声優のライブに行くのが、趣味の一つでした
しかし新型コロナの影響により、大半が中止
そんなご時世で登場した新たなライブ視聴スタイル、「有料生配信」
特有の熱気こそ感じられません。
しかしとにかくお手軽なのが利点で、今後のライブは全てこれでいいかもしれない。
わざわざ会いに行く必要はないのかもしれない。
そう感じていました。
このアニメを見るまでは。
「推す」の価値を再確認させられる、異色のアイドルアニメ
推しが武道館いってくれたら死ぬ(以下、推し武道)は、アイドルを推すファン、推されるアイドル。
その両方の視点から、「推し」のすばらしさを描いた異色の作品。
タイトルを見るとオタク視点の話だと思いがちですが、実際はアイドル視点の描写もかなり多めです。
作中で取り上げられるのはアイドル、それも地下アイドル。
しかし、アイドルオタではなくとも、何かを推すオタクなら共感せずにはいられない…そんな内容でした。

基本はコメディタッチで、笑えるシーンが多め。
その中に、ふとオタクの胸に刺さる場面が用意してあります
そこまで熱い推しは持っていない…というオタクでも、考え方が変わるかもしれない。
それほどメッセージ性のある作品でした。
支え合う、推す者。推される者。
我々一般人にとって、「推される者」は雲の上の存在。
向こうは唯一無二なのに対し、こちらは大勢いるうちの一人。
その間には越えられない壁があって、オタクひとりひとりの声なんて届かないもの。
推しにとって自分は小さな存在。
こう思ってしまいがちですよね。
しかし、本アニメではそうは描かれていません。

主人公「えりぴよ(ハンドルネーム)」は、地下アイドルグループ「ChamJam」に所属する「舞菜」を熱く推すアイドルオタク
舞菜はグループのなかで一番ファンが少ないのですが、えりぴよの推しを受けて、それに応えたいと一生懸命に活動します。
我々オタクの推しは、確かに推される者に届いていて、それがあるからこそ今日も推しは頑張れる。
一人のオタクの推しの力は、決して大きなものではありません。しかし無力でもない。
小さいけれど確かなその力が、推しにとって何よりも心強い原動力になる。
ファンのためにと頑張る舞菜の姿を見て、そう感じました。

もちろん、現実はここまで優しくありません。
数千、下手したら数万いるファンを、一人ひとり認識しているなんてありえない。
それでも、「推し武道」を見れば、自分たちは無力じゃないと信じられます。
推される者は、推してくれる人がいるからこそ、その輝きをより強くします。
そしてそれを受け、我々はますます強く推す。
推しに輝いてほしい。武道館に行ってほしい。
そう願ってくれる人たちのために、輝きたい。武道館に行きたい。
推す者、推される者はいつしか共通の目標を持ち、物語が進んでいきます。
我々は「有象無象」でも「無力」でもない。
「推し」は必ず届く。だから信じて推せばいい。
そんな気持ちにさせられるアニメでした。
とは言え、基本はコメディ
なんだか物凄く泣けるアニメのように書きましたが、本アニメは基本的にはコメディ
3人のフリーターオタクが、オタクあるあるを交えながらオタ活に奔走する話。
主人公「えりぴよ」は、結構美人のくせに服装はいつも高校時代のジャージという強烈なオタク(女性)
笑いがメインだからこそ、ふいに訪れる泣きに心を打たれる作品です。
しかし、その泣きもオチはギャグだったりするのは、もったいないと感じました。
もう少し泣きに振ったら、印象的なシーンになっただろうな…という場面がありましたので。

Pick up神回 5話「わたしは待つことしかできない」
脚を骨折し就労不可、CDを積めなくなったえりぴよ
息抜きにと行ったメイドカフェで、あーやに会ってしまいます。
そのことから、推しを変えたのか?と舞奈に誤解されることに。
CDを積めない自分に価値はない。そんな自責の念に駆られ、だから舞菜のもとを離れていってしまったのか?
全ては誤解なわけですが、そんな中で舞奈が家で一人つぶやいたセリフに感動。
危うく電車の中で泣きそうになりました。
「積んでほしいんじゃなくて、来てほしいんです。えりぴよさんが来てくれないと、会えないから。」
推しが武道館いってくれたら死ぬ、第5話「わたしは待つことしかできない」より
ハッとさせられました。
推される舞菜は、どんなに推してくれるえりぴよに会いたくても、自分から行くことはできません

これは、ありとあらゆる推しと、推される者に言えることです。
近くまで行くことはできる。地方の会場でイベントをやることはできる。
でも、会いに行くことだけはできない。推される者は、推してくれ人が来るのを、待つことしかできない。
コロナ禍で有料生配信が当たり前になり、もう実際に会いに行く必要なんてない、そう思っていました。
でも、それは違います。
有料生配信では、推しは、カメラの向こうを信じることしかできません。
推しの方からは会いにいけないから、きっと推してくれていると信じるしかない。
だからこそ、我々オタクは推しているぞと、ここにいるぞと伝えるために、会いに行く必要がある。
そう改めさせられた回でした。
終わりに
ややギャグが強すぎる印象はありますが、これまでなかった価値観に気づかされたアニメでした。
アイドルアニメもかなり数が増え、大抵はアイドル視点の成長物語になっています。
本作は同じ成長物語ながらも、オタク視点に比重を置き、「推し」をテーマに描く…という変わった作風がユニーク。
CDを大量に積んだり、総選挙の投票に生活費すら犠牲にするオタクたち
そのレベルの存在とは、私もさすがに温度差を感じていました。
しかし、本アニメを見た今、彼らの気持ちが分かる気がします。
推しを持つ全てのオタクに刺さり得る、良作アニメでした。