ヒーロー小説のようで、恋愛小説のようで、社会派小説のようでもある。
第168回直木賞を受賞した作品『しろがねの葉』を読んで、私はそう感じました。
本作は序盤から中盤にかけて、タブーである男尊女卑を描き続けます。そこでは主人公は自身がどう頑張っても女であること、力では決して男には勝てないこと。男によって生かされる存在であることを教えられるように見えます。
これだけならば炎上必至の内容ですが、第三幕以降では、この男女の関係は意外な形で反転していきます。そのことから、私は男女平等に近しい感想を抱きました。
男も女も、互いに互いがいなければ生きていけないこと、そして最後には闇へと還ること。これをもって本作は男女の上下関係を破壊しているように見えるのです。
今回はこの感想を主題に、根拠となる作中の描写と合わせて述べます。
男女の上下関係を破壊する、ヒーローのような主人公
まず主人公であるウメは、男女の関係を女側から破壊しようとします。
ウメはその生い立ちにより死を恐れるようになり、同時に、金を稼いでくる男が傍にいなくては、女は生きられないのではないかと危惧します。
呆然とした面持ちで路地に立ち尽くしている女がいた。その足元にはウメより小さな童がしがみついて泣いていた。ウメは息を呑んだ。ウメが喜兵衛を頼りにしているように、間歩で働く銀堀たちにも家族がいるのだ。残された女や子らはどうやって生きていくのか。(中略)あんな途方に暮れた顔をしたくなかった。
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
男に寄りかからなければ生きていけないのはイヤだ。
その思いからウメは、男たちに混ざって坑道に入り、銀掘として金を稼ごうとします。
ウメはその負けん気の強さと生まれつきの夜目が利く体質により、次第にその力を認められていきます。しかし同時に、この過程で男尊女卑の眼差しに晒されます。
「こがに転ばぬ手子はなかなかおらん」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
「ほんに、おなごとはの」
「おのこよりよう気が付く」
※おなご=女 おのこ=男
ウメには常に「女のくせに」という眼差しが付き纏います。ウメを褒めるときですら上記引用のような「女なのに凄い」という、ふつう女は男より凄くないという価値観に基づいた発言が見られます。
男だらけの環境に交じり、同じ仕事をして、女ながらも一人前になって、稼げるようになろうするウメ。この姿から、私はウメに男女の上下関係を破壊せんとするヒーローのようなイメージを抱きました。社会に根差す上下関係を反転させようとする主人公像はヒーローものにありがちだからです。
とはいえ、ウメ自身はあくまでも個人的な事柄で動いているだけであって、社会に根差す男女の上下関係に不満を抱いているわけではありません。そのため、この小説はあくまでもウメとその周辺人物たちの物語としてとらえるべきだと思います。この小説の世界が社会の縮図だとか、内容が現代のジェンダー観に投げつけられたメッセージだとか、そういうものではないと思っています。
しかし、ウメは男に勝てない
才覚を発揮するウメですが、それでも男に勝てません。
ウメの体は次第に“女”へとなっていきます。それは男からの性的な眼差し、そして体の作りに如実に表れていきます。それは抗いようのない性差であり、ウメは立ち向かいますが、敵いません。
まっすぐで細かった足にぶよぶよと肉がつき、胸も膨らんだ。肥えたのか、と食事を減らすと、足がふらつく。狭い間歩の中で手子たちとぶつかる度、たわむ自分の肉に狼狽した。銀堀たちは皆、ピンと張りつめた躰をしていた。なぜじゃ、とウメは泣き叫びたくなるような恥ずかしさに身を縮めた。
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
どう足掻けども遺伝子で決定づけられた運命から逃れられません。それでもウメは諦めまいと戦い続けますが、その心をへし折る二つの出来事が彼女を襲います。
伝兵衛の手下によるレイプ。そして喜兵衛との別れです。
こんないたぶり方は、女にはできない
ウメが襲われるシーンは、読んでいてもっとも辛い場面でした。
主人公として、ヒーローとして戦っていたウメが、名前も与えられていないような下っ端の男に穢されてしまう。何より苦しいのは、襲われる最中のウメに、抵抗してやろうという気すら浮かんでいなかったことです。
悔しい。女のままでは、男には勝てない。あんないたぶり方は男にしかできない。
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
彼女に立ちはだかったのは気の強さだとかそういうものでなく、もっと単純で、そしてどうしようもない性差でした。これは覆しようのないものであることをウメは悟ってしまったように見えます。
ヒーローのように見えたウメが、もっとも勝ちたいと思っていた男に成すすべなく屈するこのシーンは、本作の世界に根差す男女の関係を突き付ける意味を持っていたように思います。
もし本作が本当にヒーロー小説なら、ここから逆転が始まったでしょう。本作はそうはなりません。
自分を犯した男をウメは殺害しますが、逆転というよりは昏い感情から生まれた復讐(無理からぬことではあります)に見え、むしろより深い闇へと落ちていっているように見えます。
更にこの上にのしかかるのが、拠り所であった喜兵衛との別れでした。これがウメの心をへし折ってしまいます。
さらば喜兵衛
本当の意味でウメの心を折った…つまり、男に負けず、性差に抗がおうとするウメの心を折ったのは、レイプではなく、喜兵衛との別れだったように見えます。
こうして二人で過ごす晩は、今宵で終わりなのだ。ウメは自らの望みが潰えたことを悟った。
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
後の描写で明らかになりますが、ウメにとって喜兵衛は同志でした。そこには恋慕に近い感情もあったでしょうが、それだけでなく、山師としての喜兵衛の一番弟子であることだとか、共に歩き続けるパートナーだとか、より深いつながりを喜兵衛に感じていたのだと思います。
そして男たちからも一目置かれる喜兵衛とそのような関係であることは、きっとウメにとって大切なことだったと思います。誰が認めてくれなくても、誰に女と見られようとも、ウメには喜兵衛がいます。だからこそ、喜兵衛から別れを告げられることは、既に傷を負っていたウメの心に、とどめを刺すことになったのではないでしょうか。
この後、ウメは隼人の妻として生きることになります。
ヒーロー映画の主人公のような姿であったウメの主人公像が、変化していくように感じました。
喜兵衛もまた、ウメを愛していた…?
これはほぼ全て私の解釈になりますが、別れを告げた時の喜兵衛もまた、ウメを愛していたのではないでしょうか?
喜兵衛がウメを大切に思っていたことは、レイプ犯の一人を彼が滅多打ちにして殺害したことからも明らかです。また喜兵衛は温泉津を訪れた際、ウメに「倦む」と心情を漏らしていました。
「時折、倦むんじゃ」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
「怪我したんか」
ふっと鼻で笑われる。
「おまえも大きなったらわかる。なんで生きとるのか、わからんようになる時がある」
倦む、とは簡単に言うと疲れる、飽きるのような意味をもつ表現です。倦怠感の倦の字…とイメージすると分かりやすい。
一体なぜ、喜兵衛は「倦む」のでしょうか。
これは描写から察するに、子を持てなかったから。つまり、いずれは何も残せず一人で死に行くのに、なぜ生きるのかが分からなくなるから…だと私は考えています。そう読み取れる証拠としては、喜兵衛がやたらと子供を拾いたがる描写があります。
ウメ自身はもちろん、喜兵衛は龍やヨキなど、行き場のない子供を拾おうとします。そこには喜兵衛の中にある「倦む」感情があるとは読めないでしょうか(ヨキをどのような状況で拾ったかは明らかにされませんが…)。
そうして拾ったウメは喜兵衛を慕い、犯された結果とはいえ、子を宿します。
喜兵衛にとってこの子は、特別な意味を持っていたのではないでしょうか。もちろん犯人を憎悪していることは明らかです。しかしそれでも、喜兵衛自身の力では残せない生きた証となり得る存在に見えたのではないかと予想しています。事実、喜兵衛は身籠ったウメに、躰をいたわるよう言います。過程はどうあれ、子が健康に生まれてくることを願っていたのだと思います。
「宗岡に言うて、冬までに絹の首巻を手に入れてやろう」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
「そがなもんしとるんは病人か隠居老人だけじゃ。笑われるじゃろうが」
「病の如く、大事にせえ」
しかし、ウメは流産します。
ではこの時、喜兵衛はどう思ったのでしょうか。
「安堵したんじゃ。ウメ、もう、わしには荷が重い」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
この安堵は、喜兵衛自身も望んでいなかった感情だったと思います。
まさか安堵するとは、自分でも思っていなかった、描写からはそのように読み取れます。子は喜兵衛にとって、生きた証になり得る存在でした。ウメと喜兵衛の知識を受け継ぎ、次代の山師になるはずでした。だがそんな子が流れてしまったことに、喜兵衛は悲しむどころか、安堵してしまった。
自身に子種がない以上、ウメは喜兵衛以外の男によってしか子を残すことができません。であるのに、その子が死産したことに安堵してしまう。ならばこのままでは、自身のみならず、ウメすらも生きた証を残せぬまま、その一生を終えることになるのではないか。
ウメには、生きた証を残してほしい。
ウメを愛しているからこそ喜兵衛はそう思い、だからウメと袂を分かつことを決心したのではないか…と予想しています。
この愛の内実が単純な恋慕であるとは思いませんけれども。
男も、女がいなければ生きていけない
男のように生きる。
この望みを絶たれたウメは、隼人の妻として生きることを選びます。
この妻という立ち位置は、ウメがかつて恐れたものでもありました。
呆然とした面持ちで路地に立ち尽くしている女がいた。その足元にはウメより小さな童がしがみついて泣いていた。ウメは息を呑んだ。ウメが喜兵衛を頼りにしているように、間歩で働く銀堀たちにも家族がいるのだ。残された女や子らはどうやって生きていくのか。(中略)あんな途方に暮れた顔をしたくなかった。
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
女と童は、男に寄りかからなければ生きていけない存在だと思っていました。それを恐れるからこそウメは間歩に入り始めましたが、その生き方が叶うことはなく、ウメ自身も、男に寄りかかる存在へとなってしまいます。
しかし本作は、ここからこの男女の上下関係を反転していきます。
銀堀たち男もまた、女がいなくては生きていけない存在であったことが明らかになるからです。
ウメと子がいたから生きられた隼人
ウメと子が寄りかかって生きる人物が、隼人です。
しかし隼人は肺を病み、ウメらを残して死んでしまいます。この時の隼人のセリフこそが、本作が示してきた男女関係を反転させるシーンに見えました。
「お前たちがおらねば生きていけんかった」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
呻くように隼人が言う。
「お前たちの命じゃと思えば怖くない」
いつか、喜兵衛が言ったことを思い出す。
――男は女がおらんと生きていけんのじゃ。
女は男に勝てない。女は男に寄りかからなければ生きていけない。
ウメはかつてそう感じていましたが、それは男にとっても同じでした。男もまた、女がいなければ生きていけない。女がいるからこそ生きていける。鉱山で肺を病み、若くして死んでいく運命から逃れられない男たち。命を削る行為だと知ってなお山に入るのは、妻と子がいるから。
それは女にとっても変わりません。だからおとよは満作を追って死に、夕鶴は女郎という闇の中で命を蝕まれながらも、隼人を希望に生きていくことができ、それが絶えた時に死を選びました。
少なくともウメの中では、ずっと燻っていた男と女の関係が反転したと思います。
人は光る何かを探す。そうして男は女に穴を掘り、胎闇の中で光になる。
闇の中にある輝くを求めるからこそ、男は肺を病み、そして死んでいく。残された女も子も不幸になる。
ならば光などなくなってしまえばいい、とウメは思います。
「銀がなければもう誰も死なん」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
目尻から涙が零れた。悲しみと快感が混ざって、躰の奥が絞られるように苦しくなった。
しかし、輝きがなくては人は生きていけないのだと龍は返します。
「銀がなくなっても、光る何かを人は探すと思います。それで毒を蓄えても、輝きがなくては人は生きていけない。無為なことなどないんです。ウメさんの歩んできた道に光るものはありませんでしたか」
しろがねの葉 / 千早茜 新潮社 より
輝きこそが人を生かし、輝きを求めるからこそ毒を蓄え、死ぬ。
そうしていつまでも続く連環の中で、人はいくつもの輝きを残していくでしょう。
男は輝きを求めて穴を掘ります。山に。そして女に。
山の中の闇と、女の胎の中にある闇は、その中で光を生み出し、それこそが生きた証になり、人の生きる理由でもある。そして最後には、闇の中へと還っていく。
男と女、どちらがどちらという理は存在せず、互いに互いがいなくては生きていけません。そして最後には例外なく誰もが闇へ還る。
このような描写を通して本作は男女の一方的な上下関係を破壊し、輝きを求めて生き続けなければならない存在として、そしていずれは死ぬ存在として、少なくとも支え合うことだけは間違いない関係であるとして、結末とした。
……と言うのが、私の感想です。
終わりに
もし私なりに本作の評価点を考えるとすれば、現代ではタブーとされるような価値観を、その描写でもって納得のいく形で落ち着け、そしてエンターテインメントとしても十分面白い作品として仕上げていることです。
男は女がいなければ…女は男がいなければ…という考えは、恐らく現代では禁忌とされます。個人的に思っていても、それを主張し、認められることは難しいでしょう。しかし本作が最終的に示したのはそのような考え方(に見える)ため、危ない主張をしている小説…と取ることもできなくはないように思います。
ただ本作を読み終えた今、この内容に違和感だとか、そういうものは特にありません。
もちろん性的マイノリティにとってどうかだとか、外部の文脈を持ち込めばいくらでもツッコミどころはあるでしょう。しかし少なくともウメがたどり着いた結末としては、何ら不自然はないように見えます。
更に本作は、そんな難しいことを考えなくても面白い小説です。
場面によっては恋愛小説、あるいはヒーロー小説のエッセンスを盛り込んだような印象を抱く場面もあり、読者の感情のアップダウンなども計算されたエンターテインメントとして十分な仕上がりに見えます。