『アカイイト HD REMASTER』を遊びんだ。
良い点、悪い点。それぞれいくつか思い浮かぶ。だけど最も面白い点で、こうしてブログで語りたいと思ったのは、そのシナリオ構造。
『アカイイト』が『ToHeart』から始まったと言われるノベル形式恋愛ADVに分類されることは間違いない。
本作は一人の主人公が複数のヒロインそれぞれと仲を深めるマルチエンド形式で、そのエンディングへの分岐は選択肢によって決定される。
選択肢によって不可視の――通常、好感度と呼称される――数値が変化し、その蓄積によって、どのヒロインとの物語に分岐し、どのようなエンディングを迎えるのかが決まる。ゲームプレイにアクションは一切伴わない。これは『ToHeart』式恋愛ADVの典型であり、『アカイイト』も同様の仕組みを採用している。
さてこのジャンルをレビューするとき、その評価軸は大抵の場合、以下の点になる。
・シナリオは面白かったか?
・CG、ビジュアルの出来は良かったか?
・音楽は良かったか?
・キャラクターは魅力的であったか?
・これらが重なり合ってできるシーンは、良かったか?
こんなところ。
このジャンルは他ジャンルで重視されづらい点が凄く重要になったりする。特にシナリオは評価の大部分を占める…と私は思っている。遊びを構成する要素がシンプルなぶん、評価軸もシンプルなのだ。もっとも、そのシナリオを構成する要素はそれこそ無限大であるため、シナリオの評価軸は多岐にわたるのだが…。
では『アカイイト HD REMASTER』はどうだったかと言うと、上記の評価点で見た場合、ちょっとひいき目に見ても、中の上ってところ。
シナリオは一部、描写不足を感じる。だがエンタメらしい盛り上がるシーンは抑えている。
CG、ビジュアルはさすがに元が2004年の作品なので、やや古いか。音楽は嫌いではない…が、サントラをリピートしたくなるほどでもない。キャラクターは独自性があって面白い。特に主人公が魅力的で、その魅力により日常シーンが面白く読めるのが好印象だった。これらを総合したシーンは、正直、感情を揺さぶる力を持っていたとは思えない。だが比較的短くまとまっていることもあり、最後まで飽きずにプレイできた。
ビジュアルの古さは、本作がそもそもリマスターであることを考慮すれば、そのまま現代のゲームと同じ基準で不可とするのは正当性に欠けるだろう。描写不足や感情を揺さぶる力の弱さも、シナリオのコンパクトさを考えると、一概にダメと言うのは気が引ける。とはいえ、短い中でもシナリオに移入させるのが技術の見せどころだとも思うので、マイナス無しとは言えない。音楽は加点減点の要素にするのが難しいので、今回は考慮しない。キャラクターは良い。そしてキャラクターの良さが日常シーンを面白くしていて(ユニークな会話劇に繋がる、等)、それにより序盤の時点で面白くプレイで来たのはとても良い。
…と、かなり簡単にではあるけど、こんな感じで本作のレビューを終わらせることもできる。
が、それはもったいない。
なぜもったいないのか?
それは本作が上に書いた評価点に当てはまらない、面白い点を持つ作品だったから。これは『ToHeart』式恋愛ADVにおいて珍しい点であって、またシナリオライターの発想の面白さを感じる点でもある。
ではその点とは、具体的に何か?
それは言うなれば「シナリオの構造」、別の言い方をすれば「シナリオ全体を俯瞰して見た時の形」だ。
以下、詳しく解説する。
多くの恋愛ADVは、ヒロインの数だけ、独立したお話がパッケージングされている
『ToHeart』式恋愛ADV…と毎回書くのも面倒なので、ここからはこれを一般的な恋愛ADVだとして話を進める。
さて『アカイイト』のシナリオ構成の面白さを解説するために、まずは一般的な恋愛ADVのシナリオ構造について話す。大丈夫、難しい話は何もない。
『ToHeart』に限らない話だけど、多くの恋愛ADVは、攻略対象になるヒロインの数だけ、独立したお話(いわゆる個別ルート)が1つにパッケージングされている。
同じ作品にでてくるヒロイン同士であっても、その物語はヒロインごとに独立しており、そこに繋がりはないのだ。例えばヒロインAの話をプレイしないとヒロインBの話は意味が分からないとか、ヒロインBの話の伏線がヒロインAの話で回収されるとか、そういうことは基本的にない。ヒロインとの物語は、それ1つで独立しており、完結することが大半だ。
つまり恋愛ADVのシナリオ構造は、外枠から見ると「全ヒロイン共通の物語+n本の独立した物語」を1つにしたものと言える。独立した物語というのがポイント。
nにはヒロインの数が入る。
こんな書き方をすると、恋愛ADVに一家言ある人は納得いかないかもしれない。確かに、例外はいくらでもある。あくまでも全体的な傾向の話だととらえてほしい。全ての作品がそうであるとは言わない。
恋愛ADVにはヒロインの数だけ物語が用意され、それが1つの作品にパッケージされている。それでいて物語は繋がりを持っておらず、1つ1つが単独で完結する。つまり恋愛ADVにおいてそれぞれの物語を遊ぶということは、同じ作品を遊び続けているにも関わらず、全く別の物語を遊ぶということでもある。
ヒロインAの物語を遊び終え、続けてヒロインBの物語を遊んだとする。だがヒロインBは、ヒロインAと同じゲームの登場人物であるが、物語は決してヒロインAの続きではないし、補完をするわけでもない。ヒロインBの物語それ単体で独立する。
だからヒロインBの物語を遊ぶとき、他ヒロインの物語で得た知識を踏まえる必要もない。先にヒロインAを遊んでおく必要もない。最初にヒロインBの物語を遊んでもいいし、そこで終わりにしてもいい。物語が独立しているのだから。作品によっては、仮にヒロインAが存在しなかったとしても、ヒロインBの物語が成立しうるほど独立していることもある。
恋愛ADVを遊ぶとき、あるヒロインの物語を終え、別のヒロインの物語を遊び始める時、それは一冊の本の続きを開くよりも、新しい一冊を読み始める感覚に近い。それはヒロイン間で物語が独立しているからであり、それが恋愛ADVの特徴でもある。
では、その恋愛ADVの系譜である『アカイイト』はどうだったのか?
結論から言うと『アカイイト』において、ヒロインごとの物語は独立していない。
『アカイイト』は恋愛ADVの「全ヒロイン共通の物語+n本の独立した物語」という特徴に対し、面白いアプローチをかけている。これこそが本作の大きな評価点で、単純なシナリオの良し悪しなどでレビューを完結させるのはもったいないと感じる理由でもある。
独立した物語を集めると、一つの大きな物語が完成する『アカイイト』
では『アカイイト』のシナリオ構造とはどのようなものか。
結論から言うと本作は、複数ヒロインの独立した物語集…という形をとりつつも、その物語を集めることによって、一本の大きな物語が完成する構造を持っている。
本作には5人のヒロインがいる。それぞれが個別の物語を持っていて、どの物語に分岐するかはプレイヤーの選択肢によって決定される。ヒロインそれぞれと親密になるエンディングがある(厳密にはいわゆるルートロックがあり、ある程度攻略の順番は決まっているけれど)。
だが本作の面白い試みは、ヒロインの物語それぞれが『アカイイト』のシナリオの全容を明らかにするための欠片としても機能している点だ。
というのも本作には、作品世界の過去から現在にまで連なる大きな出来事が、物語の軸として用意されているのだ。(ここでは適当に「アカイイト事件」とでも呼んでおく)
そしてこの事件には主人公とヒロイン全員が何らかの形で関わっており、その全容は『アカイイト』の全てのヒロインの物語を遊ぶことで明らかになっていく。
だから『アカイイト』の物語構造は、独立したn本の物語を遊ぶことで、一つの巨大な物語が完成する形なのだ。これが本作を他多くの恋愛ADVと比較して明らかになる、面白い試みであり、大きな評価点であると考えている。
ここで重要なのは、各ヒロインの物語はそれ単体でも完結していることだ。
「アカイイト事件」の全容は全てのヒロインの物語を通さねば見えてこない。だが、だからといってヒロインの物語が未完であったり、後味の悪い内容であるわけではない。それ単体でも、少なくとも主人公とヒロインは幸せな結末を迎える。「アカイイト事件」にも決着がつく。そのような意味で、確かに本作のヒロインごとの物語は独立している。
だが「アカイイト事件」の全容は、ヒロイン1人の物語では明らかにならない。各ヒロインの物語を遊ぶことで欠片が集まり、やがて全容が見えてくる構造だ。だから本作において、あるヒロインの物語を遊び終え、また別のヒロインの物語を遊び始めることは、新しい本のページを開くことであり、同時に一冊の本への解像度を高めていくような行為でもある。
ヒロインとの物語を終えるたび、物語がより鮮明になっていく。ナゾが明らかになっていく。これは一般的な恋愛ADVではなかなか得られない体験だ。
ましてや本作が2004年の作品のリマスターであることを考えれば、この点はより重要ではなかろうか。現代の恋愛ADVを見ても、このような構造を持った作品はそう多くない。
この構造が、プレイヤーのエネルギーを維持する
『アカイイト』の物語構造は、単にカタチが面白いだけでなく、プレイヤーの体験にも良い効果をもたらす。
それはプレイヤーのエネルギーを維持してくれること。
恋愛ADVにおいてのコンプリートとは大抵の場合、独立したヒロインごとの物語を全て遊ぶことだ。そしてこれは多大なモチベーションを要する。
恋愛ADVの各ヒロインの物語はそれぞれ独立している。だがその内の何本かを遊びおえたとしても、そのゲームをクリアしたとは普通言わない。もちろんどこで止めるかはプレイヤーの自由だ。しかし例えばヒロイン5人中3人の物語を遊び終えたところで止めた場合、それは「投げた」ことと同義になる。途中で止めたものと見なされる。
だから多くのプレイヤーは全ての物語を遊び終えることを目指す。それは一本のゲームを最後まで遊ぶことであるから、例えばドラクエやFFのエンディングを目指すことと同じだ。けど実際の体験としては、前述の通り独立した物語をn本遊ぶ行為だ。つまり恋愛ADVのコンプリートとは、1冊のぶ厚い本を読み終えるというよりは、細かく独立したn冊の本を読み終える感覚に近い。
もし恋愛ADVが一冊のぶ厚い本ならば、ヒロインAの物語からヒロインBの物語に移るとき、それは本で例えると続きを読む行為にあたる。だがヒロインAとヒロインBの物語は独立しており、だから続きを読むという感覚はない。それは新しい本のページを開く行為だ。1本のゲームを遊び続けているのにも関わらず。
そしてヒロインAの物語だけを読み終えた段階でゲームを止めてしまうのは、途中で止めたものとされる。確かに1冊の本を読み終えているのにも関わらず…。
別にこの文化に対してどうこう言うつもりはない。このジャンルは“こういうもの”なのだ。
だがこの前提で成り立つ恋愛ADVにおいて、往々にして問題になる…と私が考えていることがある。
それはこの構造が、プレイヤー自身のゲームを遊び続けるエネルギーを必要とすることだ。
普通、新しい物語のページを開くことはそれなりのエネルギーを要する。新しい物語を読むことは即ち、退屈になりがちな導入部を乗り越え、人物らの関係、状況、ドラマ上の欲求などをインプットすることに等しいからだ。新連載の1話目と、ずっと読み続けている連載の続きを読むのとでは、後者の方がエネルギーが少なく済む。
そして恋愛ADVにおいて、ヒロインAの物語を終えてヒロインBの物語を始めることは、前者に近い感覚があり、だからやはりエネルギーを要する。大きな導入や状況設定は分岐前に終える作品が大半だが、それでも再び1ページから読みはじめるような…起承転結の起から始める感覚がある。同じゲームを遊び続けているのに。
もちろんヒロインAだけを遊んで終わりにしても構わない。つまらなくなったところで放り出しても、誰も文句は言わない。だがそれでも、途中で放り出す気持ち悪さ、罪でも悪でもないのに罪悪感を覚える感覚は、きっと誰もが一度は味わったことがあると思う。
だから恋愛ADVは難しい。エネルギーがいる。
ヒロインAの物語を遊び終えた。その時、続けてヒロインBの物語を開くエネルギーが、プレイヤーにあるだろうか。もう一度「起」からだ。しかし途中で止めることは前述の罪悪感を伴う。だから例えモチベーションがなくとも、プレイヤーは本を開く。そして恋愛ADVは何冊もの本を開かねば、遊び終えたとは見なされない。
そして『アカイイト』はそのシナリオ構造でもって、本を開くプレイヤーのエネルギーを維持してくれる…というわけ。
どういうことか?
上記の通り『アカイイト』において、ヒロインAの物語を遊び終えることは、独立した本を読むことでもあり、同時に大きな「アカイイト事件」の欠片を集めることでもある。
ヒロインAの物語はエンディングをもって完結する。だが「アカイイト事件」はまだ終わらない。だからヒロインBの物語を遊ぶことは、新しい本のページを開くことでもあって、「アカイイト事件」に関する一冊の本の続きを読むことでもある。
それぞれが「アカイイト事件」で繋がるからこそ、プレイヤーは「アカイイト事件」の全容解明をモチベーションに、また新たなページを開くことができる。本作は独立したヒロインごとの物語を、より大きな鎖でつなぎ、コンプリートしたとき一本の物語が完成するよう構成してある。そうして繋げることで、初めから読み始める感覚と、続きを読む感覚を同時にもたらし、プレイヤーが『アカイイト』を最後まで遊ぶエネルギーを維持せんとする。
それは確かに成功している…というのが、私が実際にプレイして感じたことだ。
もちろん『アカイイト』にも欠点はある。
どの物語も大枠では「アカイイト事件」を作る一部であるため、話の流れが似通っていること。恋愛ADVではヒロインによって全く違う物語が展開される作品が多い。ところがその点で本作は、物語が独立しきっていないぶん、遊ぶうちに既視感あるシーンをなぞる感覚が増していく問題を抱えている。
だがこれは必ずしも欠点とは言い切れないと考える。むしろコンテンツが完全に供給過多に陥っている現代においては、利点と見ることすらできる。
なぜなら、話の流れがいくらか似通っていれば、それだけ既知の知識を流用することが可能で、物語を読むために必要なエネルギーを軽減できるからだ。
恋愛ADVは、エネルギーがいる。だが『アカイイト HD REMASTER』ならば、アナタもきっと最後まで遊びきれる。その理由の一端は、本作のユニークな物語構造にある。その物語構造は、現代の作品と比較してみてもユニークで、令和の今改めて本作を遊ぶ価値は確かにあったと感じた所以でもある。
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