サマポケRB静久ルートはなぜこんなにも寒いのか ~そのギャルゲーは物語か、ポルノ的か~

ゲームレビュー
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「寒い…」

しかし、なぜこんなにも寒いんだろう?

数年ぶりに遊びなおしています『Summer Pockets REFLECTION BLUE』。その中の水織静久みずおり しずくルートをプレイしていた私を包んだのは、耐えがたい寒さでありました。深まる主人公と静久の関係。いよいよ迫る涙の別離。しかし、それを共に体験しているはずの私の感情は、ただ凪いでいます。幸せと悲しみを共に味わうどころか、冷えた目線で彼らを観察し、味のない情報を咀嚼している。歴史の教科書でも読んでいるかのようです。

ああ、寒い。

ここで寒い寒いと物語を閉じてしまうのは簡単だし、きっと健全と言われるのでしょう。Not for meで終わりにしても良い。しかし、それでは前進がありません。

なぜ寒いのか、なぜ面白くないのかを考えることで、逆に温かいもの(?)、良いものは何なのかが浮かび上がるでしょう。そもそもその寒さが妥当なものであるのか、単に私の見落としがあるのではないかを考える機会にもなる。

ということで今回は、私が静久ルートから感じた寒さの原因は何であるのかを考えてみました。この話はサマポケRBのみならず、ギャルゲー全体に関する話でもあります。

先に結論から述べておきます。

静久ルートは「感情移入できないから寒い」と考えています。

・『サマポケRB』のネタバレが少々あります。気にならないレベルです。
・『サマポケRB』を未プレイでも問題ありません。

そもそも、寒さの正体は何か?

まず私が言う“寒さ”とは何であるかを明らかにしておきます。

これは簡単に言うと「主人公と受け手の心情が乖離したときに感じる白け」です。

白い

キャラクターが怒っているときに同じく怒りを覚え、悲しいときは同じように悲しくなる。そうして物語に感情を移入した経験が、誰にでもあると思います。

物語で描かれるのは作り話で、当然キャラクターたちは架空の人物です。しかし製作者はその技術でもって、キャラクターと受け手の感情をシンクロさせます。そのシンクロ状態=感情移入している状態であり、このとき、物語は単なる情報の咀嚼でなく、実際の感情の動きを伴って味わう体験へと変わります。

しかし、このキャラクター×受け手の感情移入の構築に失敗してしまう作品もあります。

するとキャラと受け手の感情は乖離します。キャラクターは怒っているのに、受け手は冷めている。キャラクターは悲しくて涙を流しているのに、受け手は何も感じず真顔でいる。つまり受け手は白けています。

この白けこそ、寒さの正体だと思っています。

寒い

近い例を挙げれば、映画の感動シーンでのお涙頂戴っぷりに白けてしまい、全く泣けない…なんて経験があると思います。アレです。主人公たちは声まで上げて泣いているのに、見ているこっちは何も感じない。この時、キャラクターと受け手の感情が乖離し、受け手は白けています。

私はサマポケRBの静久ルートに、これを覚えたのです。

ちなみに、感情移入は物語に絶対に必要なものというわけではありません。最近はこれが苦手だという意見もよく見かけます。

やたらイチャつく二人に移入できない

ではなぜ私は、静久しずくルートでは感情移入できなかったのでしょうか。

その原因は、二人が恋人として仲を深めていく過程の描写が、あまりにも一足飛びであったからです。

付き合ってみない?

未プレイの方のためにも、簡単に流れと一緒に説明します。

まず主人公と静久は、互いが近い悩みを抱えていることを知ります。その後、静久は主人公に提案します。

「私たち、付き合ってみない?」

…既にガクッと来そうになりますが、この時点ではまだ白けていませんでした。

共通の悩みを抱えた二人は、付き合ってみたらきっともっと好き合える。そういう始まり方の恋愛があっていいし、むしろリアルでしょう。運命的な出来事なんてなくたって、二人は恋人同士になれるはず…。なるほど、いいじゃありませんか。

問題はこの後です。

まさかの提案から始まった二人が、愛し合うカップルへと発展するのにかかった時間は、わずか三日でありました。

こんなに早く好きになるなんて思わなかった……

「こんなに早く好きになるなんて思わなかった……」

ここでいよいよガクガクッと来ました。だって付き合い始めからここまでゲーム内時間で三日。その間、二人の距離がより近づくようなイベントや描写は特になかったのですから。多感なお年頃か。

このあと二人はイチャつき、やがて周囲の人物から祝福され、ついに疑似結婚式だのをやり始めますが、そのテンションに私は全くついていけません。二人の好き合う感情と私の感情が、完全に乖離し、白けてしまったのです。

過程をすっ飛ばすから感情移入できず、寒い

受け手は描写から心情を読み取ることでトリップし、物語を感情を伴って“体験”します。

だからこそ静久ルートのように、付き合い始めは軽くても、それが深い仲へと進展していく物語ならば、進展の過程は精緻に描写すべきです。そこを一足飛びにしてしまっては、読者が描写から二人の心情を読み取れないからです。それでは感情移入の構築に失敗し、乖離を生み、白けて寒くなります。物語を読むことが深い体験になり得ず、「こんなことがありました」という味のしない情報を咀嚼するだけの行為になります。

方法は何でもいい。白馬の王子サマよろしく運命的なイベントを用意するもよし、何気ない日常に距離を近づけるディテールを散りばめるもよし。いずれにせよ、読者が「二人は強く結びついている」と実感できるだけの描写は必要です。演出としてあえて乖離を狙っているのではない限り。

静久ルートはこのような過程をすっ飛ばし、さっさとキャラクターをイチャつかせてしまうのが問題だと感じます。

デレデレするな

更に良くないのは、静久ルートのこの後の展開が、全て「互いが強く結びついている」ということを土台にして語られる内容であることです。そもそもの結びつきに説得力がないため、進むほどに乖離の度合いは大きくなっていきます。

もちろん、人の無限の想像力を用いて、言外にある二人の心情を半ば無理矢理にでも読み取ることは可能です。しかし、それをこちらがやってしまった時点で、既に主人公と受け手の心情の乖離を証明することになるでしょう。そもそも乖離していなければ、読み取りに行く必要などないのですから。

とは言え、私の読解力が不足しているため、二人の心情を読み取れなかっただけの可能性もあります。こればかりは「それはないと思っています」と主張する他ありません。

過程をすっ飛ばしてイチャつくそれは、ポルノと同じ

静久ルートと同じように、過程をすっ飛ばしてさっさと“本番”へと入る物語媒体(?)があります。

ポルノビデオです。AVです。

ポルノには150分近い長尺の作品が多くありますが、その大半はいわゆるカラミです。一方で、二人がなぜ体を重ねる関係になったのか…という物語については、タイトルやジャケットでほぼ説明してしまい、作品内では最低限です。こうして過程をすっ飛ばして本番へと入る作りという点で、静久ルートとポルノは似ていると感じます(サマポケRBは全年齢向けのソフトであるため、カラミは一切ありませんけども)。

しかし、ポルノと静久ルートには、全く違う点があると考えています。それは「受け手に何を与えようとしているか」です。

そこを考えると、極端な話、異性愛男性向けポルノに物語は必要ないとすら言えます。男は異性の体のパーツそれだけで興奮できる生き物だからです。ポルノに求められているのは常に実用性=性的興奮を煽ることであり、だからそれを与えるために物語を軽くしカラミを増やすのは、実に合理的な作りだと感じます。

ですが、静久ルートは違うはずです。

静久ルートは物語です。それも感情移入を伴うことを前提にした物語…だと感じます。

主人公とイチャつくシーンも、最後に待つ涙の別離も、プレイヤーが主人公を通して感情ごと体験し、同じように幸福あるいは気恥ずかしさ、そして悲しみなどを一緒に味わうことを目的としている。それを与えようとしている。私にはそう見えます。

これこそがポルノと静久ルートの違いであり、過程をすっ飛ばしてはいけない理由でもあります。

イチャつきは二人がどれだけお互いを愛おしく思っているかの上に成り立ち、別離はお互いはどれだけ一緒にいたいと思っているかの上に成り立ちます。そのため、全ての始まりである二人の強い結びつきの提示は精緻に描写すべきと思います。これをいい加減にすればそれはポルノ的味わいになり、感情を伴う物語にはなり得ないと考えています。

しかし、ポルノ的イチャラブギャルゲーを否定はしません。

静久ルートには色々言いましたが、私はポルノ的に過程をすっ飛ばすギャルゲーそのものを否定はしません。

なぜなら、そもそもギャルゲーは「まどろっこしい過程をすっ飛ばして二次元美少女キャラクターとのイチャイチャを味わいたい」という需要に応えてきたジャンルだとも思うからです。

ですから、もしかしたら静久ルートがプレイヤーに与えようとしたものは「過程をすっ飛ばしたイチャラブ」である可能性もあります。ただ仮にそうであったとしても、エンディングを涙の別離にするのならば、感情移入の構築だけは必要なステップであったと思います。

【終わりに】私は過程をすっ飛ばすギャルゲーが好きではない

ここ最近、ギャルゲーを多めに遊んでいてようやく気付いたことがあります。

私はどうも、過程をすっ飛ばしてイチャつく作品が好きでは無いようです。

この過程は私がギャルゲーにおいてもっとも重視する点であり、その後の二人がどれだけイチャつくか、ましてや何回行為に及ぶかなどは、あまり気にしていません。見たいのは二人がどのようにして強く結びつくかです。その更に奥では、物語に深い感情移入を求めています。お互いがお互いをかけがえのない存在だと思う、その心情に移入したいのです。

…ということに今更気づきました。

過程を重視する作品の例

私自身がこのような性質を自覚せずにいましたが、サマポケRBを再プレイすることで気づくことができました。思えば私が好きになる作品、あるいは個別ルートは、その多くがヒロインと主人公の結びつきを十分な描写でもって伝えるタイトルばかりでした。

ちなみにですが、サマポケRBには過程をすっ飛ばす個別ルートと、その真逆に過程をだけを描き、恋人になる瞬間をエンドとするルートが混在しています。前者のようなルートを好まない人でも遊ぶ価値のある作品だということを、最後に書き添えておきます。

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