qureateの新作「マッサージフリークス」が発売延期になった。
が、Steamでは現在タイトルを「ビートリフレ」に変更して配信中。
この作品がTwitter上で擁護派と否定派に分かれてのレスバトルに発展したことは、記憶に新しい。
「月曜日のたわわ」の広告だとか「ラブライブ!」のみかんのPRポスターだとか。
この手のコンテンツについて、擁護と否定の二つに分かれて延々と決着のつかないレスバトルが始まるケースが、後を絶たない。
「ビートリフレ」に関してはひとまず鎮火したものの、このレスバトルはいつかまた必ず始まるだろう。
そうしてまたやれ性犯罪を助長するだのしないだの、二次元との区別がついているだのいないだの、同じ内容のバトルを繰り返すだろう。
自分はこの問題に関して、基本的にノータッチでいた。
なんというか「この問題に関心がある」と思われると、面倒くさいことになる気がするからだ。
ただ一方、いちオタクとしてこのようなバトルが始まる度、その動向が気になってもいた。
作品を擁護する側と、否定する側、一体どちらが正しいことを言っているのだろう?
ツイートをいくら眺めても、答えは見つからない。
どっちも正しい気がする。難しい問題だ。
とても自分には判断できない。
だから、今までずっと待っていた。
頭の良い人たちが、決着をつけてくれることを、ただ待っていた。
自分で考えて踏み込むには、この問題はデカすぎる。
だから頭の良いひとが、その頭で考えてくれるのを待っていたわけだ。
でも、これじゃダメだなと思った。
人が考えるのを待つんじゃなくて、自分で考えなきゃいけないと思った。
そうしないと、自分はいつまで経っても未熟なままだ。
だから自分で考えてみる。
この記事は、あくまで私の考えを述べるものだ。
もちろん、だからと言って「反論しないで!」なんて甘えたことを言うつもりはない。
間違っている、ここはおかしい、と思う点があれば、コメント等で自由に指摘してもらってかまわない(礼儀は忘れないでほしい)。
ラッキースケベは、誰にとってのラッキーなのか?
「ビートリフレ」にせよ「月曜日のたわわ」にせよ、レスバトルでの焦点になるのはいつも「性犯罪を助長するか?」になっているように見える。
私はこれを、間違っていると考えている。
問題は「性犯罪を助長するか?」じゃないと思う。
だから「性犯罪を助長するか?」ばかりが焦点になりがちな現状に、スゴくモヤモヤしている。
今回はこの点を紐解いていく。
「ビートリフレ」は、性犯罪を助長するのか?
まず「ビートリフレ」が性犯罪を助長するかどうかについて、考えてみる。
これに関しては、私は“助長する可能性はゼロではないが、それを理由に規制することは難しい”と思っている。
「ビートリフレ」のようなゲームが性犯罪を助長する…という考えを分解してみるとつまり
1.ゲームを遊んだ人間が刺激を受け、現実でもゲームと同じことをしたいという欲求を抱く
2.抑えきれなくなり、行動に起こしてしまう
ということだと思う。
しかし世の大半の人間は、性犯罪にせよそうでない犯罪にせよ「これはゲームの中だからできることだ」と言われるまでもなく理解しているだろう。
例えば「ドラゴンクエスト」では他人の家に侵入してタンスをあさり、金品を盗む…という行為が当たり前のようにできる(最近のシリーズは忘れた)けれど、だからといって現実でもこれを実行する人がどれほどいるだろうか。
どのような出来事もゲームの中だから許されていることで、現実ではやってはいけないんだと、誰もが知っているし、だから欲求すら抱かないし、行動に移すこともない。
空き巣と三大欲求にもとづく性犯罪を一緒くたにするのはキケンな考えだとも思うけれど、同じ理由で「ビートリフレ」は性犯罪を助長しないとするのは、無理筋ではないと思う。
現実ではやってはいけないことだと、みな知っている。
その判別がつかない子供が触れる可能性はあるけれど、Nintendo Switchは「みまもり設定」など、保護者側の意思でそれを防ぐ仕組みを用意し、また分かりやすく解説もしている。
あるいはゲームとは関係なく、もともと性犯罪に対する欲求があって、それをゲームで発散していた人間が「ビートリフレ」を遊んだことによってタガがはずれ、現実でも…というケースも考えられる。
ただそれでも「ビートリフレ」が引き金になった…という事実が示されない限り、規制をするのは難しいと思う。
何が引き金になったかなんて、その人にしか分からない。
なのに明確な根拠もなく「ビートリフレ」に責任を押し付けて規制し、それで良しとしてしまえば、本当の引き金を見落とすことにもなりかねない。
逆に爆発寸前を、作品がかろうじて抑えていた可能性だって否定できない。
上記のような理由から、私は「ビートリフレ」を“助長する可能性はゼロではないが、それを理由に規制することは難しい”と考えている。
しかし。
しかし、だ。
ここからがこの記事でもっとも重要なポイントだ。
ビートリフレの問題点は、女性を蔑視していること
性犯罪云々は抜きしても、「ビートリフレ」のような作品を“何の問題もない”とすることはできない。
と、私は考えている。
「ビートリフレ」は、問題のある作品だと思っている。
だがその問題は、性犯罪を助長するかどうかじゃないのだ。
擁護派と否定派が本当に話し合うべき点は、別のところにあると思っている。
私が思う、「ビートリフレ」について否定派と擁護派が真に話し合うべき点。
その問題点。
それは「ビートリフレ」が孕む女性蔑視について、だ。
そして女性蔑視と性犯罪の助長は、全く別の問題だ。
女性蔑視について考えた時、はじめて「ビートリフレ」の問題点が見えてくる。
お互いが考えるべきポイントが見え、話し合いの決着もずっと近づくだろう。
女性蔑視と性犯罪助長が、全くの別物であること。
「ビートリフレ」が真に孕んでいる問題点は、女性蔑視であること。
これをわかりやすく示すために、ある例を出す。
それはいまやオタク文化のいちジャンルとなった、人気テーマ。
ラッキースケベだ。
ラッキースケベは、誰にとってのラッキーなのか
まず簡単に、ラッキースケベの典型的な展開を書いておく。
以下は私が即席で考えた一例だ。
1.男性キャラクターが、段差につまずいて転びかけ、バランスを崩す。
2. 1の男性キャラクターが、たまたま目の前を歩いていた女性にしがみついてしまう。
3. 男性キャラクターがしがみついた手が、女性の胸を鷲づかみにしてしまう。
だいだいこのようなものだと思う。
ここでちょっと考えてみる。
なぜこれを“ラッキースケベ”と言うのだろう?
具体的に、誰にとっての“ラッキー”=幸運なのだろう?
これを考えた時、このジャンルが、ひいては「ビートリフレ」が孕む女性蔑視が浮かび上がってくる。
女性の胸を触ることができた、というラッキー
まず、誰にとってのラッキーかについて。
これは言うまでもなく、躓いた男性キャラクターだ。
ではなぜ、ラッキーなのだろう?
これも言うまでもなく、罪に問われるリスクが低い状態で、見知らぬ女性の胸に同意なく触ることができたからだ。
普通は女性…というか性別に関わらず、他人の体に同意なく触れば、強制わいせつなどの罪に問われる。
しかしラッキースケベの場合は「つまずいてバランスを崩した」という大義名分があり、意図的に触ったわけじゃないと言い訳が立つ。
これは触られた相手にとっても、第三者にとっても、納得できるかはともかく、理解はできる言い訳だ。
つまずいた拍子に近くにあるものに思わず手をついてしまうのは、人間なら自然な行為だ。
それがたまたま、前を歩いていた女性の胸だったという話。
つまずいた本人だって、意図してやったわけじゃないのだ。仕方ないじゃないか。
本来であれば罪に問われる行為だけれど、逮捕されないだけの言い訳が立つ。だからラッキー。
その罪の内容が体に触る、服を脱がせるなど性犯罪であった場合“ラッキースケベ”と呼ばれる。
しかし、ここで考え直してみる。相手の気持ちになってみよう。
胸を触られた女性側は、この出来事をどう感じるだろうか?
性犯罪を“ラッキー”とする女性蔑視
もしあなたが街で、後ろを歩いていた人から突然ズボンを脱がされたら、どう思うだろう?
衆人環視の中、いきなりだ。
周りの人は見て見ぬふりをしながらも、実際はジロジロ見ている。
クスッと吹き出す人もいるかもしれない。
性別にかかわらず、とても恥ずかしいと感じるはずだ。
あなたが即座に警察を呼んでも、誰も文句は言わないだろう。
あるいはそんなことすらせず、恥ずかしさのあまりすぐにその場を立ち去るかもしれない。
ではその脱がせてきた相手が、つまずいてバランスを崩しちゃって…と言い訳をしたら、あなたはどう思うだろうか。
しかもその様を“ラッキースケベ”だなんて言われたら、どう思うだろうか。
つまずいたなら、まぁ仕方ない…と許してやれるかもしれない。
だがそれを“ラッキー”だなんて言われるのは、不快じゃないだろうか。
つまずいた拍子に近くにあるものに思わず手をついてしまうのは、人間なら自然な行為ではないか。
それがたまたま、前を歩いていたキミのズボンだったのだ。
つまずいた本人だって、意図してやったわけじゃないのだ。仕方ないじゃないか。
だが、それをラッキーだとするのは、キミの感じた不快感や恥ずかしさを、全く無視しているとは思わないだろうか。
これこそが、ラッキースケベが孕む女性蔑視だ。
どのような大義名分があれ、突然胸を触られる、あるいは服を脱がされるのは、その女性にとって不快な行為だ。
恥ずかしくて不快で、たまらないだろう。
その場を立ち去りたい一心で、警察を呼ぶことすらできないかもしれない。
次の日から、同じ時間に同じ道路を歩くことができなくなるかもしれない。
にもかかわらず、これを“ラッキー”だなんて呼ぶのは、相手側の気持ちを全く無視している。
本来であれば犯罪になること、相手にとって不快なことを、自分たち側の視点だけで、こともあろうに「幸運な出来事」として描く。
だからラッキースケベは女性蔑視だ。
そこに女性側の視点が存在せず、性的なモノとして描かれ、消費されている。
この女性蔑視は、性犯罪の助長云々とは全く関係がない。
性犯罪を増やすかどうかは、関係ない。
女性側の視点を無視し、男性側の視点だけで女性にとって不快なことを「ラッキー」とすることが問題なのだ。
「ビートリフレ」も、同じ女性蔑視の問題を抱えている。
だからこそ、話し合うべきはそこなのだ。
「ビートリフレ」が孕む女性蔑視
改めて「ビートリフレ」の内容を確認してみよう。
本作はリズムに合わせて女の子をマッサージする新感覚のリズムゲームです。 マッサージ店に訪れるお客様は体の疲れだけなく悩みを抱えています。 秘伝のマッサージで身も心もほぐしてあげてスッキリさせてあげましょう!
「ビートリフレ」Steamストアページより
スクリーンショットは載せないけれど、基本はマッサージ店に訪れた女性キャラをマッサージするゲームだ。
リズムに合わせてマッサージすることで、高得点を獲得。
一定以上の特典でマッサージをを終えると「NTRモード」に突入。
この状態の女性キャラは、体のどこを触られても気持ちいいと感じるようになるため、全身くまなくマッサージしてあげよう…とのこと。
またマッサージ中にキャラクターは服がはだけ、息が荒くなっていくらしい。
公式サイトでは、キャラクターの足の、かなり股間に近い部分をマッサージしているスクリーンショットも確認できる。
まだ遊んでいないので断定はしないけれど、私はやはり「ビートリフレ」は女性蔑視を孕む作品だと思う。
マッサージ店を訪れたのは女性キャラの意思だと考えても、不自然じゃない。
だが、それを男性がマッサージするのは違和感はあるが良しとしても、やはり必要以上に股間や胸に近い部分を触るのは、女性にとっては不快で、恐怖すら感じることだろう。
それをゲームにし、しかもそのマッサージに得点がつき、高得点ならば女性が服を脱ぎ、しかもどこを触られても気持ちいいと感じるようになる…というのは、女性側の視点を無視し、性的モノとして扱っているとされても、文句は言えないと思う。
いかにマッサージとはいえ、見知らぬ異性に胸や股間に近い場所を触られて、気持ちいいと感じることがあるだろうか。
有り得ないと思う。
むしろ不快で、恐くて、逃げ出したくなるだろう。
そんな行為に得点をつけるなんて、おぞましいことだと感じる女性がいても、何ら不自然だと思わない。
「ビートリフレ」の問題点は、ここにある。
しかしだからといって、即座に規制だ、発禁だとするのも、短絡的だと思う。
大切なのは、これがゲームの中だけのファンタジーであり、現実の女性の視点を全く無視して、自分たちの都合のいいように描いているものなんだと、他でもない我々オタクが正しく認識することだと思う。
何の問題もない!と否定を突っぱねるのではない。
問題を正しく認識し、ではどうすればいいかを考えるのだ。
そして話し合う。
これが女性蔑視であるとして、ではどうすればいいんだろう?
そもそも女性蔑視とは何なんだろう?
どうすれば、あらゆる性別の人が気持ちよく生きられる社会になるんだろう?
そうして歩み寄れば、するだのしないだのの終わらない水掛け論から脱し、ずっと実りのある議論へと繋がるはずだと、私は思っている。
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