蹴りたい背中 / 綿矢りさ
芥川賞作品。
まず良いと思ったのは、主人公ハツの感じている孤独の表現。
運動場に出ようと思えばいつでも出られる。でもロッカーのすぐ側にドアがあるから、出て行くには着替えている部員たちに一旦、どいてもらわなくちゃいけない。
蹴りたい背中 / 綿矢りさ 河出文庫 より
「どいて」って言いたくない。できれば、部室のドアを一番に開ける役目も避けたい。万物を動かしたくないんだ。でもこんなふうに存在を消すために努力しているくせに、存在が完全に消えてしまっているのを確認するのは怖い。
これはすごく共感した一幕で、こういうぼっちが感じるぼっち特有のそれを切り取るのが上手いと言いますか。それそれ!と言いたくなる場面が何度もあった。日常、自分なり他人なりをよく観察していないと出てこないと思う。
「蹴りたい背中」は恋愛小説でも青春小説でもないけど、でもそれに近い雰囲気はある。主人公がクラスでの孤立を寂しく感じていることは明らかで、カースト的に同じ立場の「にな川」に好意…とまでは言わないけど、そのタネは感じていたように見えます。ただそこから“蹴りたい”が出てくるのが面白いところで、あの行動が主人公のどのような感情に起因したのか?で、読み手の意見も色々生まれそうな一冊。
「私を見て!」といういかにもな衝動と読むこともできるでしょうが、ただそれはないと自分は思う。にな川は魅力的に描かれていないというか、彼と同じ側にいる私ですらついていけない感のある人物なため。だいたい主人公、その直前に彼にドン引きしてるし…
にな川が物語の最後、オリチャンを前に暴走したあと、オリチャンをいちばん遠く感じた…というシーンとか、主人公の普段の態度とか、共感で読み進められるシーンもたくさんあるので、芥川賞作品の中でも読みやすい一冊なんではないでしょうか。自分もかなり好きです。
蛇にピアス / 金原ひとみ
限りなく透明に近いブルー / 中村龍
2冊で感想は1つ…とさせてください。
というのも、まず『限りなく透明に近いブルー』は、はっきり言って魅力がわかりづらい本だった。
鍵括弧を使わずに会話文を連結させる表現方法とか、読み手のイメージや理解を無視して登場人物を次々に立てて展開していく様とか、そのようなところの新しさは確かに当時としてはあったのかもしれない。でもこの本が芥川賞史上最大のベストセラーとなった所以は、一体どこにあるんだ?と思って、識者の解説を色々調べていた。
曰く、『限りなく透明に近いブルー』の素晴らしい点の一つが、その文章が「清潔」であることらしい。本書はセックス、ドラッグの描写が凄く多い作品で、特に主要人物は描かれるシーンでは大抵“キメて”ます。主人公は当事者でありつつ、またそのような人物をいつも見ているんだけど、その視線に感情がのっていない。自分なりに清潔をキーワードに本書を捉えるなら、本来であれば人物の感情が動き、そしてまた描くであろうセックスやドラッグのシーンを、本作は驚くほど淡々と…文庫版の解説を書く綿矢りさの言葉を借りるならば、「映す」ことに徹します。
この清潔さをはっきりと認識できたのが、金原ひとみの、同じく芥川賞作品である『蛇にピアス』を読んだ時だった。
『蛇にピアス』も退廃的というか…アンダーグラウンドの世界を感じさせる一冊で、こんなこと言ったら文学ファンに怒られるかもだけど、近い雰囲気のある本です。
一方で『蛇にピアス』は主人公の感情が豊かで、セックスとかドギツいピアスとか暴力とかで派手にしてあるけれど、それらに主人公の内面、感情が乗っていて、そこをどう捉えたかが本作の読み手に託す部分であるように思います。
つまり、セックスや暴力などによって、主人公の感情が豊かに動くのが『蛇にピアス』で、一方淡々と映すそれこそが『限りなく透明に近いブルー』の清潔さであり、評価点なのだ…ということが、この2冊を読んだことで自分の中に浮かんだわけです。
特に『限りなく透明に近いブルー』は要再読の一冊で、本当に文学ファンのための一冊…という印象。『蛇にピアス』は大衆向けの面白さもしっかり持たせてあって、オススメは後者だけど、向き合うなら前者でしょうか。
銀河鉄道の夜 / 宮沢賢治
有名にもほどがあるジョバンニとカムパネルラのアレ。
実際に読んだのは表題作が『銀河鉄道の夜』の宮沢賢治の短編集です。青空文庫なので無料。ありがたいことです。名作を完全無料で広告すら無し…というのは、本当に凄いことで、感謝するばかりであります。
…で、『銀河鉄道の夜』はぶっちゃけよくわからん。短編集内の作品の中ではいちばん長くて、情景も幻想的…というかぶっ飛んでる上に場面転換も多いので、なかなか像が頭に浮かばない。NHKの「100分de名著」に『銀河鉄道の夜』の回があったはずなので、見てみようかな。
好きなのは『よだかの星』と『ひかりの素足』。
例えば『双子の星』とか『おきなぐさ』は、童話的と言いますか、子供に読ませたい(いないが)話だなと思うんですよ。特に『おきなぐさ』は、草花が会話するシーンから、宮沢賢治の豊かな想像力を感じる。風に揺れる草花を見て、あのようなイメージを膨らませる…というのは、並大抵のことではないと思います。
でも『よだかの星』と『ひかりの素足』は、童話的な教訓というか、道徳教育を込めた物語というよりは、大人が読んでハッとさせられる短編で、教科書に載っていた『アメニモマケズ』とかのイメージでしか宮沢賢治を知らなかったので、驚かされた。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
よだかの星 / 宮沢賢治 青空文庫 より
今でもまだ燃えています。
何なんですかねこの話は…。
(私の偏見に塗れた)童話的な展開でいったら、よだかは救われなくちゃいけないと思うんだけど、燃えて星になって、しかもそれは今でも燃えているんですよ。確かによだかは小さい生き物を襲って食べたのかもしれません。でもそれって罪なんですかね…。
『ひかりの素足』も「………えぇっ!?」と言いたくなるラストで、ここに宮沢賢治の死生観とか、考え方が現れているとするなら、なるほど知識人の宮沢賢治論を読んでみたくもなります。
シンプルにお話としても面白い作品ばかりで、一つ一つが短くて読みやすいため、オススメです。
『藪の中』と『羅生門』と『蜘蛛の糸』/ 芥川龍之介
老婆の着物をはぎ取る有名すぎるアレとか3冊。これも青空文庫で無料。これは本当に凄いことですよ。
『羅生門』は高校の教科書にも出てたけど、あの時から好きなんですよ。
自分は世紀末みたいな高校に通っていて、しかもその中の底辺寄りだったんですが、国語の授業だけはまぁ聴いてやってもいいかなくらいの態度で臨んでいました。中でも『羅生門』は面白いと思って読んでいた記憶があります。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
羅生門 / 芥川龍之介 青空文庫 より
怪物の表現力だと思います。
雨が音を集めてくる。夕闇が空を低くする。甍が雲を支えている。
なるほどどれも実感を伴う表現ですけど、じゃあそれが書けますか、頭に浮かびますか、という話で、こういうところは今読んでも感銘を受ける。あまりに有名な、バツッと切るような快感のあるラストシーンと、下人の心理の移り変わりへの読み解きも含めて、教科書に載るのも納得の味わい深い作品です。
『蜘蛛の糸』は、その文字数に対して、読者に与える感慨の量が異常…というのがまず出てくる感想。
地獄と極楽の、その雰囲気の差も痛快で面白い。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。
蜘蛛の糸 / 芥川龍之介 青空文庫 より
カンダタのいる地獄の、いかにも辛くて苦しそうで、空気の淀んだその雰囲気と、極楽のやんごとなき佇まい。そのアップダウンを起承転結の起と結に盛り込んでいて、なかなかのバッドエンドなのに、ゆるりと結ぶこの感覚は、『羅生門』のそれとは全く違うように思う。
カンダタの顛末にスポットを当てていながら、文章の上での結末は、カンダタの物語に全く無関心である風とでも言いますか。
『藪の中』は困惑した。宮部みゆきの『理由』とか湊かなえの『告白』的な、既に起こった事件を関係者それぞれの視点から語らせる手法は芥川龍之介もやっていたのか!と驚きつつ、それでいて『藪の中』は真相が語り手によって食い違うから、正に真相は藪の中。誰かがウソを言っていることは間違いないのに、物語はそれを明らかにせず終わる。
芥川龍之介は何を狙ってこのような物語にしたのか?というのは、自分に語れる領域ではない。
涼宮ハルヒの陰謀 / 谷川流
昔読んだのに忘れている。
“いけ好かないヤロウ”が出てくるのははっきりと覚えていたんだけど、物語の内容は初見と同様レベルで忘れていた。SOS団への疑心を生むようなシーンもあったり、続く話への明確な伏線もあったりで、他シリーズとは違った読み味の作品。
キョンが最終的にたどり着く結論は『涼宮ハルヒの消失』に近いと思うけど、『雪山症候群』辺りから存在をチラつかせていた非友好勢力がいよいよ本格的にお目見え。一話完結が中心だったシリーズ内では異質で、何かの始まりを予感させます。
最近は自分で小説を書いてみたりしてるわけですが、よく思うのは、結局自分の書くものって、絵が描けないから仕方なく文章で表現しているだけなのかな…ってこと。これ、絵だったら一発で伝わるのにな…って思うことがあって、俺は代替品として文章を選んでいる…ていうか、選ぶしかないだけなんだろうか…と考えちゃうわけです。
その点このシリーズの場合は、キョンの豊かな独白が文章でしかできない作品たらしめていると感じて、それは凄いことだなと。これは絵では表現できないし、アニメにするにしたって全部台本に書くのは到底無理でしょう。だから原作で読む価値がある。谷川流は小説でしか味わえないものを書ける、尊敬すべき作家だなと思う。
絶望の国の幸福な若者たち / 古市憲寿
本書のいう「若者」のカテゴリに俺が当てはまるかは不明だが、何のかんの言うても、確かに俺は結局幸せなのかもしれない。
彼女はいないし、謙遜抜きで給料は安いうえ、今後大きく上がる見込みもない。ベアだ、初任給アップだとメディアは一生懸命取り上げるけど、あれは大きな企業の、頭(と運)の良い人たちに限った話で、関係ない人の方が圧倒的に多いでしょう?
日本は出生率はドンドン下がって、人口ピラミッドは歪になって、自分の家の周りなんて老人の1~2人暮らしばっかりだから、そのうち空き家だらけになりそうですマジで。つーか徒歩20mくらいのところに一軒あるんですよ。前はたまに片づけに来てたんですけど、ここ3年くらいは見てないな。
給料安くて、女もいなくて、お先真っ暗。おお、若者、かわいそう!!
って思うじゃん。
でも俺は幸せなのかもしれない。
だってそうじゃん。いくらバブルの頃の景気が良かったからって、スマホもSwitchも、ゲーパスも電子書籍もdアニメもない時代なんてイヤすぎません?まぁ言うても、未来だって明るくはないですよ。でもそれは明日から、来週の月曜日から、ってレベルの話じゃないから、あんまり真剣にはなれないですね。少なくとも今、俺は好きなゲーム、好きな音楽、好きな映像作品、好きな本を触れる環境にあるから、意外と不満はないんですよ…
給料安いですけど、さすがにスマートフォンくらいはみんな持ってるじゃないですか。そこにサブスクさえあれば映画もアニメも見放題、音楽も聴き放題で動画も見放題ですからね。ゲームだって今はタダですし。
日本がヤバいのは知ってます。国債とかよくわかんないですけど、要はあれって借金でしょう?いつか利子付けて返さなきゃいけない金でしょう?それが何兆円とか、普通にヤバすぎません?俺だったらもう自殺考えるレベルですね。出生率も想定を上回るペースで下がってるそうじゃないですか。マジ絶望。
つまるところ、国家レベルで言ったら、この国ヤバいってのはバカでも分かってて、でもみんな、ミクロレベルではスマホとSNSとサブスクがあるから幸せ。だから若者は幸せ。私も幸せ。
この先よくなる展望はないですよ。
もしあったら、よくなる展望があるってことは、今は悪いってことだから、不幸なんですけど、でも幸せってことは、今後よくなる見込み…つまり今を途上だとか、道半ばだとか、そうは思わない部分も確かにあるってことで、この国は絶望かもしれないですが、むしろだからこそ今は幸せなのかもしれません。
若者が結婚しないとか、財政赤字がヤバいとか、どれもかなりヤバい話なんだろうけど、それが顕在化するのはまだ先だし、なにより今の自分は割と幸せってのは同意できる部分で、なるほどと思った。
戻るべき「あの頃」もないし、目の前に問題は山積みだし、未来に「希望」なんてない。だけど、現状にそこまで不満があるわけじゃない。
絶望の国の幸福な若者たち / 古市憲寿 講談社 より
なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕たちは生きていく。
絶望の国の、幸福な「若者」として。
嫌われる勇気 / 岸見一郎、古賀史健
再読。
一度パララッと読んでいるんだけど、内容を頭に入れたいと思って、自分なりに精読…に近い行為をしてみた。どういうことかと言うと、これが単純で、大切だなと思ったことをノートに取りながら読むだけ。書見台まで買った。
さて内容はと言えば、ダイヤモンド社の自己啓発本というとそれだけで嫌悪感を覚える人もいるだろうし、それに共感もできるけど、『嫌われる勇気』は良書だと思っています。なぜなら、本書は自己啓発本によくある「読者が言ってほしいことを言うだけの本」ではないから。
例えば転職を考えている人とか、思い切って仕事をやめちゃいたい人とか、ネットで儲けたい人とか、そういう人の背中を押す力も持っている本です。ただ、『嫌われる勇気』は、そういう人を気持ちよくさせるための本ではありません。
まず目的論の話から入り、フロイト的な原因論を否定します。〇〇があるから〇〇…という原因論は、存在しないと言います。トラウマは存在しないのです。あるのは現在の目的のみで、その目的に果たすたのに都合が良いように、あなたは過去に意味づけを施しているのです。だってその出来事が、一体今のあなたの行動をどう縛っているというのでしょう。人格に影響を及ぼすことは否定しませんが、だからといって今これからの行動を決定することはありません。
過去の経験の影響で、私は変われない…というのはまやかしで、あなたは本当は、変わりたくない。絶対に変わらないぞ、変わってたまるかと決心している。その決心に納得のいく理由をつけるため、過去の出来事に都合よく意味づけをほどこしている。
そしてこの意味づけは単なる主観でありますから、変えようと思えば変えられます。過去に怖い思いをしたとしても、それをそうでないように主観的に意味づけすることは可能で、そうして世界の見方を変えた時、人は変わり、世界はシンプルになり、そして幸福になる。問題は、主観を変える勇気が、あなたにあるかどうか。それだけ。
むしろ、アドラーの目的論は「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「今、ここ」にいるあなたなのだ、と。
嫌われる勇気 / 岸見一郎、古賀史健 ダイヤモンド社より
この他、全ての悩みは対人関係の悩みであり、だからこそ人…共同体への貢献感こそが幸福そのものである…というのも、確かに実感のある話。上司にせよ先輩にせよ、貰う言葉は「よくできました」よりも「ありがとう」の方がずっと嬉しい。よくできましたは評価の言葉だが、ありがとうは感謝の言葉で、貢献の証だからだろうか。例えばブログ記事を公開して誰にも読まれないことの辛さは、自分がその共同体に所属できていないような感覚が根元にあるような…それは確かにある。
「劣等コンプレックス」や「優越性の追求」、「課題の分離」など面白く、しかも分かりやすい、しかし実践は大変難しいが、もしできれば本当に世界が変わるような…そんなことが書かれている本で、読んでよかったと改めて思います。
過去は私に影響を与えず、また未来を変えることもできやしない。人生は連続する刹那で、変えられるのは今ここだけ。今ここを真剣に生きれば、いつかどこかへたどり着いているかもしれない。
…なんだか「素晴らしき日々」に通ずる思想もあるのかもしれないと思った。
今回のオススメ→嫌われる勇気
今更感のあるオススメですが、大ベストセラーなだけのことはあります。
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