【夜、灯す】レビュー・評価 テンポと統一感が良い…けれど、爪痕も残しきれない

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レビューの根拠の提示…一般論への転身の容易さについて

レビュー内では色々なことを書きましたが、実際に具体的な例による根拠を提示するのは、一般論云々についてのみに留めます。

課題進展の早さの根拠は提示するのが難しいですし、統一感を具体的に示すのは、物語全体の要素を俯瞰して述べる必要があるため、大変だからです。

一般論云々に関しては、マイナスの意見であるが故にはっきりとした根拠を求める方もいるでしょう(往々にして褒めるのに根拠は重要でないが、貶す時は根拠がしっかりないとダメ)。そのため、これを実際のシーンを用いて示します。

皇 有華の一般論への転身について

レビュー内での一般論云々の根拠は作品全体に渡って見られますが、私は特に有華についてこれが顕著であると思っています。有華は鈴たちの影響で元々持っていた考えを変化させていきます…が、その変化自体があっさり成される上に、変化した先も一般論です。このような点から、本作は順当ですが、順当すぎる内容になっていしまっていると思っています。

有華は言うまでもなく、物語上のカギになる人物です。元々仲の良い鈴たちの間に入り込む異分子であり、鈴たちとは真逆の考えを持っています。鈴らはそんな有華を受け入れないこともできましたが、しかし部長のケガにより、迎え入れる以外の選択肢がなくなっていく。そのため鈴たち反する考えを持つ有華を、いかにして仲間内に引き入れるか…その説得が必要です。これが物語序盤の焦点になっています。しかしプレイすれば分かる通り、有華は驚くほどあっさりとその考えを変化させます。

有華はもともと、本作が最終的にたどり着く「仲間との団結」という一般論とは真逆の考えを持っています。有華は高みを目指しており、そのためには寄り道する暇はないと思っている。それゆえ、志の低い連中と共に演奏するなど時間のムダである…そんな過激な考えを持っている人物でした。

鈴たちは有華を受け入れないという選択もできたのですが、部長のケガによりこれが難しくなっていきます。ちなみにこの部長のケガは暴走する小夜子の仕業であり、このような部分がレビュー内で書いた統一感の根拠の一端です。

そのため鈴たちは何とかして有華を説得する必要があります。本来、ここには困難が伴うはずです…が、有華は仲間との団結の素晴らしさに、実にあっさりと気づいてしまいます。ここが本作の気になるところです。

この時の有華に、もともと持っていた考えをあっさりと変えることが果たしてできるでしょうか?

私は有華の「楽しむなど時間のムダ」みたいな考えは、過激ですが一理あると思っています。鈴たちが追求する「楽しい」だけでは到達できない場所があるでしょう。それこそ有華の目指すものであり、だからこそ相容れないと感じるのは、理解できる部分があります。

では有華が如何にして「楽しい」の大切さ、ひいてはそこから生まれる団結の価値に気づけるかが本作の焦点になるのですが、有華は特に思い悩むこともなく、鈴の言葉に絆されてしまっているように見えます。しかしあの時点の有華が、鈴たちの価値観が真剣なものであると気づくのには、もう少しタメが必要ではないかと考えています。

楽しむこと、団結することが悪なのだとは思いません。問題なのは、有華が理想と鈴たちの考えとの狭間で悩む姿が見られないことです。ここに順当なんだけれど、順当すぎる印象を抱きます。

本気で高みを目指すことは譲らない。それでいて誰かと演奏を楽しんだり、仲間と団結することも大切だと気づく。それを描くには複雑な内面への踏み込みが必要になると思います。音楽の世界は楽しいだけでどうこうなるほど甘いものではないでしょうから、自身より劣る者と手を取り合うことが時間のムダに見えるのも、過激だけれど否定はしきれない。では、この考えをどのように結び付け、鈴らへの協力を決めるのか…そこにある複雑さに、本作は踏み込み切れていないと思っています

マヤの心情について

本作のもう一つの気になる点が、マヤの心情についてです。

私は本作のピークと言える場面は、マヤと有華の衝突のシーンだと思っています。なぜなら、仲間との団結という一般論とマヤの個人的な願いがぶつかり、複雑なところへ踏み込むシーンだからです。鈴の隣を渡したくないというマヤの想いと、一方で仲間と団結するべきであるという一般論。マヤがこれをどのように受け入れていくのか、どのような答えを出すのか、気になりました。しかし本作は、これを半ばギャグ的に消化してしまいます。

互いに協力することを決める有華と鈴らですが、これに反発するのがマヤです。マヤは鈴に対して深い想いを持っており、その隣を有華に譲りたくないと思っていたからです。

これこそが一般論とそれに反発する内面がもたらす複雑さであると思います。仲間との団結という一般論と、鈴の隣は誰にも渡したくないという、利己的だけれど譲れない気持ち。どちらも理解できるだけに、マヤがその狭間で苦しみどんな答えを出すのか、興味深くプレイしました。

しかしフタを開けてみれば、このマヤの気持ちは、半ばギャグ的に消化されてしまいます。

マヤは有華との対決に敗れ、鈴の隣を譲ることになってしまいます。この結果からマヤは、鈴の隣を諦めつつ、しかし仲間同士団結しなければならないという、複雑な内面を抱くことに……ならないんですねコレが。

マヤは自分を守ってくれた有華をもう一人の王子様であるとし、鈴と有華、二人の王子様のカップリングを眺めるのもいいよね!みたいな感情へとたどり着きます。元々持っていた、鈴の隣は誰にも譲れないという利己的な…しかし強い想いが、ギャグ的に消えてしまっていやしないでしょうか。わだかまりなく団結させるにはこれが良いやり方なのかもしれませんが、踏み込みの甘さも感じてしまいます。

これには反論があるかもしれません。マヤは対決に向けて練習する過程で、鈴以外にも自分を見ている人がいることに気づくからです。だから鈴への強い想いがなくとも大丈夫になった…と見ることもできるでしょう。しかし、私はこれにも違和感を覚えます。

そもそもマヤが鈴を想うきっかけになったのは、イジメから自分を守ってくれたからです(描写からはそのようにしか読み取れない)。そこにあるのは単純な鈴への希求心であり、鈴以外には何もないという無力感ではないと思います。

つまりマヤは、鈴以外には何もないから鈴を求めたのではなく、自身には何もないだとかの前提を抜きにして、ただ鈴を求めていた…私にはそう見えます。

ですから、例え鈴以外に自分を見てくれる人がどれだけいたとしても、マヤが鈴を求める気持ちを上書きすることはできないと思います。

そのためマヤは有華を受け入れる気持ちと、鈴の隣を譲りたくない気持ち…その狭間で決着を着ける必要があるのですが、これがギャグのように終わってしまったことを、残念に思いました。有華同様、一般論への転身をあっさりと行ってしまっている部分だと思います。

因みにルイと麗子に関しては、有華とマヤ以上にあっさりとしているため、ここで書くことはしません。大変なので。

根拠の提示は、以上になります。

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