『未解決事件は終わらせないといけないから』を「動画映え」の視点で考える。

ADV(ノベル)
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テキストADVやビジュアルノベルは、動画文化と調和できないのか?

「動画映えするか?」という点は、今やそのビデオゲーム単体はもちろん、ジャンルそのものの隆盛すら左右しうるポイントになりました。一方、全ジャンルでも特に物語を楽しむことに重きが置かれるテキストADV・ビジュアルノベルは、一般にこれと相性が悪く、動画文化を味方につけづらいと考えます。しかしジャンルそのものを盛り上げるために、動画文化を味方につけない手はないはずです。では、どのようなテキストADV・ビジュアルノベルなら「動画映え」し、この文化と共に一層ジャンルを繁栄させる可能性を持つでしょうか。その可能性を持った作品であると私が考えるのが、今回遊んだ『未解決事件は終わらせないといけないから』です。

本作が動画文化を味方につけ得るテキストADV・ビジュアルノベルの一種だと私が考える要因は、以下の2点です。

・物語の可変性
・SNSでの語りやすさ

この特徴を持ったADVが、動画文化を巻き込み、ジャンルそのものに盛り上がりをもたらすのではないか?と考えています。今回はこれについて、私の考えを書きます。

・この記事は『未解決事件は終わらせないといけないから』の内容を動画文化とジャンルの調和の視点から考えた記事であり、同作のプレイ動画投稿の是非などについては考えていません。

(この記事ではこれ以降、テキストADV・ビジュアルノベルをTADV・VNの略称で表記します)

動画を味方につけて隆盛を極めるビデオゲーム作品たち

2023年は、動画文化を味方につけて盛り上がった作品がいくつか見られました。ゲーム配信から爆発的なヒットに繋がった『スイカゲーム』や、配信にマッチする作りで広く知られフォロワーも多く生まれる『8番出口』。シリーズとファンの堅実な積み重ねを土台に、動画文化の潮流を読み切ったPRと映像作りで再びその名を轟かせた『ストリートファイター6』などがそうです。

この流れは2024年でも変わらず、動画文化によって作品を広くPRしようと睨む作品が既に出てきています。例えば『風来のシレン6』は一定の条件下であれば個人の実況/編集動画でも収益化を許可し、更に明確に「動画映え」を狙ったシステムを実装。また『鉄拳8』も、プレイする人のみならず、観る人にも爽快感も得られるような演出を盛り込んでいることが、開発スタッフの発言から明らかになっています。

上記のことからも、今やビデオゲームは遊ぶ人のみならず、見る人、動画にして見せる人を巻き込むことが、ヒット要因の一つになっていることは間違いないでしょう。もちろん、そうでなくてはダメ…というわけではありません。しかし、かつてのような反目しあった時代はとうに過ぎ去り、むしろメガヒットを引き出すトリガーとして受け入れる土壌が整っています。

一方で、TADV・VNは、この文化に乗っかりづらいと見ています。

スト6の観戦を意識した映像作り

動画文化と調和しきれないTADV・VN

TADV・VNは、物語に重きを置きながら発展、先鋭化してきた部分があります。しかし物語を重視するがゆえに一回性が高く、現代の流行に合わせて動画を公開されてしまうと売り上げが減ってしまう懸念があります。そのため多くの作品で、動画投稿可能な範囲を制限するなどしてきました。とはいえ、元々苦境であると長年言われるTADV・VNにとって、動画文化のもたらす時に莫大なPR効果を無視することはできないでしょう。動画によるPRか、投稿制限による売り上げの確保かの二点で、多くのタイトルは揺れ、結果後者を取るだろうと私は予測しています。しかしジャンル全体を盛り上げるためにも、動画を制限するのでなく、むしろ「動画映え」する作品がもっと生まれても良いのではないかと考えています。その一例だと私が考えるのが『未解決事件は終わらせないといけないから』です。

テキストADVやVNはあらゆるゲームジャンルの中でも、特に物語を重視してきました。いわゆるインタラクティブを廃し、一本の物語を見せることだけをやるタイトルも珍しくありません。もちろんインタラクティブを盛り込むタイトルも多くありますが、いずれにせよ物語にかかる比重が他ジャンルよりも強いと考えています。

そして物語とは大抵一回性がとても高いため、動画文化と相性が悪いです。ここでの一回性は「何度も繰り返し楽しめるかどうか」という意味で使っています。多くの物語において最も楽しめるのは、展開を全く知らない一回目であることは、誰もが共感するところでしょう。それゆえに物語に重きをおいたゲームは動画にされてしまうと、それを見た人の購入には繋がりづらい。一度見た物語を再び見ても楽しくないからです。ここがTADV・VNと配信文化の相性の悪さの一つだと考えます。

そのため、多くのTADV・VNは、動画投稿できる範囲に制限をかけるなどしてきました。例えば美少女ノベルゲームの移植を多数手がけるエンターグラムは、自社作品の動画投稿可能な範囲をガイドラインで狭く定めています。他にも『ヒラヒラヒヒル』や、やや古い作品になりますが『ANONYMOUS;CODE』は冒頭までに制限しています。このように、このジャンルはその一回性の高さゆえに動画文化と常に一線を引いて付き合ってきたように思います。

一方、近年ではこの制限をかけない作品も見られます。『ghostpia』などがそうです。

もちろん『ghostpia』スタッフにどのような思惑があって制限をかけなかったかは不明です。

とはいえ『スイカゲーム』などの例を見れば、もともと苦境だと言われ続けるTADV・VNが配信文化による莫大なPR効果を無視できるはずがありません。こうして動画投稿に制限をかけないタイトルがあることは不思議ではないでしょう。

よって今後生まれる多くのTADV・VNは、これまで通り動画投稿制限を設けるか、動画文化によるPR効果を狙うか、選択を迫られることになるでしょう(あるいは既にずっと迫られている)。私の単なる予測ではありますが、前者を選択するメーカーが多いのではと思います。全編配信されて買ってもらえないのでは元も子もありません。しかしこれでは動画文化を巻き込んだヒットを狙いづらく、潮流にのれずジャンル全体が先細っていく未来もあり得るのではと懸念します。

このようなことから、配信文化と調和するTADV・VN…つまり物語に重きを置きつつも、動画文化を広く受け入れる作品が必要だと考えています。もちろん、全てそういう作品になれという話ではありません。しかしジャンル全体の隆盛を考えた時、観る人、見せる人たちにとっての入口となりうる、動画文化に調和する作品が生まれることは、とても大きな意義があるのではないかと考えています。

そして正に今回遊んだ『未解決事件は終わらせないといけないから』が、それに一定程度当てはまる作品であると感じています。

そうだと言える要因は2点あります。

・物語の可変性
・SNSでの語りやすさ

なぜそう思うかを解説します。

人によってプレイが変化し、かつ語りやすい要素を持つか?

私が考える、動画文化を味方につけるのに重要な事柄。その一部は、毎プレイあるいはプレイヤーごとの内容の大きな変化と、SNSで語りやすいキャッチーな特徴ではないかと考えています。物語の可変性とは前者を、SNSでの語りやすさはそのまま後者を指しています。

物語の可変性…プレイヤーごとに、物語の受容過程が大きく変化する

動画文化を味方につける要因の一つは、プレイ内容が毎プレイあるいはプレイヤーごとに大きく変化することだと考えます。プレイ内容の変化は投稿者に動画の作りやすさをもたらすでしょう。同時に、見る者のモチベーションにも繋がります。そしてTADV・VNが重きを置く物語はこの変化に乏しい。しかし『未解決事件はおわらせないといけないから』は、その内容でこの課題を一定程度解決しています。

昨年動画の力を受け手ヒットしたゲームを見ると、毎プレイあるいはプレイヤーごとの変化が大きい作品が多いように感じられます。例えば『スイカゲーム』は毎プレイ変化するのはもちろん、腕前の巧拙によっても内容が大きく変化します。『8番出口』も同様で、結末は誰がプレイしても同様ですが、その過程はプレイヤーによって異なります。『ストリートファイター6』も同様です。

こうしたプレイ内容の変化は、まず投稿者にとっての投稿しやすさ、配信しやすさに繋がると考えます。流行ったゲームを人気投稿者が一斉に遊ぶ昨今、内容が誰が遊んでも同じだと、そこに個性を乗せたり、撮れ高を確保するのに苦労するのではと思います。内容が一緒ならいつどこでどんなリアクションを取るかは必然的に似通い、またゲーム内容的に盛り上がる部分も、誰のどの動画でも常に一緒で、つまり個性が出しづらいでしょう。ゲーム内容の変化があれば、このような問題を起こしづらくなるのではと思います。更に、変化するならば繰り返しのプレイで長く投稿ネタとして使うこともできます。

また、この変化は見る側にとってのモチベーションにも繋がるでしょう。多くの投稿者が一斉に同じゲームを遊び始めるなら、見る側も同じゲームの動画を複数の投稿者に渡って見る機会があると思います。このとき、ゲーム内容が変化していた方が見ていて楽しいのは間違いないでしょう。例えば好きなVtuberが3人いるとして、それぞれが同じゲームを遊んでいても、その展開が個々で異なれば、それだけ楽しく見られるはずです。

つまり毎プレイあるいはプレイヤーごとの内容の変化という特徴は、見る者にとっても見せる者にとっても良い、動画文化にマッチする点であると言えます。

変化するから無限に遊べる・見れるスイカゲーム

しかしTADV・VNが重視する物語は、この変化に乏しい。なぜなら物語は普通、受け手ごとに変化したりはしないからです。変化しないからこそ「一度見れば十分」とされやすく、投稿者の間で広まることも、動画を見た人が実際に購入することも少ない。そのため、このジャンルは配信文化と馴染みづらいです。

『未解決事件は終わらせないといけないから』は、物語を重視したテキストADVでありながら、物語が持つこのような一回性に一定程度の解決を見せています。

SNSでの語りやすさ…言語化しやすい特徴を持つこと

本作が持つ動画文化を味方につける要因のもう一つが、SNSでの語りやすさです。現代はゲームを遊んだ感想をSNS、あるいは動画のコメント欄などでシェアする機会が多いです。このシェアがきっかけで商品がヒットすることが当たり前です。これを促すためには、投稿者やそのファンがSNSでシェアしやすい特徴を持っていると有利でしょう。しかし、TADV・VN(が重視する物語)は、他のビデオゲーム作品と比べて感想をシェアしづらいです。『未解決事件は終わらせないといけないから』は、作品にユニークな特徴を持たせることでこれを解決していると考えます。

ビデオゲーム作品の感想をSNSでシェアするのは、今や誰もが日常的にやっていることです。noteやXを見てみれば、新旧問わずビデオゲームの感想を発信している人が多くいます。

このシェアがきっかけで、ビデオゲーム作品がヒットすることも珍しくないでしょう。リツイートなどのいわゆる拡散によって、より多くの人にその作品が広まり、それが結果的に売り上げの増加に繋がります。『スイカゲーム』などは正にこれで広まった作品の一例でしょう。

そうしてヒットに繋がるシェアを起こすためには、ビデオゲームは一定程度の「SNSでの語りやすさ」を備えた方が有利だと考えます。語りやすさとは、言語化のしやすさと表現しても良い。そしてビデオゲーム感想のシェアは大抵言語、あるいは言語を含む何かによって行われます。スクリーンショットのみで広まることはありません。そのため、SNSで広くシェアされるためには、言語化しやすい特徴を持っていた方が良いでしょう。その特徴をきっかけに多くのプレイヤーがSNSで感想を発言しやすいからです。

しかし、TADVVNが比重をかける物語というヤツは、そのような語りやすさを持ちづらいです。物語の感想を言語化してシェアするのは、ゲームシステムや演出などの感想を言語化するよりもずっと難しいからです。物語がどう、あるいはなぜ、良い/悪いを明らかにするのは容易ではありませんし、多くを語ればネタバレになってしまうでしょう。それよりも特徴的なシステムなどの方が、どこが良いだとかを言いやすい。TADV・VNはそもそもそのような部分を持たない作品も多いため、SNSで語りづらく、結果感想がシェアされる機会も他ジャンルよりも少なくなりがちな背景があるのではと思っています。

『未解決事件は終わらせないといけないから』は、物語に比重をかけつつもユニークな特徴を持っており、これがSNSでのシェアのしやすさを生み出していると考えています。

『未解決事件は終わらせないといけないから』の可変性と語りやすさについて

では本作の持つ上記つの特徴について、具体的に書きます。

手順の自由度という物語体験の可変性。

『未解決事件は終わらせないといけないから』は、バラバラの言葉を整理して物語を完成させる、パズルのような要素を持ったテキストADVです。このパズルを解く順番は一定程度プレイヤーに委ねられているため、これがプレイヤーごとに異なる物語体験を作る可変性を持っていると考えています。この可変性こそが、ゲームを遊ぶ過程にプレイヤーごとの変化をもたらします。こうして可変性を強く持たせたことで、物語に重きを置きつつも動画文化に一定程度調和するゲームになっています。

本作はキャラの証言から物語の全容を探るゲームですが、ポイントは、その証言を誰がいつ発言したのかがバラバラになった状態で提示されることです。プレイヤーはSNSのタイムラインを彷彿とさせる画面から、証言がいつ、誰によるものなのかを整理していきます(例えば『孫』というワードを使っているから祖母の発言だろう、など)。こうして整理を進めることで新たな発言が出現し、更にそれを整理するとより真相へと近づいていきます。

面白いのは、証言をどのような手順で整理していくかはプレイヤーに委ねられており、一定程度の自由度があることです。例えばある証言を整理すると、そこから新たに証言が解放されるのですが、その解放先は大抵2カ所以上あり、どれから開けるかはプレイヤーの自由です。

どの証言から解放するかは自由

そのため本作は、物語がたどり着く結末は同じですが、そこに至る過程はプレイヤーによって変化します。証言を解放していく過程はプレイヤーによって異なるでしょう。そのため、真相に至るまでの論理の道筋もそれぞれ異なります。

この可変性によって、本作はTADVながらも「動画映え」を狙うことができる作品だと感じます。例えば本作を遊ぶある投稿者の動画を見た後、別の投稿者の動画を見たとしても、考える道筋、解放する証言のルートなどは異なりますから、見る側は退屈しづらいでしょう。投稿する側も、この可変性によって他投稿者との差別化、個性を見せることがやりやすいのではと思います。

『未解決事件は終わらせないといけないから』は、この可変性により動画文化に一定程度、調和するテキストADVだと考えています。

物語を読み進める過程がパズルになっている、という語りやすさ

『未解決事件は終わらせないといけないから』は物語を受容する過程にパズルの遊びを盛り込んでいます。このパズル部分こそ、SNSで語りやすい=言語化しやすい特徴だと考えています。少なくとも物語のみの感想を言語化するより、ずっと取っつきやすいでしょう。そのため、物語に比重をかけつつもSNSでのシェアによる広いPRを狙うことができると考えています。

前述の通り、本作は証言パズルの遊びを盛り込んであります。この証言パズルの遊び自体も、遊びやすいよう配慮されており、またプレイヤーの気づきを促すように作ってある印象を受けます。ただここで語りたいのはパズル部分の出来の良し悪しではありません。

誰の発言なのかを推理し、正しく並べ替えよう

重要なのは、この証言パズルの遊びが「SNSでの語りやすさ」を持った本作の特徴であることです。証言パズルは単に遊びとして用意してあるだけでなく、それがパズルとして提示される理由も物語上で説得力をもって示されます。つまり本作はパズルとストーリーの連なりによる印象的な物語体験…という、SNSでとっさに感想をシェアしたいときに言及しやすい特徴を持っているのです。パズルを解くことで徐々に真相が見えていく様はプレイヤーに興奮をもたらし、他媒体では得難い物語体験をするでしょう。その快感を素早くシェアするとき、このパズルは「ここが良かった」と言うための取っ掛かりとしても機能します。

このような理由から『未解決事件は終わらせないといけないから』は、物語に比重をかけつつも配信文化を味方につけやすく、同時にSNSでのシェアによるヒットを狙いやすいと考えます。

終わりに:「動画映え」からのジャンルの隆盛を夢見て

断っておきますと、私は決して全てのTADVVNが「動画映え」する作りになるべきだとは思いません。ただ昨今の動画文化の盛り上がりを、ぜひこのジャンルも味方につけられないかと考えています。TADV・VNは長い間売れないと言われていますが、海外での動きまで含めて見れば消えてなくなるとは到底思えない。そして動画文化を盛り上がりを味方につければ、『428』や『シュタゲ』が生まれたような時代の活気を再び取り戻すこととて不可能ではないでしょう。

そのためにも私は、「動画映えするかどうか」という、このジャンルにこれまで求められてこなかった要素に目を向け、その評価を考えようと思っています(映えないゲームはダメと言っているわけではない)。その視点でみたとき『未解決事件は終わらせないといけないから』は単なるいち良作に留まらない魅力を持った作品だと感じました。

動画映えするゲームからジャンルが盛り上がることを夢見ており、だから『未解決事件は終わらせないといけないから』を、多くの価値ある良いゲームであったと考えています。

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