「前半は微妙だが、後半は良い」
多くのプレイヤーが述べる『サクラノ詩-櫻の森の上を舞う-』(以下、サクラノ詩)評に、私も異論はありません。
それでも本作が傑作と言われるのは、後半が前半を帳消しにするほど面白いと感じるプレイヤーが多いからなのかもしれません。しかし、私にはそうは思えなかった。終盤は確かに良いシーンがあり、涙すら流れそうになったのは事実でありますが、それでも前半が尾を引き、私は本作を「終盤は良いが前半のマイナスが大きく、高評価は難しい作品」と感じました。
ただこれで終わらせてしまっては、ブログ記事として短すぎます。
そのため、本作を一定程度やりこみ、なぜ前半のマイナスが大きいのかを自分なりに明らかにしました。本記事では、その前半のマイナス…つまらなさが何に起因しているのかを書くことを主題とし、後半では終盤の良さ、そして通読したことにより見えてきたものなどにも触れます。
記事全編でネタバレをしているため、未プレイで楽しみを損ないたくない方は読まないでください。
まず、前半のマイナスの3つの要因
1.よくある美少女ゲームと、そうでないゲームの往復の失敗
本作の前半がつまらないと言われる最大の理由だと感じているのは以下です。
「よくある美少女ゲームと、そうでないゲームの往復の失敗」
二種類のゲームを往復するようなプレイ感覚
私が本作を遊んで最初に感じたのは「思ったより普通の作品」ということでありました。
思ったより、というからには『サクラノ詩』に対して何らかの先入観があったわけですが、これは先達の本作への極めて高い評価、そして同メーカーの『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』(以下、すばひび)の存在が大きく関係しています。
まず『サクラノ詩』への先達による評価ですが、これは重ねて言いますが極めて高い。
ErogameScape -エロゲー批評空間-におけるユーザースコアランキングを見てみれば、本作に並ぶ作品には『装甲悪鬼村正』など、私も大好きな作品があり、そのため本作への期待も高まっておりました。
また、本作と浅からぬ関わりを持っていると思われる『すばひび』は、序盤からして難解…意味不明とすら言っていい内容を展開する作品でありました。
面白いどころか会話文の内容すら把握しづらい『すばひび』。しかしだからこそ無二の味わいを持っていました。あの物語は飲み込みづらくも新鮮であり、『サクラノ詩』にもそのような期待をしていました。
この前提があったからこそ、私は『サクラノ詩』に「思ったよりも普通」だなんて感想を抱くことになりました。
一方で本作は、その普通と言いたくなってしまうシナリオ運びのなかにも、『すばひび』に通ずるような…読み解き甲斐とでも言うべきものがあるシーンを度々挿入します。
まずもって、本作は始まりからして宮沢賢治の『春と修羅』の引用を置き、主人公の実父の火葬のシーンから語り始める…と、およそ「普通」とは言えない印象的なオープニングを用意しています。
ただならぬ傑作の気配感じる開幕でありますが、これは長続きしません。数分もプレイすると、それまでのプレイヤーを静かに誘うような雰囲気はいきなり切られ、主人公による、夏目圭の顔面イジリ…要はギャグシーンへと突然移ります。
ほんの一例でありますが、本作はこうして一読では決して理解できないが、しかし通読したときに景色が変わるような予感を持たせる普通でないシーンと、同ジャンル他作品にもよく見られるような、それこそ普通と言うほかないシーンを往復するようにして、物語を運んでいきます。
この往復は前半こそ特に頻繁で、だからこそ本作の前半はつまらないと評されるのだと考えています。
というのも、往復の片側である普通のシーン。これは主に日常会話、ギャグと下ネタで構成されていますが、平凡で、笑えず、下ネタは陳腐で、およそ面白いとは思えない作りです。
ギャグに関しては知識がないため(他もないが…)、ただ笑えないと言うほかありません。そして目に余るのは下ネタです。これがずいぶんとチープで、まともに読み取ることすら放棄してしまいたくなるほど、寒い。
やれ濡れるだのパンツが見えるだの見えないだの、水に溶けるメイド服だの。
異性愛男性向けへのサービスと言うよりは、底の浅さばかりを感じるシーンだらけで、なるほどこれも通読すれば意味を持つのかもしれませんが、少なくとも初めて本作をプレイした段階では、このジャンルによくある(質の低い)繋ぎにしか見えません。
このようなシーンの挿入自体は、私も否定するつもりはありません。そもそもこのジャンルは異性愛男性向けに振り切っていて当然ですし、それら向けにジャブのような下ネタの挿入はよくあることです。しかし少なくとも私が『サクラノ詩』に…あの『すばひび』と関わりを持ち、押しも押されぬ名作群に並ぶ評価を獲得した本作に求めていたものには、到底達しない内容でありました。
ただ前述の通り、本作の往復のもう片方は、これと全く違うプレイ感覚をもたらすものでした。そしてそれこそが私が『サクラノ詩』に期待し、見たいと思ったものでありました。それは一見して普通でなく、だから今は意味が分からないけれど、振り返ったときにどのような色彩を持つのかが楽しみになるような、そんなシーンです。
本作は、まるで2種類のゲームを往復するかのように、普通のシーンと、そうでないシーンを往復します。
それは良いと思います。しかし普通のシーンのクオリティが低い。日常会話はいたって普通の内容で面白とは言えませんし、ギャグは笑えず、下ネタは寒い。
普通でないシーンがやや難解でもあるため、プレイヤーを飽きさせない工夫として、普通のシーンを挿入したのかもしれません。しかしこれは特に前半は分量が多く、またお世辞にも良いと言えない内容でありました。だからこそ本作の前半は、面白くないと感じました。
私が本作に高評価をつけづらいと感じた、最大の理由です。
2.ヒロインに興味を持たせる力の不足
『サクラノ詩』もそうで、多くの同ジャンル作品がとる共通ルートから個別ルートへ派生する物語展開。
これを面白く遊ばせるために重要なポイントになり得るのが、ヒロインへ興味を持たせることだと考えています。そして本作には、これが不足していると感じました。
共通ルートで、ヒロインに興味を持せられない
このお話の続きを読んでみたい。
世の大抵の物語に当たり前に求められ、そのくせ達成が極めて難しいのが、受け手に上記の感覚を抱かせることだと思います。この限りでない物語ももちろん多く存在しますが、それはそれで、いずれにせよ読者が次のページをめくりたくなる魅力を持たせる必要があることは変わらないでしょう。
では『サクラノ詩』はどうだったか。
私はこれを、その力がないとは思わない一方、やや不足が目立つと感じました。
共通ルートから個別ルートへ派生するスタイルをやるならば、まず共通で個別への興味を持たせるのが王道のやり方で、本作もその形をとっています。共通でヒロイン、あるいは主人公にまつわる何らかの謎や引っ掛かりを提示し、それがプレイヤーにとってページをめくる原動力となり、個別で応えていく。
本作の共通ルートには、そのようなシーンがいくつも見られます。
例えば序盤、今は絵を描くことをやめた主人公に、夏目圭が怒りを露わにするシーンがあります。
それまではメイド服を着せられるなど、いかにもギャグ要員と言っていい扱いを受けていた夏目圭。だからこそ本気で主人公に怒るシーンは強いギャップがあり、一体二人に何が?と強い興味を持つきっかけになるシーンでした。
またこのほかにも、本作にはヒロインへ興味を持たせるための描写はいくつも見られます。
明らかに何らかの因縁を漂わせ、またオスカー・ワイルドの『幸福な王子』について語らうシーンなどから一際印象付けられる稟。
初対面を装っているような描写と、出会いのシーンでの1枚絵の挿入により重要人物であることが明らかな雫。
主人公は忘れているけれど、過去になんらかの繋がりがあったと思われる優実。
本作がこうして残す引っ掛かりや謎は、私にとって確かにその先への興味を持たせるものでありました。が、この力がどうにも弱いとも感じました。少なくとも、興味への解答が示される個別ルート、あるいは全てが明らかになる最終盤まで、私を引き付けてくれるものではありませんでした。
引き付けられない理由として、第一に、提示される謎と引っ掛かりが、長い間ごく浅い部分で止まったままでいることが挙げられます。
その描写から、雫や優実、圭らと主人公の間に、過去に何かがあったのは明らかです。また主人公は絵をやめた理由を頑なに明かそうとせず、それも興味深い点です。しかし共通ルートの段階では、逆に言ってしまうと、これ以上の踏み込みはほとんどないと感じました。
過去に何かがあったのならば、その過去へ興味を持ちます。その興味を持続させたまま個別ルートへ突入し明らかにされ始めれば、興味に応える内容であるため、その先のページをめくりたくなります。しかし本作は、ごく序盤で過去に何かがあった、と示した後は、長い間それ以上は触れず、それどころかそれに全く関連しない話すら展開し始めてしまいます。
その間には前述の「普通のシーン」も多く挿入されるため、せっかく一度抱いた興味が、遊ぶうちにしおれていくような感覚がしました。興味を持たせるためのフックこそありますが、しかしそこから個別ルート突入まで、その興味を持続させてくれない。
過去に何かがあったと一度示したならば、次は朧気にでも過去を明らかにしながら、もっと知りたいと欲を持たせてくれればよかったのですが、本作は過去に何かがあったと連続で示し続けるばかりであるように見えます。
そうしてしおれ始めた興味にとどめを刺してしまうのが、共通ルートの後半。明石亘へとスポットを当てる物語です。
明石自身は謎の多い人物で、その行動の真相は確かに興味深い。しかし、それは本作が序盤でプレイヤーに提示したものとは、別種であるのも事実です。
本作が提示したのは主人公や稟、雫や圭らに対しての謎であり、そこに明石が関係しているようには感じられませんし、実際プレイしてみても、明石の行動の理由こそ次々に明らかになる一方で、それがそれまで示された謎に繋がるとも感じられません。
本作の明石の話はあくまで明石の話に終始してしまっており、今気になっている主人公の過去でも、ましてや稟や優実の過去でもない。それは一度抱かせた興味を放り出して別の話を始められるような感覚があり、そのうえ分量も多く前半の大部分を占めるため、やがてせっかく抱いた興味が、完全にしおれきってしまう。
明石の話の終盤にはハッとさせられるシーンもありますし、何より力を合わせて作品を作るシーンは、なるほど感動的でしょう。しかしそれは、私が興味を持った話への解答ではなかった。私が知りたく、また本作が提示したのは、過去に何があったかであり、明石が今何をやっているかではないのですから。
明石の話自体の良し悪しというよりは、別種の興味を抱かせたうえで、決して短くない明石の話を始めてしまうこと。またその間、興味を持たせ続ける工夫が不足していたこと…つまり興味を持続させる力がなかったこと。
これが、本作の前半がつまらないと言われる理由の一つだと考えています。
3.鳥谷真琴ルートの存在
鳥谷真琴自身が嫌いなわけでないこと(むしろ藍と並んで最も好きなヒロイン)、また彼女のファンもいるであろうことを考えると、このようなことを書くのは心苦しくもあります。
しかし私は、本作の前半がつまらない理由は、真琴の個別ルートがあったからだと思わずにはいられません。
お話としての出来がよくない、真琴ルート
本作はルートロックの仕組みを用いた作品です。
具体的に言うと、最初は鳥谷真琴、御桜稟のルートにしか入れず、その後に氷川里奈&川内野優実ルート。更に夏目雫ルート。最後に続編へと繋がる正史ルートを遊べるようになります。
つまり、本作はどうあがいてもプレイ前半の段階で、真琴ルートをプレイする必要があります。そして真琴ルートは、歯に衣着せず言ってしまえば、面白くない。
そう感じる理由はいくつもありますが、まず最初に、真琴は共通ルート段階でも、あまり興味を持てないヒロインであることが挙げられます。
稟や雫と違い、真琴は個別ルートでの解消が期待されるような謎、引っ掛かりをあまり残さないと感じました。真琴は主人公に思うところはある素振りを見せますが、それは過去の因縁ほどの興味に繋がらないと感じます。少なくとも、真琴ルートに入った段階では、私は真琴のことをもっと知りたい、この話を読んでみたいと思うことができずにいました。
ですが、真琴ルートは遊ばない選択ができないどころか、絶対に最初、あるいは2番目に遊ばなくてはいけないルートでありました。
では真琴ルートが始まってみればどうかと見れば、これも不満の多い内容でした。
いまひとつ重要度のわからない話のラインが同時に進行するからです。
まず立ち上がる真琴と母である校長の確執ですが、これは良いと感じます。話の軸となりうる要素だと感じます。しかしそこから見えてくるのは、全く予想だにしていない物語でした。中村家と鳥谷家の因縁です。
本作の全体を俯瞰してみれば、中村と鳥谷の関係は重要な点と言えるでしょう。しかし真琴ルート開始時点では、そもそも中村家は初耳ですし、鳥谷家との因縁が物語にとってどの程度大切なのかも不明ですから、言ってしまえば興味の範疇の外にある。共通ルートの段階で両家の因縁の解明が重要であることを示唆していれば良いのですが、ほとんどなかったように思います。
もともと立ち上がっている主人公の過去への興味と、全く別種である真琴と母の確執。更に中村家と鳥谷家の因縁。
私としてはこの話はいったいどれにスポットを当てる話なのかが見えず、今一つ注目点がわからずにいたのですが、真琴ルートは更に話のラインを足し算していきます。
真琴のムーア展に関する話と、焼き物が売れていく話。真琴が主人公に絵を描いてほしいと切望する話。恩田親子と本間麗華の話。
どれが話の中心であるのか。このルートは最終的に何を解消することをエンディングとしているのかがいよいよ不明瞭になり、その中で突如、圭が真の弟であることが明らかになりますが、これも全く驚きどころになっていません(そもそも驚かせようとしていないかもですが…)。圭と真琴が弟と姉の関係であることが明らかになったところで、既に立ち上がっている話のラインに決着をつけることにはならないからです。
しかしこれは確かに、共通ルートでは明らかにされず、また真琴が秘していた新事実であり、このルートの重要な転換点にも錯覚されます。
真琴ルートは共通ルートでの伏線が弱いぶん、どこに注目すればいいかが分かりづらく、話自体も多層に展開しすぎていることから、今一つ興味を持って遊べない物語になってしまっていると感じました。
更に、これは本作全体にかかる問題とも言えますが、真琴ルートは実在の画家の作品や、実際に使われている美術に関する技術への言及が多いのに、それをプレイヤーに解説することをあまりやらないのも気になりました。
真琴が「〇〇があるでしょう?」と言い、主人公が「ああ、アレか。もちろん知っているよ」と答え、そのまま話が進んでいってしまうのです。〇〇には実在の絵画や、焼き物に関する専門知識が入りますが、これはプレイヤーにも解説すべきです。絵画ならば1枚絵を挿入して見せるべきですし、専門知識ならばプレイヤーにも解説したうえで話をしてくれないと、まるで蚊帳の外に放られたような心持ちにすらなります。
もちろんテキストでの説明はありますが、そもそも話の中の2人は具体的な絵画や技術を視覚含めた感覚にもとづくイメージで話しているのに、プレイヤーはそうでないため乖離は大きく、当然知っているような体で話を進めるのは、時に遊ぶ側の不快感すら煽る恐れがあると感じます。
このような場合、主人公側が知識を持っておらず、ヒロインに解説させるのが王道であると思います。しかし主人公は美術に関して英才教育を受けた設定でありますから、そのような運びはできなかったのでしょう。
またとても細かい点ではありますが、ルート内に登場する悪役、本間麗華のセリフ回しがあまりにも幼稚であるのも気になります。
親も馬鹿だし、子供も馬鹿だし、分家の娘も馬鹿だし、馬鹿ばっかり馬鹿ばっかり馬鹿ばっかり馬鹿ばっかり馬鹿ばっかり馬鹿ばっかりの一族!!
サクラノ詩-櫻の森の上を舞う- より
ほんのワンシーンの話ではあります。しかし信じられないセリフ回しであり、大人の発する言葉とは思えません。目を覆いたくなります。
上記のような問題を抱えた真琴ルートが、物語前半にプレイ必須として置かれていること。人によっては最初にあそぶ個別ルートであること。これが本作の前半がつまらないと言われる大きな理由の一つであると考えています。
また、ヒロインへの興味を持ちづらいのに前半にプレイ必須というのは、真琴ほどでないにせよ、里奈&優実ルートも同じです。今一つ重要度がわからない過去話が唐突に始まる点も同様で、これもまた前半の評価の低さにつながっているポイントだと考えています。里奈→主人公以外の恋心の動機に説得力がない点も、問題だと感じます。
一方稟ルートは全くの例外です。彼女のルートには、このような不満点はありません。
では、終盤の良い点はどうか ※ここから更に重大なネタバレあり
これに関しては、既に多くの方が残しているレビューや感想への同意しかありません。
上記の問題点の解消
まず終盤の良い点として感じたのが、上記の問題点の解消です。
ここでの終盤とは、雫ルートを終えたあと…主人公が特定のヒロインと結ばれず、作品をムーア展に出すことを決める正史ルートに入った時点を指しています。
ここまで来ると、本作は下ネタやギャグを廃して本筋を進行させることに注力します。その本筋は共通ルートで伏線のあった圭と主人公の関係を明らかにすること。そして主人公のその先を描くことであり、合間にはドラマチックな出来事も多く、いよいよもって「面白い話」へと変化していくように感じられました。
ただし、それまでが長すぎた。遊ぶ私は既にこの時点で相当に疲弊しており、面白いと感じつつも本作へのマイナスのイメージを払拭はできませんでした。だからこそ私は本作を傑作とまでは言えないと感じてます。
随所の良いシーン
本作の終盤は、セーブデータを残し、また何度も振り返りたいと思える良いシーンがいくつもあります。このシーンは本作の大変良い点だと感じました。
例えば私が最も好きなシーンは、主人公が復帰作「蝶を夢む」を壇上で発表するシーンです。
圭がより高く羽ばたくため。
絵を描く前の主人公は確かにそう言っており、しかし内面には圭へのライバル心。そして今も消えない夢への想いがありました。一方で「蝶を夢む」は、羽ばたく圭を蝶に見立て、そしてその大地を海と渦潮に見立て、まるで遠い場所へ正に飛んで行かんとする圭の背中を押す一枚にも見えます。
主人公がこの大地にさく桜で、圭が羽ばたく蝶ならば、圭を打倒せんと描かれた一枚でありながら、誰よりも圭を認め、ずっと高い場所へ飛んでいけると信じている主人公の心情が現れているようで、それに甚く感動したシーンでありました。
作中にいくつもの絵画が登場しながら、頑なにそのCGは挿入しない本作。ですがそれも全て「蝶を夢む」など重要な絵画を印象付けるための仕組みだったなら、やられたと言う他ありません。
この他にもいくつも、断片的ですが良いシーンがありました。そのシーンが本作の言いたいことと直接つながっているかは私には理解しきれませんが、忘れらないシーンを作ることそれ自体が難しいだろうと思うため、大きな評価点だと感じています。またシーンをよりエモーショナルに演出した存在として、音楽の力も大きいと感じています。
そのシーンで語られる言葉は人を勇気づけるもので、本作を極めて高く評価する人が多いことにも納得できます。
総合的な感想
言いたいことは書きました。
終盤が良いのは間違いありません。また振り返ってみればムダに見えたシーンが意味を持つこともあるでしょう。ただやはり前半で感じた退屈を帳消しにしたとも感じられず、諸手をあげての高評価は難しい作品…というのが私の感想です。
感想は以上です。
最後に…サクラノ詩のテーマ、込められたものについて
最後に、サクラノ詩を遊んで感じた本作のテーマ…というか、シナリオに込められたものについて、私なりに書き残しておきます。
ぶっちゃけるとよく分からん
いきなり身も蓋もないことを言います。
はっきり言ってしまえば、よく分かりません。
…というのも『すばひび』もそうでしたが、SCA-自の話は難しすぎて、私には何のことを言っているのかさっぱり分からないシーンがかなり多いんですよね。
主に、凛が旅立つ前、桜の下でふたり寝転がって話すシーン。本当に終盤、大人になった主人公が藍に心情というか、ようやく気が付いたことを吐露するシーンなどがそうです。いずれも極めて重要であることは間違いないでしょうから、ここを理解できないのは苦しいのですが…
とはいえ、続編がある以上は、本作は何を言い残していったのか…というのを私なりに確定させておきたいので、不十分は承知で書く次第です。断定口調で書きますが、いずれもいち解釈であることをここで断っておきます。
主人公は、羽ばたかなくても良いことを知った
本作は、主人公が最終的に何かに気づいたことでエンディングを迎える作品だと感じました。ログラインっぽく書くならば、主人公がなんやかんやあって何かに気づく話です。
では主人公は何に気づいたのか?
それは、羽ばたかなくても良いこと…だと思っています。解説していきます。
自身の中に、絶対の神を持っていた稟
稟は自身の中に神を持っていました(本当は違うようですが…)。その神は絶対的で揺らぐことなく、だから稟は大衆に評価を委ねることなく、自身の神に従うことだけで美を生み出すことができました。
本来芸術とは、作った後に発表し、その評価は大衆が下すものでありますが、稟は違ったわけです。稟は大衆の劣った審美眼など必要としないほど強い神を自身の中に持っていました。エミリー・ディキンソンなど、実在の芸術家にもそのような人物がいました。
では主人公は、どうだったのでしょうか。
弱い神と共に…主人公
一方で直哉の持つ神は、そのような強いものではありませんでした。
その神は常に大衆とともにあり、そして大衆の評価は時代だとか、誰がその作品を作ったかだとかで揺らぎ、移ろいますから、その意味で稟の神よりずっと弱い神でありました。
例えば一枚の絵があったとして、ある人には落書きにしか見えず、またある人には国宝級の名画に見える。大衆の評価とはそうして人によって全く違うものであり、直哉と共にあるのはそのような神でありました。
直哉は、その神と共にあることの素晴らしさを知ったのだと思っています。
直哉の作品のそばには、いつも人がいました。里奈との共作もそうですし、櫻達の足跡もそうでした。蝶を夢むも、圭がいたからこそ描けた絵でした。そうして人と人との因果の元で作品を生み出す芸術家が直哉であり、自身の中にある絶対的な神に基づいていない分、その神は弱いかもしれませんが、しかしその交流の元にはいつも光が灯っている。
ツバメが飛ぶ大空に、人の因果はあるでしょうか。
櫻の芸術家がその花を咲かせる大地には、いつも人の因果があり、そこにはその交流の証である光が灯ります。その光のように灯るのが彼の作品であり、それが生み出す幸せは小さいかもしれませんが、苦しみがあるからこそ人は幸せを感じられるのだと思えば、幸福とて大きければいいとも言えません。
直哉はもう羽ばたかないかもしれません。圭と夢見た大空は、もう目指さないのかもしれません。しかし櫻の芸術家である彼が咲く大地には、いつも因果交流の光があり、そしてそこはツバメが羽を休めるために帰る場所でもあるでしょう。そこで幸せを紡ぐことの価値を、彼は知ったのだと思います。そしてその櫻の下の大地では、かすかにサクラノ詩が聞こえるのでした。
サクラノ詩って結局何なの?
俺もわかんないから誰か教えてほしい
健一郎が書いた詩であるとは思います。そして健一郎は書いたまんまだよと言っていたので、書いたまんまなんだと思います。
この記事をもって、私にとっての『サクラノ詩』をひとまず完了とします。刻に関しては…正直、この先に何を書く必要があるんだ…?という気持ちもあります。それも含めて、期待が膨らんでいることは確かです。