逆に、なぜ私はこのブログを2年以上も続けられているのか?

雑記
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ブログを更新し続けるのは、私たちが想像している以上に難しいようです。

このブログは面白いぞ!と紹介されているのでリンクを踏んでみたら、最終更新日が1年前。そういえばあのブログ、続いているのかな?と訪問してみたら、更新がぱったり途絶えて早3ヵ月。Twitterでやたらと月間PV数や収益、ブログノウハウについて発信をしていたアカウントがある日を境に沈黙、もちろんブログも更新されず…

すっかり斜陽になったブログ界隈。こんなことは日常茶飯事でしょう。彼らを否定するつもりはこれっぽっちもありません。むしろ全力で「わかる!!」と伝えたい。ブログを書くのはぶっちゃけ月に1回でも一苦労です。なのに見返りはほぼゼロでありますから、こんなもの続けられる方がどうかしてるとすら思います。



ブログを書くことに何か実のある見返りがあるとすれば、フォロワー数増加や、広告やアフィリエイトによる収益などがそうでしょう。しかし、これらを上げるのは、はっきり言ってメチャクチャ難しい。有象無象の一般人が書くブログなど誰も興味がありませんし、収益を上げたいならブログを書く時間で内職でもした方がよっぽど効率がいい。

貴重な時間を使って書いたのに、誰も読んでくれないし、一円にもならない。
こんなもん続けるだけ損では?

これは極めて正常、真っ当な思考です。

しかし、ここで一つ疑問が浮かびます。

ではなぜ、この「日々オタ的アウトプット」は、かれこれ3年近くも更新を続けているのでしょう?

私が真っ当な思考ができない人物だから?
うーむ、それも否定しづらい…
ですが、上記の点に関して言えば、私は理解したうえでブログを更新し続けています。収益やフォロワー数にはつながらないと理解したうえで

では、その理由は何故なんでしょうか?

いっちょまえにブログノウハウを語れるような知識も経験も実績もない私です。では逆に、なぜそんな私は日曜の朝っぱらからキーボードを叩き、誰が読むともしれない文章をせっせと生産しているのだろう?

そんなところに疑問を持ったため、今回はそれについて。

このブログはどれくらい読まれているの?

謙遜する数字でもないのではっきり言いましょう。
このブログのアクセス数は開設以来、右肩上がりです。

イエーッ※画像は私ではありません

「なんだよ! やっぱり読まれてんじゃん!!誰も読んでくれないってウソかよ!!!」

と言いたくなった人もいるかもしれません。…が、しかしこの右肩上がりというのは、あまり喜ぶようなことでもないのです。
なぜならば、この世の全てのブログは、続けている限りは右肩上がりに成長していくからです。

一度書いた記事は、半永久的に客を呼ぶ

ブログを商店に例え、訪問者を客とするならば、商品は記事でしょう。

そしてこの記事という商品の特徴は、有効期限や売り切れが存在しないこと。つまり一度世に出してしまえば、永遠に棚でお客さんを呼び続けるのです。

そしてブログを続けるとは即ち記事を書き続けること。新商品を棚に追加し続けることと同義であります(この棚のスペースもほぼ無限)。例えば月に1個しか売れない商品でも、それが100個あれば売り上げも100個。1億個あれば売り上げも1億です。たとえ小さい売り上げであっても、とにかく商品を追加し続けることで、訪れるお客さんは少しずつ増えていく。だから、全てのブログは続ける限りは右肩上がりに成長していくと言えます。

月に1億人が訪問するブログとなると、もうそれだけで暮らしていけるレベルで収益を得ることも可能です。ただ記事1億本は毎日書いても30万年くらいかかるので、先祖代々受け継がれている酒蔵みたいなブログでないと難しいですが(それでも無理だろ)

俺らの時代から書き続けてれば300憶くらいになるぜ!

つまるところ、続けていればどんなブログも程度の違いはあれど右肩上がりに成長します。
だからこのブログも右肩上がりではありますが、特別読まれるブログだとは言えないわけですね。
例えば↓の画像は1つ前の記事の、公開24時間後の時点での訪問者数です。

インフルエンサーからすれば噴飯ものの数字でしょう。言っておきますと、これでも想像以上に多くの方に読んでもらえらなと思っています。

私のブログはこういう記事が多数ありますから、それらが積もり積もっているだけなのです。

このブログの収益は、ぶっちゃけどうなの?

零-zero-です。
むしろ赤字です。


…いや、3ヵ月に1度くらい、Amazonから文庫本一冊分くらいのギフト券が送られてきます。それだけです。しかもこのブログはレンタルサーバーを使って運営していますから、毎月の運営費がかかっています。ショバ代は自腹切ってるっちゅーわけじゃい。それを加味すると大赤字です。ブログを書く時間を時給換算したら、今この瞬間も私のサイフからお金がボロボロこぼれていってることになります。

更にこのブログは、収益を上げるための最も有効な手段であるweb広告を一切掲載していません。毎月1億人が訪問したらそれだけでメシ食えるぜーと言いましたが、それは広告収入がある場合の話なので、このブログには当てはまらんのです。

汎用

つまりこのブログは、稼げてないし読まれてもないのに、続いている

稼げもしない。読まれもしない。それどころかこのブログの場合は続けるだけ金がかかります。また何かを発信する以上、炎上する可能性もあります。匿名の客から罵詈雑言をぶつけられることもありますし、無料とは言え内容が誤っている不良品であれば、お叱りを受けることも当然です。

どう考えても、続けるメリットなど何一つ見当たらない。

なのに続いている。これってミステリー。

汎用


ようやく本題といきましょう。
ではなぜ、私はデメリットだらけのこのブログを続けているのでしょうか?

全ては、好きなものをより深く味わうため

「好きなものを、より深く味わうため」

私がブログを続ける理由は、これに尽きます。他にもいくつか浮かびますが、最大の理由はこれです。

私には好きなものがあります。そしてそれをより深く味わいたいと思っています。そのための最良の方法が、私にとってはブログを書くことなのです。だから赤字だろうが誰も読まなかろうが、このブログは続いています。利益も訪問者数も、私にとっては二の次三の次でしかないのです。

なぜ、味わいたいと思ったのか


まず、私の好きなものが何であるか。これはもうブログを見渡せば分かる通りビデオゲームです。他にもありますけれど、メインはずっとビデオゲームです。

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そしてどのような状態であれば、ビデオゲームを深く味わったと言えるのか。
私はこれを「遊びとしてその場の楽しさに加えて、そのビデオゲームから得られた体験を胸に刻み込んだとき」……とかまぁこんな感じだと考えています。ぶっちゃけあんまり明確に決めていません。

私はブログをやるずっと前からビデオゲームのファンでした。何せ歴だけは長いものですから、遊んできた本数はそこそこです。しかしある日突然、そうして遊んできたタイトルのほとんどが、記憶に残っていないことに気づいてしまいました。いや遊んだこと自体は覚えているのですが、ではどのような作品だった?と問われたとき、薄っぺらな言葉しか出てこない自分に、ちょっとガッカリしたのです。そのような意味で、私は遊んできたビデオゲームの大半を忘れてしまっていた。

もちろん記憶になくても、遊んでいるその瞬間が楽しければそれで十分です。しかし私は「本数をこなしている自分」に、オタクらしい気味の悪い優越感を持っていました。ゲームを一本クリアし、脳内の「プレイ済みリスト」に追加していくことそのものに…記憶の中のゲーム棚を充実させていくことに、喜びを覚えていたのです。しかしそうして加えてきたタイトルも、それがどのような作品であったのかを思い出せないのであれば、本当にただ並んでいるだけの無意味なものだと感じてしまいました。私は数をこなす一方で、それらを味わえていなかった。



では、どうすれば忘れないのだろう?
どうすれば、遊んできたタイトルをただ棚に並べるだけでなく、記憶に残すことができるのだろう?
ビデオゲームそれぞれを、より深く味わい刻みこむことができるのだろう?

そう考えてたどり着いた答えの一つが、ブログにレビューや感想文をしたためることでした。

インプットはアウトプットすると、より深くなる

ここでいうインプットとは、頭に物事を入れること。
アウトプットとは、頭から物事を出すことを指しています。

例えば読書、勉強、映画鑑賞、YouTubeを見るのもインプットです。
読書感想文を書く。試験を受ける。カラオケで歌う…これらはアウトプットです。

そしてあらゆるインプットは、アウトプットとセットにすることで、より深いものになると考えています。エビデンスとかは特に示せないのですが、これは直観的にも理解できるものだと思います。

分かりやすいのが、読書感想文や試験です。

汎用

例えば本があったとして、それをただ読んだだけの場合。
原稿用紙で5枚分の読書感想文を書いた場合。
どちらが本の内容が頭に入るでしょう?


研修があったとして、話を聞くだけで終わりの場合。
最後に理解度を確認する筆記試験がある場合。
どちらが、研修の内容が頭に入るでしょう?


いずれの場合も、そりゃまぁ後者だよねと感じる方が大半だと思います。どのようなインプットも、その後にアウトプットを組み合わせると、私たちは自然とインプットに真剣になります。何かを感じよう。大事なところをおさえようと身が入ります。自分の感情の動きに敏感になります。逆にアウトプットを伴わないと、頭の中を右から左へスーッと流れていくだけで終わる可能性がとても高い。

それをリアルに感じてもらうため、ちょっとイジワルな例え話をします。
こんな映画鑑賞会があったら…↓

今から映画を一本、見てもらいます。
視聴後、映画を見る前のアナタと、今のアナタの中で変化した部分を1つ、映画を見ていない人にも理解できるような説明を添えて挙げてもらいます。
それを一人ずつ前に出て発表してもらいます。

汎用

恐怖の映画鑑賞会です。
しかし、もしこのようなアウトプットを伴う映画鑑賞会に参加した場合、あなたはきっとスクリーンを食い入るように見つめ、そして何かを感じようとするでしょう。そのシーン、セリフ、演技で自分の心はどう動いたのか。それをどのように伝えればいいか…。脳がフル回転し、映画鑑賞というインプットが、何倍も深いものに変わるでしょう。

つまり私は、ビデオゲームを遊ぶ自分に上記のような縛りを設けているわけです。
ビデオゲームを遊ぶというインプットに、その感想やレビューを書くアウトプットを常に添えることで、作品一つ一つをより深く楽しもうとしているのです。
だからこそこのブログのタイトルは
「日々オタ的アウトプット」なのです



とは言え、このブログの全てのレビューが深いインプットからアウトプットされたものなのかと問われれば、そうでないと言わざるを得ません。その点で私もまだまだ甘く、いい加減です。
一方で、ブログをやっていなければ、アウトプットを伴っていなければ、絶対にたどり着けなかっただろうと思うほど作品を深く味わうことができたのは、一度や二度ではありません。

そのようなインプットをするために、私はブログを続けています。そこにおいて「どれだけ読まれたか」だとか「いくら儲かったか」だとか「フォロワーが今週は何人増えたか」などは関係ありません。ゆえに、このブログは読まれなくても稼げなくても続いています。私がビデオゲームを好きでいる限り、続くでしょう。

とはいえ、読まれれば嬉しいは嬉しい

何だかカッチョ良く見えなくもないことを書いてきました。
が、実際のところは読まれた方が嬉しいし、たくさん読まれたらなとも思っています。ただ一番ではないってだけなのです。ついでに言うと、開設当初は利益もガンガン上げる気でいました。何なら仕事やめてーなとすら思ってました。今も割と思っています。

例えば最近はSwitch版が発売された影響でしょう。
シロナガス島への帰還
白昼夢の青写真
のレビュー記事が伸びています。ウハウハです。一円にもなりませんが。

ただ読み返してみると、内容はNGです。今ならもっと深いインプットができると確信しています。

アウトプットを伴うインプットは、疲れるぜ

あと最後に言っておきたいことがあります。
それは「アウトプットを伴う深いインプットは、めっちゃ疲れるぜー」ってことです。楽しみたくてゲームやってるのに疲れるとか勘弁!と思うでしょう。私も、私のような一部の変な人以外、深いインプットなど考えなくていいと思っています。疲れるからです。疲れるとイヤになります。やがてゲームかアウトプットかのどっちかをやめるでしょう。大抵はアウトプットをやめます。アウトプットが面倒でゲーム自体遊ばなくなるのが最悪のパターンです。

ちなみにアウトプットを仕事にすることもできます。しかし常軌を逸したインプット量とアカデミックなもの含めた広く深い知識が必要になります。

私も、アニメや映画のアウトプットはほとんどしていません。疲れるからです。だからどんなアニメだったかとかすぐ忘れます。読書も感想を書いてはいますが、なるべく適当に書くよう意識しています。本を読むこと自体を嫌いになってしまいたくないので。あーでも最近だと涼宮ハルヒを全巻読み直したんですけど、感想とか一切書いてないのでまた忘れるんだろうな。

終わりに

私がブログを続ける理由を書いてみました。閉鎖、更新停止してしまうブログが大半の中、それでも続けている自分って意外と稀有なのでは?稀有な私の思考を書いておく意味、あるのでは?と思ったので書きました。

あなたもブログを始めよう!なんて簡単には言えません。ただアマゾンレビューでも良いので、ちょっとアウトプットを添えてみると、インプットが深くなってより変なオタクになるかもしれないぜ…

プロフィール
書いている人

日々プレイしたゲームの、忖度のないレビュー。オタクしていて思ったことを書いています。ADV、音ゲーが特に好き。

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