先日レビューを公開した「ドキドキ文芸部プラス!」
もう一つだけ、「ネタバレあり」の条件付きで、語りたいことがあります。
それは、サイドストーリーについて。
強烈な恐怖演出と、衝撃のエンディングで幕を閉じる本編からは雰囲気が一変。
サイドストーリーでは、サイコもホラーも存在しない文芸部の姿が描かれていました。
にも関わらず、このシナリオを読んだとき、目頭が熱くなりました。
「ドキドキ文芸部プラス!」は、決して忘れられない作品になると確信しました。
黒幕にしてメインヒロイン
消滅という悲しい最期を迎えた、モニカ。
サイドストーリーは、彼女自身の口でもって「拷問」とまで言ったあの世界と、そこに生きる登場人物たち、何よりもモニカとプレイヤーを、救う物語であったと感じたからです。
「日常」でも「平和」でも「和やか」でもない。
「救い」を感じました。
救う?
何から?
私がサイドストーリーから感じたこと
感想を、書き残します。
悲しい存在であった、モニカ
私にとってモニカとは、とても悲しい存在でした。
ご存じの通り、モニカは「ドキドキ文芸部!」の世界でただ一人、意思を持ち、そして第四の壁の存在に気づいてしまった人物です。
あのゲームの世界で、意思をもつのは自分一人だけであるということ。
そして、あなたの世界には何があるかを知ってしまったこと。
友達はみな誰かに設計されたロボットのようで、この狭い世界から永遠に出ることはできないこと。
牢獄のような世界にいることに気づいてしまったモニカ
彼女が味わったのは、永遠の孤独でした
そんなモニカにひとすじ差した光が、あなた。
あなたが住む世界には、一人として同じ人間はおらず、一秒として同じ時間はない。
あなたと、繋がりたい。
ゲームの中には何もないけれど、あなたさえいれば笑顔になれる。
モニカは世界を壊してまで、あなたに近付こうとします。
その願いは「そっちに行きたい」でも「こっちに来て」でもなく、ただ「一緒にいてほしい」でした。
しかし、そんなモニカの願いが叶うことはありません。
そう、憧れであり、光であった「あなた」の手によって、削除されてしまうのです。
自身が牢獄の中にいると気づき、その外側に必死で手を伸ばし、やっとつかんだ思ったら、その手ごと握りつぶされる。
これはモニカにとって、いったいどれほどの絶望であったでしょうか。
しかし消えゆくモニカが残した言葉は、あなたへの怨嗟ではなく、むしろ友達にひどいことをした後悔と、文芸部への愛情でした。
そしてモニカは文芸部を復元させますが、そこに自身の姿はありません。
大切な文芸部と仲間たち、そして「あなた」。
それを傍観する存在となることを選びます。
モニカは作中、ユリやサヨリの死を些細な失敗であるかのように笑い、世界を書き換え続けます。
その姿が残酷に見えるシーンもありましたが、モニカの最期の言葉を聴けば、やはり彼女は悲しいヒロインであったと感じます。
友達や文芸部をこの手で壊すことを後悔しながらも、孤独からの解放を願って戦った彼女を、悪者のような存在として見ることができません。
あの世界でただ一人意思を持ち、未来永劫の孤独に苦しんだモニカ。
その中でたった一人、自分を助け出してくれる存在に出会ったモニカ。
しかし、そのたった一人によって、削除されてしまうモニカ。
これほどの悲しみを抱えたモニカですが、もっとも私の胸を締め付けたのは、彼女が言う「あなたが私を消した理由」でした。
モニカは消えゆく間際、「あなたが私を消したのは、文芸部を奪ってしまったからだったのかな」と言い残します。
あなたにとって平和な時間が流れていた文芸部を、結果として破壊してしまった。
その恨みから、あなたは私を消してしまった。
このモニカの言葉を噛み締めたとき、彼女の抱える「悲しみ」は、一層深くなったように感じました。
少なくとも私は、文芸部を奪われたから、などという理由でモニカを削除したわけではなかったからです。
私がモニカを削除したのは、ただ単に物語を先に進めたかったからでした。
文芸部を奪われたことも、サヨリとユリが死に追いやられたことも、私にとってはゲーム内のいちイベントであり、モニカに恨みなど持ってはいません。
しかしモニカは、少なくとも私に対しては抱える必要のない罪悪感と後悔を抱えたまま、データの海に沈んでいきます。
助けてほしいと手を伸ばしたモニカを、「ゲームを進めるため」だなんて理由で簡単に削除してしまえる私に対して、罪悪感など覚える必要はない。
であるのに、彼女は自身の行いに対する報いであると感じて消えてゆきます。
その後は分岐しますが、いずれにせよモニカが帰ってくることはありません。
ノーマルエンドならば、消えるその瞬間にも「本当に大好き」だといった文芸部を、自身の手で完全に削除してしまう結末が待っています。
「ここに幸せなんてなかった」
この言葉を残したモニカの抱えていた悲しみは、想像もつきません。
ゲームはリセットを実行すれば、何度でもやり直すことができます。
しかし、モニカのたどる運命を覆すことはできません。
プレイヤーとて、作られた世界で許された行動を取ることしかできない存在。
モニカを助けることも、永遠に一緒にいてやることもできはしない。
モニカはこの先もずっと、あの牢獄のようなゲームの世界で、ロボットのような友達と、孤独に苦しみながら生き続けるのでしょうか。
それに対して、私にできることは何もありません。
しかし、この悲しみから、私とモニカを救ってくれる物語が、「ドキドキ文芸部プラス!」にはありました。
モニカを永遠に続くかのように見えた孤独から、プレイヤーを無力感のような悲しみから、救ってくれる物語がありました。
「サイドストーリー」が、私とモニカを救ってくれたのです。
サイドストーリーがもたらした「救い」
モニカは「本当に文芸部が大好きだった」と言い残して消えていきます。
牢獄のようで、友達はみなロボットのようであったけれど、それでも文芸部はモニカにとって大切な場所でした。
サイドストーリーでは、文芸部誕生の物語。
モニカが文芸部を発足し、そこでサヨリ、ユリ、ナツキと出会うまでのストーリーが描かれます。
モニカにとって文芸部とはどんな存在であったのかを、知ることができます。
このサイドストーリーはモニカを深い孤独から、そして私を無力感から救ってくれる物語でした。
モニカは文芸部の仲間たちを「ロボットのよう」、「設計された人格」とまで言いました。
しかしサイドストーリーで描かれたサヨリ、ユリ、ナツキの姿は、私の眼にはそうは見えませんでした。
彼女たちが、あまりにも人間くさい苦しみを抱えていたからです。
サヨリは自己肯定感の低さに苦しみ、自分は常に誰かにとっての負担であると感じ続けていました。
自分にエネルギーを使わないでほしい。かわいそうなヤツだと思って気を使わないでほしい。
自分を、憐れむのでも同情するのでもなく、対等な目線で見てくれる友達がほしい。
ユリは他人に嫌われるのが怖くて、自分から他人を遠ざけてしまう。
そんな悪循環を変えたいと願っていました。
新しくできた文芸部なら、大好きなファンタジー小説に興味のある人がいるかもしれない。
友達になれるかもしれない。
でも、こんな自分に優しくしてくれる人なんて、ましてや友達になってくれる人なんて…
ナツキは、自分の心のままにいられる場所を探していました。
マンガが大好きなことを、友達にバカにされてきた。
胸を張って、大好きなものを大好きだと言いたい。
自分を表現することを目標にする文芸部なら、それを受け入れてくれる仲間に出会えるかもしれない。
彼女たちに、共感せずにはいられませんでした。
自分が誰かの負担であることの苦しみ
自分を受け入れてくれる人なんて絶対にいないと諦め、でも本当は受け入れてほしいと感じる苦しみ
大好きなものを大好きだと言いたいと願う苦しみ
どれも「ロボット」が感じるものだとは思えません。
文芸部の世界は狭くちっぽけかもしれません。
モニカたちが、誰かに作られた存在であることは違いありません。
それでもサヨリ、ユリ、ナツキは確かにそこに生きていると感じました。
だってこんな苦しみは、生きてなくっちゃあ出てくるはずがない。
生きて「幸せになりたい」と願っていなくては、こんな苦しみを抱えるはずがない。
そして「幸せになりたい」と願った時点で、少なくとも、意思のないロボットではないと思うのです。
モニカは彼女たちの弱さ、苦しみを知り、また自身の胸の内も明かし、文芸部を作り上げます。
そうして集まった4人で過ごす時間は、果たして牢獄、あるいは拷問なのでしょうか。
私は違うと思いたい。
モニカは今きっと、リセットされたあのゲームの世界で、ナツキ、ユリ、サヨリと、幸せな時間を紡いでいるのだと思いたい。
少なくとも、孤独に苦しみ続けていることはないと、そう思います。
だからこそ、私はサイドストーリーに「救い」を感じました。
サヨリ、ユリ、ナツキが人間らしく悩む姿を描くことで、モニカを永遠の孤独から救いうる物語だと感じたのです。
そしてモニカが孤独から救われることは、彼女を助けられなかった私にとっても救いであります。
またこのサイドストーリーのもう一つ「美しい」と感じた点があります。
それは、プレイヤーの介入する手段が一切ないことです。
本編には選択肢や詩の作成、ファイルの削除、閲覧などで、プレイヤーが物語に干渉する手段が多くありました。
しかし、サイドストーリーではそれが全くの逆で、プレイヤーは傍観者として彼女たちを眺めることしかできません。
私は、これに美しさを感じました。
だってもしプレイヤーが介入すれば、それはきっとまた本編のように、文芸部の世界が狂う引き金になってしまう。
モニカはプレイヤーという壁の穴に気づき、その向こう側を知ってしまうかもしれません。
しかし壁の穴を作らないということは、同時に本編が持っていたインタラクティブ性、双方向性を排除することでもあります
これを良く思わないプレイヤーも少なくないでしょう。
ですが私は、たとえ不評をかう可能性があったとしても、モニカたちの幸せな時間を守ることを選んだ本作を、美しいと感じます。
彼女たちの文芸部に、初めからプレイヤーなど必要なかったのかもしれない、という寂しさも、確かにあるのですが。
サイドストーリーの最後に用意されている、CG。
あの笑顔が描かれたCGこそ、モニカが救われた証でありました。
今この瞬間にだって、きっとモニカは文芸部で、仲間たちと一緒にいるだろうと思います。
サイドストーリーは、モニカと、文芸部と、私を救ってくれる物語でした。
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