【最近読んだ本の感想8】「自傷的自己愛の精神分析」とか「おいしいごはんが食べられますように」とか6冊

本の感想
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たったひとつの冴えたやりかた/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

いきなりネガティブになるけど、これは合わない翻訳文だった。
表題作含めて3作の短編を収録。7割くらい読んだところで寝落ちが増えてきたのでやめた。

自分はとりわけ物語を読むときはカッコいい、あるいは独特で胸を打つ表現とか、流麗な言葉遣い、文のリズムとか…そういうものをフィーリングで良いと感じられるかどうかを重視してしまう。そして本作からはそれが感じられない。これが翻訳文だからなのか、そうでなくで本作の翻訳が良くないのかはわからないけども。

物語的な山場も確かにあるはずなんだけど、読み終えた後に「あそこが山場だったのかな?」と振り返らないといけないくらい文章が印象に残らなくて、筋書きの面白さ云々の前に合わない一冊だった。生まれる前の本だしな~

きことわ/朝吹 真理子

淡々としている。それが第一印象。

エモーショナルにするために五感を使った表現を取り入れたりとか、稚拙に見えるから文末は被らないようにしましょう、とか。そういう一般的な文章テクニックをあまり意識していないというか。作者の思い浮かべたものを淡々と、ただし解像度高く、また豊かな言葉で描いていると感じる。だから文末が「だった。」で連続しても拙さ、未熟さがない。

一方でストーリーは正に文学で、明確なアップダウン等エンターテインメント性はあまりない。味わうためには解説も合わせて読みたい。

また良いと思ったのは「きことわ」という謎なタイトルと、その意味の明かし方。これは上手いなと感じます。

夏至南風(かーちぃべい)/長野まゆみ

何なのかなーこの世界観。

タイトル、表紙から想像できる情景と中身が全く違う本で、それを知っていても面食らった。

退廃的、というワードがしっくりきて、一方で作者のノスタルジーな情景描写は確かで、その融合が面白い。郷愁を起こす文章と、犯罪、貧しさを感じる文章が常に合わさっていて、これらは相反する部分もあるだけに、独特なノリだなと。

ただ気になったのは、全体を通して粘膜接触の描写が唐突かつ多すぎること。あいさつ代わりに粘膜を触れ合わせるので、なんかもうそういう文化の根付いた土地なのかな?と思った。今更同性愛でどうこう言ったり、性交渉の尊さを…なんて主張はしないけど、なんだか退廃的な雰囲気を強めるために乱用されている印象も受けたので、どのような意味があるのかを知るためにも解説が欲しい1冊です。

服を買うなら、捨てなさい/地曳 いく子

服に特化した断捨離本…の印象。

このジャンルは近藤麻理恵の『人生がときめく片づけの魔法』に大事なことは書いてあるように思う。ただ本書は特に服が趣味の人にスポットを当てているので、同じ人にはより参考になる一冊じゃないかな。

自分は服はほぼ全部ワークマン、ユニクロ、近所のブックオフの古着コーナーで済ませている人間なので、逆に服がたまりすぎて困る人の本音ってのがわからない。だからこの本にはその意味での発見が多かった。たぶん我々が年がら年中悩んでいる積みゲーに関しても、ゲーム趣味でない人からすればナゾなんだろうなと。

おいしいごはんが食べられますように/高瀬隼子

芥川賞作品。

まず書いておきたいのは、この本は決して心あたたまる食べ物小説じゃありません…ってこと。
むしろ「おいしいものを、おいしいねって言いながら食べる」みたいなことを大切で、素晴らしくて、誰もが求めるとする人たちの中で、モヤモヤしてる側にスポットを当てた本。ごはんが美味しくなる本ではありません。

共感したのは、主人公たちの「おししい」への興味の無さというか、優先順位の低さ。

こういうことを書くと中二病と茶化されそうですが、自分もあまり「おいしい」に興味がない。飯を食いに行っても写真は面倒だから取らないし、わざわざ「おいしい」を求めてどこかへ行ったりもしない。
とはいえ目の前に「おいしい」があれば当然食べたいし、「おいしい」とそうでないもの、どっちが好きかって言われたら間違いなく前者なので、優先順位が低いってことなのかもしれません。
自分はよくマズいと言う人もいるコンビニのおにぎりとか、チェーン店の牛丼とか、100円の缶コーヒーとか、何でも「おいしい」と感じられる人間なので、それをことさらに重視する気になれない。

と言っても本作はそんな欲望の優先度の個々人の違い…とかそういう話ではなくて、誰からも至上と信じられている価値観の下で、それを迎合できない人たちが実はモヤモヤしていて、でも周りに合わせるスキルはあるから水面下でじたばたもがいているような、そんなお話です。その水面下への解像度が高くて、芥川賞も納得。作中ケーキを食べるシーンがあるんだけど、こんなにマズそうに描けるのは凄い。

あと文体の面でも発見があった。自分は五感を使って情景をしっかりイメージさせる文章こそ良い…と思っていたんだけど、本作にそれはほとんどない。でも違和感はないし、芥川賞まで取っているので、こういう文も有りなんだなと。

作中で弱いとされる人物がいるんだけど、自分はアレも一種の強さだと思います。弱い人って、苦しい時に苦しいと言えない人ってイメージ。そういう意味で、弱さを描いた作品なのかもしれません。

「自傷的自己愛」の精神分析/斎藤 環

自己否定が好きです。

このブログも過去に一度だけ、記事がバズったことがあります。言うても100RTくらいで、自分のツイートでなく、記事を良いと言ってくれた人のツイートがプチバズ…みたいな経緯なんですが。

自分の記事をたくさいの人に良いってもらえて嬉しかった一方で、即座にそういう他者からの「良い」を否定したくなって、その時はこんな記事を書いた↓

他者からの「いいね」をいつだって求めているのに、いざそれを受けると「いや、そんなことはないです」と否定したくなる。自分を「俺ってこんなにダメなんです」と否定するのが大好きで、たまにそれにストッパーがかからなくなる。もちろん自分の実力を正しく認識するのは大事だけど、必要以上に自分を貶めてしまう。だって俺は何も実績を残せていないし、他者から感謝されたこともないし、長年続けている音ゲーだっていつまで経っても下手だし。

ただそういう自己否定は他者から見ると面倒くさいのも知ってる。行き過ぎると自虐風自慢に見えることもあるし、やめなきゃ…と思うんだけど、やってしまう。

その感情の根本にあるのは、いったい何なのか?
本書はそれを教えてくれたように思います。

彼らの自己否定は、自分はダメな人間である事実は自分自身が誰よりもよく知っており、自身を評価する権利は誰にも渡さない、という意思表示にも見えます。

「自傷的自己愛」の精神分析/斎藤 環 角川新書

そう、それなんです。たまに私を「いいね」と言ってくれるひともいるけれど、それは誤りなんです。だって世の中には、私より遥かに優れいるひとが数えきれないほど、いるじゃありませんか。私はそれをよく知っています。だから、アナタがどれだけ「いいね」してくれようと、私はそれを決して真に受けません…。そう意味で私は自己を愛している…?いや、まさか、そんなハズはない。いつだって自分に自信が無くて、俺ってダメだなと毎日のように思っているのに…


自分でも分からない自分の気持ちを解きほぐしていかれるようで、読んでいて感心させられました。その感心のまま読み切ってしまったので、紙の本で買いなおして付箋を貼りながら再読したい。

今回のオススメ→「自傷的自己愛」の精神分析/斎藤 環

以上6冊でした。

今回もっともオススメなのは『「自傷的自己愛」の精神分析』です。自己否定をやめられない本人、また周りにそのような人がいても、いなくても、大いに発見のある一冊になり得ます。

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日々プレイしたゲームの、忖度のないレビュー。オタクしていて思ったことを書いています。ADV、音ゲーが特に好き。

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