史上、もっとも不平等と言えるでしょう。



ヤフーニュースによれば、約110万本の中から選ばれたそうです。
ではUltimate Game of All Timeは、110万本すべてに「機会の平等」を与えたのでしょうか?

無論、与えられるはずがありません。
事実ヤフーニュース内でも、ゲーム雑誌などのTOP100から30本を選出し、その中から決めたと報じられています。
つまり、だいたいこの辺…という30本だけを走らせており、残りの約109万9970本は、記録を取ってすらいないのです。

ゲーム雑誌のTOP100選出や、世界中のプレイヤーの手によって、既に記録は取られている…という意見もあるかもしれません。
確かにそうです。審査員たちが110万本を遊ぶのは無理でも、世界のゲーマーたちが、それぞれのゲームを遊んでいることでしょう。
その中で優れた30本を選んでいるのだから、やはり平等ではないのか。

しかしそうだとしても、私はやはり審査員たちの手で実際に110万本に触れていなければ、平等な選出とは言えないと思います。
タイムや点数のような基準がない以上、遊んでみるまでは絶対に判断できないからです。


何だかとんでもない事態のように見えてきました。
しかし、これもやはり考えてみると、全てのゲームアワードが同じです。
GOTYだってファミ通アワードだって、Switchの名作10選だって、全て不平等です。
であるのにUltimate Game of All Timeに違和感を覚えたのは、やはり範囲が広すぎるからでしょうか。

とはいえ、不公平かつ不平等は百も承知のはず。

さて、 Ultimate Game of All Timeは不公平で不平等だ…と話をしてきました。
だからこそ、私はこのニュースを素直に喜べなかったのです。

しかし実を言えば、 Ultimate Game of All Timeを選んだゴールデンジョイスティックアワード自体、そんなことは百も承知だろうと思っています。

何せ30年以上、ゲームを一つの文化として見つめてきた歴史あるアワードです。

ゲームとゲームは、比べられないものであること。
まだ知らぬ名作が、眠っているかもしれないこと。
そんなことは全てわかっていると思うのです。

事実、ゴールデンジョイスティックアワードにはGOTYの他、「ベストビジュアルデザイン」や「ベストマルチプレイヤー」など。
多様な角度でゲームをたたえるアワードが設けられています。
これこそまさに、「ゲームを一つの基準で比べるのは不可能」と、誰よりも ゴールデンジョイスティックアワードがそう思っていることを、物語っています。

ベストビジュアルデザインは、本作でした



1年のナンバーワンだって、なかなか決められない。
なのに50年での1番なんて決められるわけがないと、誰よりもゴールデンジョイスティックアワードがわかっていたでしょう。

それでも「無理」とか「できない」で終わらせずに、力を尽くして何か一本選んでくれた。
このことを有難く思います。
個人では絶対に不可能なことですから。


私はこの初報を見たとき、なんだかモヤモヤしました。
はっきり言えば、腹立たしい気持ちすらありました。
それは上記のような不公平さ、不平等さがあるからだと、自問自答してみてわかりました。
今は考えを改めています。



この選考は、ゴールデンジョイスティックアワードとはいえ超難題だったに違いありません。
それでも選び抜いてくれて、ありがとうと言いたい。
そしておめでとうDARK SOULS。
1周しかできていないので、また遊んでみようかな。

一番なんて決められっこありません。
だってまだ知らぬ名作が、きっとどこかにあるはずですから。
だからこそ私は、今日もゲームを遊び続けます。

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