メイドなのにドジ…
姉なのに妹よりだらしない…
先生なのに生徒よりも小さい…
ヤンキーなのに捨て猫に優しい…
体は子供なのに頭脳は大人…
自分は以前からこう思っていた。
「キャラクターの魅力とは、すなわちギャップである」と。
もちろんこれが全てではない。けれどギャップを持たせることは、キャラに魅力を持たせるために最もよく使われる手法の一つ。…と、以前から確信していたんだけど、裏付けるものが思いつかなかったので、大きく主張せずにいた。
だけど今回、ようやく書くことにした。それはなぜか。
アダルトゲーム『巨乳ファンタジー』シリーズ他、いくつもの美少女ゲームのシナリオを手掛けた鏡 裕之の著書『鏡裕之のゲームシナリオバイブル』で、こう語られていたからだ。
「キャラクターに対するステレオタイプな最大公約数的イメージ」と「書き手が描いたキャラクターの姿」のズレのことを、ギャップという。このギャップが大きい場合、あるいはおもしろおかしい場合、キャラクターは立つ。
鏡裕之のゲームシナリオバイブル / 鏡裕之 より
どこの馬の骨とも知れん私の主張…というだけでなく、実際にシナリオを書く人がこう言っているんだから、ギャップがキャラクターの魅力を担う重要な点であることは、間違いないと考える。実際に見渡してみても、ギャップで魅力を発揮し人気を得たキャラクターは数限りない。例なんて挙げきれないくらいだ。だから直感にも反しない。
例えば『ご注文はうさぎですか?』の登場人物、ココアを見てみよう。
喫茶ラビットハウスに下宿するココアは、同じくラビットハウスに住む年下のチノに対して、頼れる姉…として振る舞おうとする。だが実際はチノの方がしっかり者で、ギャグシーンではココアがボケ、チノがツッコミであるパターンがほとんど。こうして本作は、姉と妹の最大公約数的なイメージをあえてズラし、キャラクターを立てている(普通、姉のほうが年上なぶんしっかり者)。そして立ったキャラクターに、人は魅力を感じる…と私は思う
他にも女子高生が戦車に乗る『ガールズ&パンツァー』とか、小学生が凶悪な殺人犯と対決する『名探偵コナン』とか、さえない恰好をしているのに名探偵である『金田一 耕助』とか、ギャップの力でキャラに魅力を持たせた作品は、本当に数えきれない。
当ブログがちょくちょく扱うギャルゲーにおいても、この手法は頻繁に使われる。いや、使われない作品は、存在しない。…といっても、言い過ぎではないかもしれない。
『Fate/stay night』のセイバーは作中最強クラスの実力を持っていながら、その容姿から可憐さすら漂う女性であったし、『STEINS;GATE』の牧瀬 紅莉栖は、齢17にして学術雑誌に論文が載るほどの才媛でありながら、重度の「@ちゃんねる」好きであった(某大型掲示板をモデルにした架空のサイト)。
こうして「〇〇なのに〇〇」というギャップを生み出す組み合わせは、本来はテンプレートの一部を崩す手法であるのに、もはやその崩しまで含めてテンプレートになって、今でも多くの作品に使われている。
さて最近、こうしてギャップに注目しながらキャラクターを観察していて、驚かされたことがあった。
この「〇〇なのに〇〇」というギャップ法。
これだけで終わらせず、更にもう一工夫を加えている例もあるのだと、気づいちゃったからだ。
今回はそれについて。
ギャップでキャラを魅せている好例『千恋*万花』を見る
再びギャルゲーを例に挙げて解説する。
以下はゆずソフト『千恋*万花』に登場するヒロイン、朝武 芳乃との出会いのシーンで挿入されるCGだ。
なお、これより先は同作の序盤のネタバレを含む。今後プレイする予定のある方は注意。
これはヒロインである芳乃が、神社で“舞”を奉納する姿を描いたCG。これを見て、プレイヤーであるアナタはどのようなイメージを持つだろう。
私の場合はこうだった。
・硬派っぽい
・真面目系ヒロイン
おおむね、どのプレイヤーも似たような印象を持つと思う。真剣な眼差しと荘厳さすら感じる和装からは、彼女の育ちの良さ、そして簡単に異性に心を許さない硬さを想起する。これが前述の「最大公約数的なイメージ」だ。パッと見から素直に感じる、こんな人物だろう…というイメージ。
では『千恋*万花』は、これをどう裏切って、ギャップを持たせるのだろうか?
この次の瞬間、私は思わず「なるほど」と声に出してしまいそうになった。
以下のCGを見れば、その理由がわかる。
気づかない読者もおられるかもしれない。ヒロインの頭に注目してほしい。
耳が生えている!
『千恋*万花』は、まず最初のCGで、硬派かつ潔癖なヒロインのイメージをプレイヤーに抱かせる。これは近寄り難さを感じさせるイメージでもあって、だから主人公…ひいてはプレイヤーが、芳乃と距離を感じてしまうシーンでもある。
そうして遠さを覚えさせた次の瞬間、獣耳の差分を即座に挿入し、一気に近づけるのだ。硬派かつ潔癖なイメージに、小動物のような人懐っこいをイメージを素早く付与する。途端にキャラクターが親しみやすい人物に見える。「硬派(近寄り難い)なのに獣耳(小動物的な親しみやすさ)」というギャップが成立し、魅力に繋がる。
CGと差分でギャップを効果的に演出した、その好例であると思う。
しかし、『千恋*万花』の上手さは、これに留まらない。いやむしろこの先にこそ、私がいちばん語りたい主張がある。
ではなぜ、ヒロインに獣耳が生えているのだろう?
「〇〇なのに〇〇」に「その理由」を追加し、更なるギャップを持たせる
「〇〇なのに〇〇」のギャップ法は、それ単体でも完結する。
「メイドなのにドジ」も「ヤンキーなのに捨て猫を拾う」も「ギャルなのにアニメが大好き」も、それ以上何かを加える必要はない。それだけでもキャラは立つ。
だが、そこにもう一つ加えてやることで、そのキャラクターは更なるギャップによる魅力を持ち、事と次第によっては、受け手の涙すら誘うストーリーを持つ存在になり得る。
もう一度『千恋*万花』を見てみよう。
「硬派なのに獣耳」のギャップでヒロインへ魅力を持たせた本作。これだけでは終わらない。そこからもう一歩、「ではなぜ、獣耳が生えているのか?」にまで踏み込んで、ヒロインをより印象的な存在へと変えていく。
それを知ってもらうため、本作の簡単なあらすじを解説しておく。
『千恋*万花』はファンタジー要素を盛り込んだギャルゲーだ。ヒロインらが住まう町には、大昔の出来事に端を発する“祟り”にとり憑かれており、ヒロインらはそれを鎮めるべく、日々奮闘する。
そして先ほどの耳が生えたヒロインは、その身に祟りを代々受け継いできた家系の一人娘。彼女は祟りの悪意を一身に背負っており、それと戦うことを生まれながらに運命づけらている。
では、あの獣耳は一体なんなのか?
これは大雑把に言ってしまうと、その祟りの悪意を感じた時に生えてくる…という設定である。祟りが出現すると、まるでセンサーのように獣耳が生えてくる。つまり、一見するとコミカルな属性である獣耳は、むしろ切なさの象徴で、その身に刻まれた彼女の悲しい運命そのものだったのだ。(※これは割と序盤で明らかになる話です)
つまり、プレイヤーに親しみを持たせるギャップ。それを構成していた獣耳に、本作は二重の意味を持たせていた。親しみの裏に、切なさが込められていた。あの獣耳は、二つの意味を持っていたわけだ。
繰り返しになるが「〇〇なのに〇〇」は、それだけでも構わない。冒頭に挙げた『ご注文はうさぎですか?』のココアであれば、姉(的存在)なのに妹(的存在)より、ちょっと抜けていることに、特別大きな理由は与えられていないように見える。
しかし、もしあなたが望むならば、「その理由」を追加してやることもできる。「ギャップの更なるギャップ」は、キャラクターに大きな物語や、一歩踏み込んだ独自の魅力を持たせるきっかけになり得る。
『千恋*万花』を遊び、この手法に気づいたからこそ、私は驚いたわけだ。
体は子供、頭脳は大人な『名探偵コナン』は、なぜ頭脳だけが大人なのだろう?
「小学生なのに名探偵」のギャップに「その理由」を加えたこれは、あまりに有名な設定だ。そこに『コナン』の壮大な物語の根幹があることは、アニメファンなら誰もが知っている(本作の場合、これに毛利蘭との恋愛もサブプロット的に仕込んでいるから、実に設定が巧みだと思う)
『月姫 -A piece of blue glass moon-』に登場するヒロイン『アルクェイド・ブリュンスタッド』は、なぜ殺し合いの最中、あんなにも明るく、楽しそうに街を歩くのだろう?
そこに彼女の物語がある。
例えば、アナタが作る物語に「メイドなのにドジ」なキャラクターが出てくるならば、「なぜドジなのか?」を付与してやることで、そこに切ない物語が生まれ得る。もっとも、どんな物語を付与するかでアナタのセンスが試されるわけだが…
また注意点として、この「その理由」を追加する手法は、どうも話を重たくしてしまう性質がある。
それこそ『ご注文はうさぎですか?』のキャラクターたちが持つギャップに、重々しい「その理由」なんて付与してしまうことは、明らかに作品や世界のイメージ、ファンの期待にそぐわない。やたらめったら付与すればいいわけじゃない。
切なさや儚さなど、「泣き」方面に印象付けたい場合、有効な手法だと思います。
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