格ゲーとコミュニティ ~独学の難しさとコミュニティの強さの話~

ゲーム雑記
この記事は約8分で読めます。

コミュニティの力は偉大である。
独学で何かを成すのも大切なんだろうが、実はその「何か」は、コミュニティ…共同体の力を借りればあっという間に解決することだったりする。
それを思い知る出来事があった。

ギルティギアの新作に、ハマる。



「ギルティギア ストライヴ」という格ゲーにハマっている。

このブログでもツイッターでもあまり書いてこなかったが、私はかつて格ゲーに夢中になった時期がある。
「ギルティギア イグゼクス アクセントコア」や「メルティブラッド アクトカデンツァ」などは思い出深いタイトルで、友人たちと集まって日が暮れるまで遊んだものである。

にもかかわらず、腕前の方はそれほどでもない。



当時(15年前)の格ゲーは、今と違ってゲームセンターがその主戦場だった。
現在では格ゲーは最初に家庭用ゲーム機で発売し、その後ゲームセンターでも稼働する…という流れが当たりまえになったが、当時は真逆だった。
新作はまずゲームセンターで稼働し、人気の作品は家庭用ゲーム機に移植される。
あの頃の家庭用ゲーム機の格ゲーとは、言ってしまえばゲーセンという主戦場で猛者と渡り合うための練習の場だったのだ。

だがそれこそ「スト2」時代からの腕利きが集う(ように見える)ゲーセンは、まだ中高生だった私には敷居の高い戦場であった。
ゲーセン特有のスティック操作の壁もあり、夢中になってはいたものの、PS2版を友達と遊ぶ程度に留まっていたのだ。
そんな練習の場からついに出ることがなかった私は、弱かった。

汎用



しかし、どうやら格ゲーを愛する魂は30歳を目前に控えた今でも、私の胸の内で燻ぶっていたらしい。
あのギルティギアシリーズの最新作「ギルティギア ストライヴ」を発売日に買い、夢中になってオンライン対戦に励んでいる。
自分でもこんなにハマるとは思わなかった。

グラフィックは進化したけど、あの頃と変わらないキャラクターを見ていると、胸が熱くなる。
そして何より、顔も知らないプレイヤーと、ただ純粋にどっちが上手いかを競い合う…という遊びが、想像以上に面白い。
練習した連続技が、相手キャラクターの特性に対応した反撃が決まると、気持ちがいい。
もっと勝ちたくなる。

だが、やはり格ゲーの世界は甘くない。
昔やっていた程度の腕前では、すぐに壁にぶち当たる。
どうすれば上手くなれるんだろう…悩む日が続いた。
生来のぼっち気質である私は、こんな時に相談する勇気も、相手もいない。

自分程度ではここが限界か…そう思い始めた矢先に、革命を起こすものが私の前に現れた。

プロゲーマー「かずのこ」の、ギルティギア ストライヴ初心者に向けた戦術指南動画である。

汎用

ハマっているのに「基本」すら知らなかった

格ゲーには「起き攻め」というテクニックがある。

これは対戦相手をダウンさせ、その起き上がりに攻撃を重ねる…というもので、あらゆる格ゲーで勝敗に直結する重要な要素だ。
起き上がりを攻めるから、「起き攻め」
起き攻めが上手いと、ダウンからまたダウンへ…と繋ぎ、相手に何もさせずに勝つことも可能になる。

私もかつて格ゲーにハマった者として、この起き攻めの基礎くらいは知っていた。
そのため、ギルティギア ストライヴでもやはり起き攻めを重視してプレイしていた。

私が使用しているキャラクターは、メイ
身の丈ほどもあるバカデカい「イカリ」を武器に戦う少女で、シリーズ屈指の人気キャラクターだ。
ちなみにCVはこおろぎさとみである。

GUILTY GEAR -STRIVE- 公式サイトより引用

メイは攻めが非常に強いキャラクター。
突進する技を使って素早く距離を詰め、強烈な連携でダウンを取り、起き攻めで更に攻める…可愛らしい見た目からはイメージできないほど、攻撃的な性能である。

しかし、私はメイの肝である攻め…とくに起き攻めが、上手くできなかった。
15年前の知識を総動員してやってみるも、相手を捕らえることができない。
練習モードを使って研究してみたり、他プレイヤーの対戦動画を見てヒントを得ようとするも、なかなかコツが掴めずにいた。
対戦でも勝てず、行き詰まった。

ところがある日、そんな私とメイに革命を起こしてくれるものがあった。

プロゲーマー「かずのこ」がYouTubeにアップした「メイの実戦向けコンボ集」動画だ。

7分間でメイのコンボを多数紹介し、その使いどころや強みを解説する…という内容。
コンボとは技と技を繋げた、連続技のことだ。

中でも私が衝撃を受けたのは、動画内で一番最初で解説されている、基本中の基本であるコンボ。(見なくても大丈夫です)


なぜそんな基本中の基本とされるところに衝撃を受けたかって、それはもう、全然違ったからだ。

プロゲーマーかずのこが「基本」として、動画内で一番最初に解説しているコンボと、私が15年前の知識で判断して「基本」だろうと思って使っているコンボが、全く違う内容だったのだ。



専門的な内容になりすぎるので詳細は省くが、かずのこの「基本」は、連続技を決めたその後に着目していた。
私はそんなことは考えもしなかった。

早速かずのこの「基本」を試してみたら、これがもう抜群に使いやすい。
さすがにやや慣れは必要だが、起き攻めもやりやすくなった。
相手を手玉に取っていると感じる瞬間が、わずかではあるが増えたのだ。
この「基本」によって、自分のレベルが一段階上がったと感じた。

同時に、知ってしまった。私は今までこの「基本」すらも知らずに対戦していたのだと。
いや、正確には基本ですらないものを、基本だと思い込んでいたのだ。
かずのこの動画を見るまで、私はずっと間違った基本を信じていた。



なぜ、こんなことになったのだろう?
なぜ、私はこんな思い込みをしてしまったのだろう?

ギルティギアの新作にハマっている!と言いつつ、基本すらも理解せずにプレイしてしまっていた理由は、どこにあるんだろうか。

考えるうちに、残酷な事実にたどり着いた。
私が思い込みをしたのは、基本すら知らずにプレイを続けてしまった理由は、思ったよりずっと単純だった。

その理由は、「基本」を教えてくれる人が、誰もいなかったからだ。
それを教えてくれる人との繋がりを、全く持っていなかったからだ。

独学の難しさと、コミュニティの強さ

私が大層衝撃を受けたかずのこの「基本」
だがこれは、きっと同じキャラクターの使い手の間では、常識レベルのものだったのだろうと思う。

何せ上記の動画内では基本中の基本として、まず一番最初に解説されていることだし、実際にやってみてもそれほど難しいテクニックではなかったのだから。
決して驚愕の新事実などではないはずだ。

にもかかわらず、私はこれを知らずにいた。
同じキャラ、メイを使う者どうしでは常識とされているであろうことを、知らなかった。

しかし、無理もない話であると思いたい。
なぜなら私は、そんな「メイを使う者」たちへの繋がりを、一切持っていなかったからだ。



繰り返しになるが私は生来のぼっち気質で、暇さえあればゲームをやっているくせに「ゲーム仲間」と呼べる存在が誰一人としていない。
とは言え、普段遊んでいるいわゆる”オフゲー”では、これは特に問題にならない。
そもそも一人で遊ぶように作られているのだし、仮に何か分からないことがあっても、ネットで検索すればいい。
唯一の難点はゲームという趣味について語る場を得づらいことだが、それもこのブログにこうして吐き出すことで一応の解決は得ている。

ところが、久しぶりに触れた格ゲーには、これが通用しなかった。

なぜなら、格ゲーというのは孤独に対戦を繰り返すゲームのように見えて、実は「他プレイヤーとの繋がり」が、とても重要なジャンルだったからだ。

汎用



格ゲーのキャラクターは、一人一人が多くの技、連携、攻めテクニックや守りのパターンを持っている。
しかもそれらはプレイヤーの間で日々研究され続けており、今この瞬間にもトップ層たちによる開拓が進んでいる。

当然、その研究にかかる時間と労力は並大抵のものではない。
たった一人のプレイヤーが全てを研究し尽くすというのは不可能だ。
それゆえに、各キャラクターの使い手が、そのキャラを研究し得た知見を、同じゲームのプレイヤーたちが集まる場所…コミュニティに報告。あるいは動画としてYouTube等にアップロードし、共有する。

それから知見を得た他のプレイヤーたちが個々に実戦で試し、更に磨きをかけていく。
こうして出来上がっていくのが、そのキャラクターの知識やテクニックだ。
これらは当たり前だが、強い。
三度の飯より格ゲー好きな連中が、その変態的な頭脳を寄せ合って編み出されるのだから、弱いわけがない。

これらテクニックは、そのコミュニティに、三度の飯より格ゲー好きな連中が集まるその場所に所属する者の間では、きっと「常識」として広まっていくだろう。
まず誰かが研究したものを、報告なりアップロードなりでコミュニティに共有するところから始まるのだから、そこにいる者たちにとっては当たり前のことになっていく。



しかし、私はそんなコミュニティに所属していなかった。
いや、所属する必要すらないと、格ゲーをナメていた。
「メイを使う者」の知り合いも友達も、誰もいなかった。
他のオフゲー同様に、独学でプレイし、分からないことがあったら調べればいいと、のんきに構えていたのだ。
その結果どうなったかは、上記の通りである。

今回はたまたま、プロゲーマーかずのこがそんな「常識」をYouTubeという、ネット上の浅瀬に引き上げてくれた。
だから、私でも気づくことができた。
だが逆に考えれば、これが無ければ私は「常識」すら知ることができなかった。
それどころか、常識でないものを常識だと思い込んでいたのだから、知らなかったことよりも性質が悪い。
いずれは、いくら頑張っても勝てないとゲームをやめていた可能性すら否定できない。



お先真っ暗に見える道も、実はそうではないのかもしれない。
独学で、自分一人で考える力は大切だし、最終的にはそれで差がつくと思う。
しかし、まずは同じ立場にあり、同じことを考える者が集まるコミュニティの門を、勇気をだして叩いてみる価値があると学んだ。
自分の中で出来上がった、雑草のようにその場を動こうとしない考え方を、根っこからひっくり返すような「常識」に出会えるかもしれないのだから。

とりあえず、格ゲー仲間を募集するところから始めてみようと思う。

Amazon.co.jp
タイトルとURLをコピーしました