『梅雨の日』というゲームを遊んだ。何もすることがないゲームだった。
ストアページにすら「とある家族の暇な一日を過ごすのんびりとしたゲーム」と謳われる本作は、とにかく何もすることがないゲーム。主人公は小学生の男の子。詳しい背景は説明されないけど、恐らく母親の実家と思われる家で母、祖母、弟、ねぇね、自分の5人で暮らしている。
その日は遊園地に行く予定だったんだけど、梅雨らしい悪天候により延期に。突然やることがなくなった休日。勢いを落とす気配のない雨。外に遊びに行くこともできず、暇~な1日を過ごすことに。
このゲーム、上手いな、と思わされたのが、プレイ開始時に「1日の長さ」=大まかなプレイ時間を選択できること。
タイトルにも書いたけど、『梅雨の日』は本当に何もすることがないゲームなので、初めにどれくらいで終わるゲームなのかを伝えるのは良いやり方だ。例えあんまり面白くないゲームでも、終わりが近ければ、とりあえず最後まで…という気持ちになる。飽きっぽくて移り気な私にも、これなら遊びきれそう。
こういう選択は間を取りたくなるのが人間。40分を選択してプレイ開始。
が、遊び始めて早々に驚かされた。
なぜってこのゲーム、プレイ時間40分でも長いと感じるくらい、何もすることがないゲームだったのだ。
何もすることがない、を体験する
このゲームを大雑把に既存ジャンルに分類するならば、FPS視点での探索ADVだ。短い会話イベントのあとは自由時間。プレイヤーはマップ内を自由に探索して『梅雨の日』を過ごす。
そしてこの『梅雨の日』、もう何度も書いているけど、とにかくすることがないゲームだ。
探索ADVと言っても、マップは狭い。一般家屋が舞台なんだから広いわけがない。端から端まで見て回っても5分かかるかどうか。
ならばイベントやアイテムが豊富に配置されているのかと思えば、これもほとんどない。アイテムはクリックで掴み持ち運ぶことができて、中には会話イベントが用意されているものもある。だけどこれもごく短い上に数も少ないので、あっという間に飽きる。大抵のアイテムは置いてあるだけ。
狭いマップに、少なくて短いイベント。つまるところ『梅雨の日』は、どうあがいたってプレイヤーが時間を持て余すようにできている。
選択できるプレイ時間は最短で20分だけど、それでもまず確実に、何もすることがない時間を体験することになる。それくらい密度が薄い。薄めてある。プレイ時間を選択させる仕様も納得で、もしこれがいつ終わるとも知れなかったら、たぶん私は途中でやめてしまっていた。
実際プレイしていても、開始15分くらいで既に飽きを感じてくる。それでもまぁ選択したのは40分だ。あと25分で終わるなら…と最後まで付き合うことにした。確かに大人になると何もすることがない時間で貴重だったりするし、だからこういうゲームもありだとは思うけど、良い作品かって聞かれると…
本作への評価もだいたい固まり、あとは残り時間をダラダラ過ごすだけになる。あー暇。
が、本作、実は面白いのはここからだった。
何もすることがない、が呼び覚ますのは、幼いあの頃。
思い返すと、幼いころ、おばあちゃんの家で過ごす時間って、何もすることがない時間が大半だった。
家にはゲームやマンガがあるけど、おばあちゃんの家はそういう遊び道具は何もないし、近所に住む友達もいないから、とにかく時間を持て余す場所だったような気がする。それも今となっては懐かしいもので、大切な時間だったと思えるけれど、当時はそうでもなかったような。
で、そうしてただひたすらに暇な時間を、しかも大量に与えられた私がすることは何だったか。
それは上手く言語化できないけれど、なんというか、家の設備を使って遊ぶことだった。
例えば弟と家の中でかくれんぼをしたり、家中の戸棚を開けてまさに探索したり、入っちゃいけないと言われる部屋に何とか入ろうとしたり。何もすることがなくても、その中で何かできることを探して、それを遊びにしていた。そしておばあちゃんに怒られた。
さて今や31歳になった私が『梅雨の日』で再び過ごすことになった、何もすることがない時間。その時私は、一体何をするだろう?
もうびっくりするくらい、子供の頃と同じだった。
まず私は、リビングの電気をつけたり消したりしてみた。そういうイタズラをすれば、何らかの反応があるんじゃないかと思ったからだ。残念ながら何も無し。ちょっとガッカリすると同時に、ふと子供時代を思い出した。
そういえばあの頃、電気をつけたり消したりして遊んで、おばあちゃんに怒られたっけ。
次に私は、マップ中の扉を開けっぱなしにしてみることにした。お風呂場やトイレはもちろん、玄関も窓も、開けられるものは何もかも開けてやる!と片っ端から開けてみた。
やっぱり何も反応はない。残念。あぁでも、そういや子供の頃はこんなことしておばあちゃんに怒られたような気がする。
『梅雨の日』がプレイヤーにもたらす、何もすることがない時間。それは退屈で、密度が薄くて、だから本作はゲームとしては高評価はつけられない作品かもしれない。グラフィックももう一歩ほしい。
だけど、その何もすることがない時間が、私の中の「あの頃」を呼び覚ました。それは夏祭りだとか花火大会だとか、そういう思い出に残るようなイベントではなくて、ゲームと同じように何もすることがない時間だ。思い出のスキマにあって、でも一番長く過ごした時間。そしてそんな時間の中で私がとった行動が、図らずも「あの頃」と繋がって、何だか郷愁を味わった。
確かに幼いころの私は、おばあちゃん家で電気をつけたり消したりして、テーブルにのって遊んで、そして怒られた。もちろん、このくらいのことは他のゲームでもできる。でも『梅雨の日』の良いところは、退屈な時間の先にそんな体験があったことだ。スマートフォンを手にしてしまった現代では、決して戻れない時間でもある。そう、あの頃の私は携帯電話すら持っていなかった。だからただただ、暇だった。
『梅雨の日』はSteamにて配信中です。