【全編ネタバレあり】穢翼のユースティア  感想と解釈とその解説 ~彼が彼女を選べるまでに出会った4人の彼女が彼に与えたもの~

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『穢翼のユースティア』のネタバレを含みます。未プレイの方は読まないでください。

タイトル穢翼のユースティア
対応機種PC、Switch、PS4、Vita
備考PC版は18歳未満及び高校生以下は購入、プレイできません。

解釈とそれに至った理由の解説

彼が彼女を選ぶまでの物語

まず私は、『穢翼のユースティア』をどのような物語であったと感じたのか
率直なところで、以下のようだと感じました。

「世界か少女かを選ぶとき、世界を選ぶ人物であった主人公が、キャラクターとの出来事を通して、少女を選ぶ人物に変わっていくまでの物語」

この先はこの考えをもとに書いていくため、この時点で既に同意できないのであれば、最後まで同意できない可能性もあります。

正しさ、妥当性に寄る選択しかできなかったカイム

主人公カイム・アストレア(以下、カイム)は、選択を迫られたとき、客観的な正しさや妥当性でしか判断できない人物でありました。

一般的に私たちは選択をするとき、客観的な正しさだけを頼りにすることができません。感情があるためです。感情に寄せた選択と客観的な正しさに寄せた選択は相反することが多く、だから私たちは葛藤します。そして本作は、まさにその感情と客観的正しさの究極とも言える選択を、物語の最終局面に置いています。

物語の最終章に提示される選択。
都市か、ユースティア・アストレア(以下、ティア)か、です。いわゆるセカイ系の典型でもあるでしょう。

この選択において、正しい選択はどちらでしょうか?
言うまでもなく、都市です。

都市には多くの人が住んでいます。その全ての命と、ティア1人の命。どちらを取るのが正しいか?と問われれば、誰もが都市だと答えるでしょう。単純な計算問題です。そしてカイムは正しさに寄る選択肢を重んじるため、やはりティアではなく、都市を取る人物でありました。

しかし、カイムの中に葛藤が生まれます。ティアを愛していたからです。カイムはティアを大切に思っており、苦しい実験から解放してやりたい、ティアを犠牲にしたくないと感じます。正しさと感情の間で揺れ動くカイム。ですが、それを正しさへと引き戻すのがルキウス・ディス・ミレイユ(以下、ルキウス)でした。

ルキウスは客観的な正しさだけを重んじていました。10000人を犠牲にすることで10001人が助かるなら、躊躇いなく10000人を犠牲にできる人物でした。ルキウスは、実験の中止を申し出るカイムを、その正しさで持って何度も挫きます。そしてカイムも、ルキウスに反論できません。なぜならば、カイム自身もまた、正しさを重んじて生きてきたからです。情に流されることを悪として生きてきたからです。

なぜ、カイムはそのような人物になったのでしょうか?
これは彼が過ごしてきた牢獄の環境が大きく影響しています。

カイムから考える力を奪った、牢獄

カイムは大崩落グラン・フォルテをきっかけにできた都市の最下層、通称牢獄へと落ち、そこでの生活を余儀なくされました。

牢獄は殺し、盗みが蔓延する過酷な環境でした。それゆえ、カイムは「今日、どうやって生き延びるか」以外を考えられなくなります。死と背中合わせの牢獄では、胃袋を食物で満たすこと、寝首を掻かれず眠れる場所を確保すること…そのような、生に直結すること以外は考える余裕などありませんでした。

その生き方が体に染みついたカイムは、やがて自身の力で考えることのできない人物になりました。

だからカイムは選択を迫られたとき、いつでも妥当性や正しさを重んじてきました。そうすることしかできませんでした。客観的な正しさ、妥当性は揺らぐことがないため、その見極めさえつけられれば自身で考える必要がありません。また正しいぶん、人から批判されることも少なく、議論したとしても有利でしょう。考えることのできないカイムにとって、この正しさによる選択は楽でもあったのです。

この自身が頼りにしてきた正しさが、カイムにティアではなく都市を取らせたのです。

カイムは「正しさ」しか選べない自分を、空虚に感じてたのではないか

一方でカイムは、このような正しさに寄ってしか生きられない自分を、ティアと都市の一件に直面するずっと前から、どこか空虚に感じていたのではないかと思っています。

カイムは、崩落により命を落とした(ように見えた)兄アイム・アストレアとの誓約を果たせていないことを、引け目に感じていたからです。

兄との誓約は「自分のぶんまで精一杯生きて、生きる理由を見つけて立派になってほしい」というものでした。これは母親の教えでもあり、兄はそれをカイムに託します。しかし、カイムはこの誓約をいつまで経っても果たすことができません。

牢獄に落ちたばかりのころは、生きるだけで必死であったため、「生きる意味」など考える余裕はありませんでした。しかし成長し牢獄の中では恵まれた生活をしている現在になっても、カイムはいまだにこれを考えることができていませんでした。カイムはこれをずっと牢獄の環境のせいにしていますが、当にかつての過酷さから脱している今、この言い訳は通りません。生きる意味を見つけられない自分に引け目を感じつつも、しかし牢獄の環境では仕方ない…と矛盾した言い訳をしながら生きてきてしまったのです。



ちなみに、本作はどのような状態の人間を、生きる意味を見つけた人間だとしているかについてですが、私はこう考えています。

「自分はこのために生まれてきた、と言えるものがあるかどうか」です。

どのような状態であるとき、その生に意味があると言えるか。これは判断の難しいものだと思います。しかし少なくとも本作では、生きる意味とは自身で見つけるものだとしており、上記のような状態にある人を見つけた人だと言っているように感じました。生まれてきた理由と言い換えることもできるでしょう。カイムはこれを見つけられずにいたのです。何かを成したり、実績だとか作品だとかを後世に残すことが意味のある生だとする考え方もよく耳にしますが、本作ではそうとはしていないと考えています。他者から見てどうかでなく、あくまで自分自身が見つけるものです。

カイムは「このために生まれてきた」と言えるものが見つけられずにいたのです。だからこそ、選択を迫られたとき、いつも大局的、客観的な、誰の目から見ても明らかな正しさや妥当性によってしか答えを出せなかった。カイムはそんな自分を、どこか空虚に感じていた。だからこそ兄との誓約を果たせない自分に、言い訳をつけずにはいられなかった。


カイムがそのような人物…生きる意味を見つけるために考えることのできない人物になってしまった理由は上記の通りですが、その他にも殺しを生業としてきたことも大きく影響していると考えています。

今目の前で死ぬこの人の、生きる意味とは?

カイムは牢獄に落ちて以降、殺しを生業としてきました。



目の前で人が呆気なく死ぬ。自分もいつかこのように死ぬのかもしれない。そうして生の脆さを日常的に味わってきたカイム。こんなに軽いものに、理由とか意味なんてあるのか?と感じてきたのではないでしょうか。その経験から、自身の意味を見つけることも考えることもできなくなった。しかし、兄は見つけろと自身に誓約を残していった。カイムは苦しみますが、前述の通り、牢獄の環境では仕方ないと矛盾した言い訳をしながら生きることを続けます。

ちなみに似たような立場にあった人物が、ガウ・ルゲイラでした。彼女がカイムと似た者同士というだけで、何ら影響を残さず退場していったのは、本作のもったいない点であると感じます。

しかし、カイムは少女を選ぶ

過去の経験により、自身が「このために生まれてきた」というものを見つけられない。考えることができない。だからいつも客観的な正しさや妥当性によることしかできず、都市とティアでティアを選べない。

しかしご存じの通り、カイムは最終的にはティアを選びます。ティアを選べる人物へと、変わっていきます。

では、カイムはどのようにして、愛を選ぶ人物へと変わっていくのか?
どのようにして、愛は世界に勝るものへとなるのか?
このカイムの変化の過程こそ、シナリオの中心として描かれたものであると思っています。



都市と少女の選択で、いかにして少女を選ぶのか?という切り口は、セカイ系の定番とも言えるでしょう。客観的正しさによる選択と、感情である愛による選択。だれもが正しさを選ぶべきだと感じるからこそ、セカイよりも愛をとる姿はいっそうロマンティックに映る。問題はどのようにして愛が世界に勝るかです。

そして本作はこの変化の過程に、少なくとも4つの大きな出来事をおいています。そしてその出来事の渦中の人物として登場するのが、ティアを除いたヒロインです。彼女らと主人公を影響させ合い、また短いながらもヒロインとの個別エピソードも用意することで、たった1人のヒロインのために収束していくセカイ系の物語を展開しつつも、多くの恋愛ADVの文脈になぞらえた複数ヒロインとのエピソードを両立させることに挑戦しています。

セカイ系はその構造上、複数ヒロインを登場させるにはテクニックがいると感じます。一方でフルプライス帯の恋愛ADVは、複数ヒロインが基本。本作はまず主人公をセカイを優先する人物として描き、それが変容してく過程に他ヒロインとのエピソードを盛り込むやり方で、この融合を果たそうとしている…と感じました。

これが本作のユニークな点であり、また後述する欠点にも繋がっています。そのため、この時点で同意できないのであれば、この先はいっそう同意しがたい内容になるであろうことを、ここに書いておきます。

彼に影響を与える、4人の彼女

そのエピソードでもって、カイムに影響を与えたヒロイン。それぞれが、どのような影響を与えたのでしょうか。

正しさという剣に振られるな…フィオネ・シルヴァリア

カイムがずっと頼りにしてきた、正しさ。それを疑うことを描いたのがフィオネ・シルヴァリア(以下、フィオ)とのエピソードでした。

フィオはずっと、防疫局として自身の行い正しいことだとしてきました。羽狩りの時に乱暴なやり口も全ては正しさに基づくもので、だからこそこれは間違っていないのだと信じてきました。また過去に自身の手で実父を治癒院へ送ったこともあり、この行いが正しくないとその罪悪感に耐えられない一面もありました。彼女もまた、正しさに救われていたと言えるでしょう。しかし、そんな彼女が今日まで目を背けていた真実は、残酷なものでした。

治癒院はその実は単なる実験施設で、送還された羽化病患者は誰一人として生きていない。むしろ殺すために捉えてすらいた。フィオはそんな治癒院を疑うことができる立場にいましたが、この行いは正しいのだという思い込み、目を背けたい気持ちがそうさせませんでした。それが、とてつもない代償をもたらしたのです。

自身は正しいどころか、大悪であった。その事実はフィオを打ちのめします。

そんなフィオを立ち上がらせたのは、兄クーガー・シルヴァリアの言葉でした。

剣に振られるな。何に剣を振るべきかを自身の目で見極めよ。

国の上層部が提示してきた正しさに振られていたフィオ。しかし、今度は自身の手で持って正しさを探すべく、立ち上がります。彼女は治癒院へ残り、真相へ迫ることを決意する。治癒院にいる以上、これからもまた羽化病患者を犠牲にし続けることになるでしょう。しかしその罪を背負い、痛みを抱えながらも自身の思う正しさへと進む。

このフィオの姿は、正に物語終盤、客観的な…自身で見極めたものでない正しさに揺れるカイムにとって、ヒントになっただろうと思います。もっともカイムを迷わせたのは、治癒院と違って疑いの余地なない正しさであるため、全く同じだったとすることはできません。しかし、影響を受けていないとも思えません。

正しさという剣に振られるな

フィオが、最初のエピソードでカイムに与えた影響です。

ただフィオがこの後、治癒院の真相を暴く上では一切出番がなかったことが、本作の不満点の一つです。

自由という名の猛毒を歩む…エリス・フローラリア

その生い立ちにより、命令がないと生きられなくなったヒロイン。
それがエリス・フローラリア(以下、エリス)でした。

エリスは物心ついたときから閉ざされた空間で“飼われて”いました。その状況はすさまじいもので、太陽や風の存在すら知らなかったほどでした。両親はエリスに命令をし、エリスはそれに従えば褒められ、遂行できなければ暴力を受けました。その両親以外の人と一切かかわりを持たないまま成長したエリスは、命令がなければ生きられない人間になってしまいます。自分で考えて行動することが、できない人物になってしまったのです。

カイムはエリスを身請けし、自由に生きろと言います。一般的に、自分の意思で自由に行動できることは、そうでないことよりも望ましいとされます。しかし、エリスにとっては真逆でした。彼女にとって、自由とは猛毒であったのです。

人の命令を聞き、その通りにする。そのような生き方しかできなくなったエリスにとって、命令がない自由な状態は地獄でした。

そんなエリスを、カイムは真っ当な人間に変えようとします。カイムの言う真っ当な人間とは、それ即ち命令がなくとも自身の行動を自身の考えて決められる人物。しかし前述の通り、そもそも他でもないカイム自身が、自分の行動を正しさ、妥当性によってしか決められず、考えて判断することができない人物でありました。だからこそ、そのような人物へと変化することをエリスに求めたのです。エリスに自身のできない変化をさせることで、何かを達成したような心地になり、肝心の自分自身から目を逸らそうとしました。

当然、エリスはこれに猛反発します。命令がないと、私は生きられない。

そもそも、自由とは誰にとっても理想であり、また誰にとっても猛毒である

エリスは極端ではありますが、彼女があれだけ自由を恐れる気持ちに、私は共感を覚えました。
自由とは理想のようで、実際は猛毒のような苦しみも伴うからです。

自由であれば、私たちは行動を自身で選択し決めねばなりません。どのようにすれば自身は幸せになれるのかを自分の頭で考え、決定する必要があります。そして自分で選択して決定したからこそ、そこには責任が伴います。そのうえ失敗したとしても、周りは助けてくれないでしょう。アナタが自由に行動した結果でしょう?と。

その点、命令を聞くのは楽です。それにより良い方へ向かうかを考えるのは命令者であり、責任もまた命令者が負うでしょうし、失敗したとしても命令者のせいにすることができます。

エリスはこのような理由から自由を恐れたわけではありません。しかし、自由であることの苦しみを表すヒロインでありました。自身で考えて行動することが、どれだけ苦しいことか。それが彼女のエピソードには込められているように感じました。

自由とは、何をやってもいいということではありません。どのようにすれば良いかを考え決定し、その責任まで負うことであります。エリスは、そのような猛毒へと歩みだしたのです。

「自由=自身で考え決定することは、その実は猛毒である。それでも、自分を求めて歩みだすこと」

自身の考えを持てず、いつも大局的、客観的な正しさや妥当性でしか物事を選択できないカイムに、このことを伝えたのがエリスでありました。

にも関わらず、カイムはエリスに良いことをしてやった…みたいな雰囲気でこの章が閉じられることがが、本作の大きな不満点の一つです。カイムは、エリスを自由と言う名の猛毒の瘴気の中へと放り込んだのですから。そしてエリスはカイムにとって「自分の生きる意味を考える」という誓約を肩代わりさせた存在でもあるため、彼女を手放すことはカイムにとっても辛い出来事であるはずですが、そのような描写がないのも気になる点です。

正しくもない、妥当でもない、生まれてきた意味。それを決して曲げない意志…コレット=アナスタシア

例え何があろうと、自身の信仰を決して曲げない。
コレット=アナスタシア(以下、コレット)はそのような人物でありました。

コレットは夢の中で天使様の声を聴き、そのことを皆に伝えますが、誰にも信じてもらえません。それに対し、やり方を変えろというカイム。夢の話など誰も信じない。だから搦め手を使って信じ込ませればいいと。しかし、コレットは自身の信仰の道を反れるようなことは絶対しない。天使様の声を捻じ曲げて信じさせるようなことは、何があってもしないと突っぱねます。

カイムの言うことは、確かに妥当でしょう。天使様の声はコレットにしか聞こえず、また力ある立場なのですから、いくらでも信じ込ませる方法はあったはずです。しかし、コレットは頑なです。

コレットにとって信仰とは、彼女が生まれてきた意味だからです。
コレットはカイムがいつまで経っても見つけられない「私はこのために生きる」というものを、見つけているのです。そしてそれを絶対に曲げない強さを持っている。

もちろんコレットとて、結果をみてやり方を変えるべきであることは十分理解しています。その証拠であるのが、チェスのシーン。コレットはカイムとのチェスを繰り返すたびに上達します。負けた後、その原因を突き詰めて改善する頭脳をコレットは十分に持っている。だから彼女は、天使様の声を信じさせるために方法を変えることはできたはずです。だが、しない。

彼女にとって信仰とは自身が生まれてきた意味そのものであり、曲げたらもうそれは自分ではない。だからそれが妥当でなくても、信仰によるやり方は決して変えない。

いつでも正しさ、妥当性を重んじてきたカイムにとって、コレットのあり方は衝撃の大きいものだったと思います。カイムが持っていない者を持つ人物に映ったと思います。たとえ結果が伴わくとも、あるいは自身の生命すら危ぶまれる事態になっても、絶対に曲げない生きる意味を彼女は見つけていたのですから。

カイムは、牢獄でそのようなものにこだわっていたら、あっという間に死体になる…と言います。しかしコレットは、例え死体になろうが、自身の重んずるものを決して変えない強さを持った人物であったのです。

「正しくなくとも、妥当でなくとも、それが自身の生きる意味であるならば、それを決して曲げない意志」

コレットは、カイムにこのような影響を与えたとみています。

例え何かを失う道であっても、それを歩む覚悟を。リシア・ド・ノーヴァス・ユーリィ

リシア・ド・ノーヴァス・ユーリィ(以下、リシア)は、二つの道を求めた人物でありました。1つは、父と同じ王の道。もう一つは、愛と信頼に囲まれる道です。しかし、この二つは両立しえないものでした。

リシアの父=国王は、厳格な人物でありました。王は万民にとっての父でなければならないと考え、例え家族であっても個人的な感情を持って接することはしませんでした。それゆえに、リシアは愛に飢えます。またリシアは王女という立場であるため、心から信頼のおける人物に出会えずにいました。誰もがリシアではなく、その裏にある権力を透かして見ていたのでしょう。だから彼女は、疑惑が浮上してなお執政公ギルバルト・ディス・バルシュタインを疑うことを嫌がります。数少ない信頼している人物であったからです。

このような経験からリシアは当たり前の愛、そして信頼のおける人物に囲まれることを願います。そして彼女が同時に目指していたのが、父のような国王になる道です。しかし、この二つの道は両立しえないものでありました。

国王とは即ち、万民の父であること。誰にとっても平等な父であること。そのため、特定の人物を愛することも、信頼することもできません。そのような人物を愛し信頼する者もまたおらず、だからリシアは国王への道を歩むならば、愛と信頼を捨てる必要がありました。誰かを信頼しすぎれば、騙されることがあるでしょう。国王が騙されれば、その影響は全国民に及びます。誰も愛さなければ、誰からも愛されないでしょう。

当初リシアは愛と信頼を求めて泣き出しすらしますが、変化します。牢獄の惨状を目の当たりにし、自分にしかできないことがあると悟ったからです。それは孤独な道ですが、リシアにしか歩めない道でありました。いつか父のように…。リシアはその小さい両肩に、都市を背負う覚悟を決めます。愛と信頼を捨てて。

「大きなものを失うことになったとしても、それでも自身にしか歩めない道ならば、それを歩み、そして失う覚悟を」

リシアはカイムに、このような影響を与えたと思っています。

4人の影響を得て、ティアを選ぶカイム

正しさ、妥当性による選択肢かできず、だから都市とティアで、都市を選ぶことしかできなかったカイム。そんな彼も、最後には自身の道を選択することを決意します。

そこにはきっと、4人のヒロインの影響があったと私は考えています。



ずっと信頼してきた正しさを疑うことを、フィオから。
選択して決めることの苦しみと、しかしそれを歩む勇気を、エリスから。
自身が選択し見つけた生きる意味が、正しくなくとも、妥当でなくとも貫き通す強さを、コレットから。
選ぶことによって大切なものを失うとしても、自分にしか歩めない道ならば、歩む覚悟を持つことをリシアから。

複数ヒロインと両立しづらい、たった1人へと収束するセカイ系。
しかし本作は、そのたった1人へと収束するまでの過程に複数のヒロインを登場させることで、その融合を試みた。
またそのようなこと抜きにしても、ユニークな世界設定と印象的な出来事、伏線の連鎖で、興味深い物語を展開した。

このようなところが、本作の評価点であると感じています。


また現実世界へのメッセージ性…とりわけ本作がターゲットにしているであろう若い世代へのメッセージを感じられる内容でもありました。全編とは言わずとも、生き方、考え方に惹かれるシーンがあったプレイヤーは多いのではないでしょうか。

終盤、ヒロインの影が薄いのは難点

本作の最大の不満点は、物語終盤はティア以外のヒロインの影が薄いことです。特にカイムが都市よりもティアを選ぶシーンにおいては、フィオ、コレット、リシアから影響を受けているような描写が薄い。これはとても残念な点です。エリスは描写があります。しかし最も大きな存在であったのはルキウスやジークに見え(彼らも大きいでしょうが)、ヒロインたちがカイムに何かを与えているように感じられません。

とはいえ、そもそもヒロインから影響を受けているという話自体が私の考えによるものであるため、この考え自体が誤っていれば、この不満点は的外れになるんですけども…

終わりに

細かい不満点はまだいくらかありますが、既に多くのレビュアーが指摘しているだろうと思うので書きません。あと疲れたので。

これにて、私にとっての『穢翼のユースティア』を完了とします。

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