【素晴らしき日々/解釈】私たちは何をどうすれば「幸福に生きる」ことができるのか?

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当時、高校をでてすぐに働き始めたころでした。町工場の少ない給料をはたいて、ようやく自分用のPCを手にした目的はもちろんエロゲーでした。もともと家庭用ゲーム機でギャルゲーは遊んでいいたんですけれど、やっぱり『村正』とか『ユーフォリア』とか移植されない作品はたくさんあって、だから胸が躍っていました。

そうして手に取った一本がすば日々でした。

でも金だけでなく学も根気もなかった私には、本作は難解すぎました。私の知らない人や本から引いた難しい言葉がたくさんでてきて、だから当時抱いた感情は「ムカつく」とか、そのようなものだったと思います。だってみんなが名作だと言っているこの作品の意味が、私には全然わからなかったわけですから。

だから私の中には、それこそ未だに「いつか『すば日々』を分かってやる」という感情が渦巻いています。何をしていても「『すば日々』をやらなくては…」という思いがあって、そのトゲはいくつになっても抜けやしない。

だからすば日々についての自分なりに解釈を打ち出すことは、私の人生にとってもっとも大切なリベンジなのです。

実は4年前にも1度リベンジをしています(当該記事は削除済み)。その4年前の記事は当時の私にとっては本当に限界で、もうこれ以上このゲームから引き出せるものは何もない!と言い切れるまで、自分なりに考え尽くしました。しかし思い返せば、やっぱり手を抜いていたと思います。

そのためこのブログの最後に、もういちどやろうと思った…というわけです。こんな因縁のゲームですから、最後の記事がすば日々になるのは私にとってはすごく当たり前で、他のゲームは何も思いつきませんでした。

ただ断っておきたいのは、私は初めて遊んだときから今日まで、一度も本作を「面白い」と思ったことはない…ということです。この作品がなぜここまで評価されるのか、私には未だに分かりません。

彩名や卓司の妄想は相変わらず意味がよく分かりませんし、ざくろや卓司が愚か者に見えすぎるのがどうかと思いますし、ざくろを襲ったイジメに対して「今を捨てずに立ち向かえ」というのはあまりにも酷だと思います。だからアナザーエンドに至る戦いも結局ギャグ的になっているし(まともに戦えるような相手ではない)、そもそも分岐の選択肢が「立ち向かうか、否か」の選択ではないのもよく分からない。

…と、シナリオへの不満はかなりあります。たぶん書き出したら止まらないくらい。

それでもすば日々は私にとって凄く大切なゲームです。なにせ15年近くにわたって私を振り回しているゲームですから。

最近SNSで「私を構成する9本のゲーム」というネタが流行りました。自分は結局やれていませんが、もし選ぶなら…すば日々は必ず入れます。入らないわけがない。でも面白いとは思いません。けれど間違いなく私を構成しているゲームで、たぶん死ぬ直前に思い出すゲームの一本はこのゲームで、またいつかこのゲームを遊んで語り直す日が来ると思います。だってまだ分からないことがたくさんありますからね。今回の記事だって終ノ空Remakeを絡めたらどうなるのかとか、序章やウィトゲンシュタインの思想の話もできませんでしたし、サク詩、サク刻もふまえて語ったりとかもやりたいじゃないですか。

だからすば日々は今の私を構成している…いや構成し続けるゲームなんだと思います。このヤロウめ。

おしまいです。

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