カクヨムにて初の自作小説を公開しました。
絶対に読まないでください。読んじゃダメです。
読むなよ。絶対読むなよ。
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今回はなぜ、今になって自作小説を初公開したのか?について。
昔、作家になりたかった私
私は昔…高校生くらいまでの頃、将来は作家になると宣言していました。
もともと国語だけは得意(と言うか他が壊滅的)だったこと。作文が苦ではない性分であったこと。何よりも、優れた物語を生み出す先生たちに憧れており、自分もああなりたいと思っていたことがその理由です。
しかし、私は自身で作家志望を公言していながら、実際に作品を書いたことは一度もありませんでした。野球をやったことがないのにプロ野球選手を目指しているようなものです。なぜ、書かなかったのでしょうか。
理想との遠さに辟易して、書けない
ブログではしばしばマニアックなゲームを紹介していますが、実際のところの私は大衆向けの作品を好みます。好きな小説は何かと訊かれたら、貴志祐介の『黒い家』とか湊かなえの『告白』とか。谷川流の『涼宮ハルヒの憂鬱』や西尾維新の『クビキリサイクル』なんかも好きです。最近はちょっと趣味も変わってきてまして、湯本香樹実の『ポプラの秋』、吉本ばななの『TSUGUMI』も良かったですね。
そして彼らに憧れて小説を書こうとするたびに、思い知らされるのです。自身の至らなさと、理想のあまりの遠さを。
冒頭の数行を書いただけで、はっきりと分かってしまいます。私には湊かなえのような小説は書けない。西尾維新のようにキャラクターを生み出すことができない、と。人気作家たちの偉大さと、あまりにも貧弱で矮小な私。その差がイヤでイヤで仕方がない。書けば書くほど、差を強く実感することになるでしょう。だからこそ私は、作家を志望していながら、一度も作品を書いたことがありませんでした。
作品を一度も書きあげることなく、私は学校を卒業し就職。かつての夢も、あぁそんな時代もあったっけと思い出すくらいになりました。
しかしそんな私を、今もう一度立ち上がらせるものがありました。それがあったからこそ、理想の遠さと自身の至らなさを身に染みて知ってなお、私は小説を書くことができました。
「それ」とは、フリーノベルゲーム。
このブログでも月1で紹介しているフリーノベルゲームたちが、私に勇気を与えてくれたのです。
フリーノベルゲームの「拙さ」に勇気をもらう
フリーノベルゲームには、やはり拙い作品が少なくありません。
何せ私は普段、企業が開発したタイトル…その道のプロが寄ってたかって金をかけて製作したノベルゲームを遊んでいますから、それと比べてしまって拙さを感じるシーンは確かにある。
しかしこれは当然のことでもあります。それだけで飯を食えるレベルのプロフェッショナルたちが力を合わせて、予算も使って作り上げるゲームと、個人が趣味で開発しているものも多いフリーノベルゲーム。これを比較したら後者に技術、表現での未熟さや拙さが見えるのは当たり前です。
はじめこの拙さは私にとって、そのゲームの品質に対しての免罪符のように感じられました。「フリーノベルゲームだから仕方ない」。そのゲームの至らなさに目をつむるための判断材料のようなものでしかありませんでした。「拙い作品は良くない。だがこれはフリーノベルゲームなのだから、うるさく言うべきでない」と。フリーノベルゲームの拙さは、私にそう言わせるための存在でしかなかったのです。
しかし、これが変化しました。拙さはフリーノベルゲームを遊ぶうちにやがて、私を勇気づける存在へと変わっていったのです。
拙くても、胸を張って作品を生み出すクリエイターに憧れて
そもそも作品の拙さなど、私が指摘するまでもなく、誰よりもまず、開発者本人が感じているだろうと思います。
だって世の中には、素晴らしい作品があふれていますから。
名だたるストーリーテラー、鮮やかにシーンを描くイラストレーター、遊び終えてなお離れない旋律を紡ぐ作曲家。
開発者たちはきっと、その差を日々感じているのではないかと思います。あの名作に比べて、自身の作品はなんて拙いんだろうと思うこともあるでしょう。私がかつて貴志祐介や谷川流と自身を比べてしまったように。
しかし、それでも彼らは筆を置かないことを選んだ。拙さを知っていて、それでも作品を生み出し、胸を張って「私が作ったゲームです」と言える勇気を持っていた。それが眩しく感じられました。拙い作品を遊び、そこにかつて小説を書かずに諦めた自分を見ました。どちらも拙い。しかし違いがありました。拙いがゆえに書くことをやめた私と、それを知っても作り発表することを選んだ違いです。
拙いものを作るのも、発表するのも、怖いことだと思います。だって完成に近づけば近づくほど、自身の至らなさを思い知ることになります。それを自身の作品として発表するのは、正に自身の至らなさを公言することにもなり得るからです。それでも作品を生み出し続けられるのは、きっと拙さの先に勇気があるからだと思います。そしてフリーノベルゲームの拙さは、私を変えてくれました。
「拙くても、作品を発表している人がこんなにいるんだ」
「俺もやってみようかな」
そう思えたのです。
やっぱり、ただただ「拙い」私
とは言いましても、実際に小説を書いてみると、それは想像を上回る厳しさでした。
今回公開した小説は、12000字程度です。多いか少ないかで言うと、メチャクチャ少ないです。企業が開発したノベルゲームと比較すると、プロローグにしても短すぎて話にならないレベルです。短めのノベルゲームでも50万字くらいはあるそうです。プレイに時間かかるわけですな。
ただそれでも、これを書くのに半年かかりました。
実は一日一文字ずつ打っていた…とかでなく、勇気をもらってもなお、やはり自分の拙さに嫌気がさし、何度も筆を置きかけたからです。嫌になってやめる→いや頑張るぞと再開。これを何度も繰り返すうち、半年も経っていました。
では時間をかけたぶん、クオリティには自信が…?
いえ、トンデモございません。ヒドいです。谷川流に憧れている人間の書く文章ですかコレ。あぁ、やっぱり私は拙い。公開したことをツイートするときも、かなり恥ずかしかったです。
でも、今回は書き上げることができました。フリーノベルゲームの拙さに出会わなかったら、きっとできなかっただろうと思います。実は既に2作目も書き始めています。きっと時間がかかるでしょう。でも必ず公開します。
私が書いた小説です。読んでください。
そう言えることだけですら、素晴らしいことなのだと知りましたから。
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