タイトル | アパシー 鳴神学園七不思議 |
ジャンル | ADV(ノベル) |
対応機種 | Nintendo Switch |
価格 | パッケージ版 /ダウンロード版 7,678円 |
プレイ時間の目安 | ?時間~(短編集のためプレイヤー次第) |
コンプリートしてません。
初めに断っておくけれど、私はこのゲームをコンプリートしていない。
それどころか、ゲーム内で確認できるリストによると、まだ全エンディングの17%しか、見られていない。
「そんなヤツの感想なんて信用できるか!!」
「きちんとコンプリートしてから書け!!!」
なんて言いたくなった人も多いだろう。
実は私も悩んだ。
この程度のコンプリート率で感想なんて書いていいんだろうか?と、悩んだ。
誤解のないように言っておくと、私が普段このブログで公開しているノベルゲームのレビューはどれも、最低でもエンディングリストを埋めた上で書いている。
周回に多大な時間を要するRPGやシミュレーションゲームならいざ知らず。
物語が主体であり、既読スキップなども標準搭載された現代のノベルゲームは、エンディングくらいはコンプリートするのが基本だと思っているからだ。
ましてやレビューだの感想だの書いて公開するならば尚更である。
エンディングリストを埋めずにこれらを書くのは、言うなればその映画を途中までしか見ていないのに、Yahoo!映画に感想を投稿するようなものだと思う。
だからこそ「アパシー 鳴神学園七不思議」も、エンディングリストを埋めたうえでレビューを書くつもりでいた。
当然のことじゃないか。
作品にきちんと最後まで触れるのは、それについて語る上での言わばオタクとしてのマナーだ。
だが、これが変化した。
「アパシー 鳴神学園七不思議」を遊ぶうちに、私のこのような考え方は変化していった。
この作品の感想は、コンプリート後ではなく、コンプリートを目指す過程で書いても良いのではないか?
そう思うようになった。
似たようなことを書くけど、私の普段のノベルゲームレビューは、まず全て遊び終えて、そのうえでどのようなゲームであったかを書いている。
頂上にたどり着いてから、そこに至るまでの道を振り返るわけだ。
これは決して私独自のやり方ではないし、更に言えばノベルゲームに限った話でもない。
多くのゲームファンが、多くのゲームに対して行っている、もっとも一般的なゲームレビューの書き方だろう。
そして恐らくだけど「アパシー 鳴神学園七不思議」は、このやり方でレビューを書くとすれば、お世辞にも良いゲームとは言えないと思う。
もちろんこれはまだコンプ率17%の私が言っているだけの、勝手な妄想だ。
だが少なくとも今の時点で、私の中のゲーマーの勘とでも言うべきものが、確かに警鐘を鳴らしている。
そのような遊び方をするな。
頂上から振り返るような遊び方では、本作の真価は見えてこないぞ。
そう、私に告げるのだ。
では「アパシー 鳴神学園七不思議」は、どのような遊び方をするゲームなのか?
どこに真髄が現れるゲームなのか?
これはズバリ、コンプリートを目指す、その過程を楽しむ…という遊び方だと、私は確信している。
だからこそ、コンプリートしていないこの段階で感想を書くことにした。
むしろいまこの瞬間でないと、本作の生の感想は書けない。
頂上から振り返るのではない。
いつゴールにたどり着くのかも分からない、東西南北…いやそれどころか360°広がっているようにすら感じる、果てしない道のり。
それを「どんだけボリュームあるんだ?」なんて言いながら、のんびり楽しむ。
そんな遊び方をしたとき「アパシー 鳴神学園七不思議」の真髄が見えてくる。
そう思うのだ。
超バリエーション超ボリュームの、短編“不思議な話”集
本作を遊んでまず驚かされたのは、収録されている短編のバリエーションだ。
いちおう本作はタイトルに「七不思議」と銘打っているし、パッケージ裏にも“恐怖の物語”とある。
だから本編で展開される物語も怪談が大半。
そして、そのバリエーションはあまりにも膨大である。
〇〇ババアだの段数が変わる階段だの、旧校舎のトイレだの、いかにもな話はもちろん。
更に都市伝説じみた怪しげな宗教、ヤバいバイト、地方に伝わる奇祭、果ては学園地下あるヤミ闘技場…と。
実に多様な怪談(?)が収録されている。
これだけでも何だか面白そうな本作だけど、この分岐はアナタの選択によって、時にホラーの枠すら突き破ってスッ飛んでいくことすらある。
怪談よりも“不思議な話”とした方がしっくりくる話も多いし、ギャグにだって走る。
なんとも節操のない分岐が実に500以上用意されており、しかもこれがまだアップデートで追加予定だと言うのだからとんでもない。
…とはいえ、ぶっちゃけてしまえば一つ一つの話はそれほど面白くない。あとあんまり怖くない。
オチだけ取って付けてホラーにしたような話もあるし、既存の怪談のガワだけいじったような内容も多い。
バリエーションが多彩なようで、実は大筋はどれも似たり寄ったりのようにも感じられる。
エンディング数は確かに500以上あるが、結末が微妙に変化するだけの水増し分岐も散見される。
だからこそ本作は、コンプリートを前提にした全体の完成度を求める遊び方よりも、一期一会の精神で短編との出会いを楽しむ遊び方をオススメしたい。
総評
なんじゃこりゃ?と言いたくなる話もあるし、〇〇のパクりじゃねーか!とツッコミたくなる話もあるだろう。しかもそれは少なくない。
だから「アパシー 鳴神学園七不思議」は、頂上から振り返ってしまうと、そんなに面白くなかったな…と感じられてしまうと思う。
だがそれでも、この渾身のボリュームと見境なく広げたバリエーションは、少なくとも道を歩く間、アナタをワクワクさせるだろう。
次こそ面白いかも…だとか、あっちの選択肢にしたらどうなるんだろう…だとか、そんなワクワクだ。
それに応え続けるだけの物量を、本作は確かに持っている。
つってもまぁ、フタを開けてみれば大したことなかったりする。
でもまだまだ分岐はあるんだ。あんまり気にせず次に行こう。
これが上手い例えかは分からないけれど、「アパシー 鳴神学園七不思議」は、カバンに忍ばせた文庫本のように遊ぶと良いんじゃないだろうか。
SNSに飽きたとき、そういえば…と取り出す。
しかし久しぶりに読むので、それまでの話を覚えていない。
だから少し戻って読み始める。
あぁそうだ、こんな話だった…やっと思い出したころには、もう時間になっている。
いちおう栞を挟んで、またカバンへ。
いつになったら読み終わるのやら。
そんな遊び方こそ、本作には合っているんじゃないかと思う。
短編オムニバス形式で進んでいくので、自分のペースで少しずつ遊ぶというスタイルでも十分に楽しめるはずです。いつでも好きなときに遊べるスルメゲーとして、あなたのお傍に置いていただけたら嬉しいですね。
週刊ファミ通 2022年8月18・25日合併号 No.1758 「アパシー 鳴神学園七不思議」原作・脚本 飯島多紀哉氏のメッセージより
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