現代においてビデオゲーム作品をジャンル分けする意味『』るか?
ビデオゲームの表現力が大きく向上した現代において、もはや旧来のジャンル区分が意味を持たない場面は少なくない。あるゲームは、ある部分ではADVで、ある部分はRPGで、ある部分ではアクションだったりする。それを特定のジャンルに押し込めることは、かえってそのゲームへの見方を狭めることに繋がるかもしれない。
とはいえ、メリットもある。
共通する特徴をジャンルとして定め、それに基づいて作品を分類すれば、それは同時に各作品の差異を際立たせる。例えば「アイス」という括りで『スーパーカップ』と『雪見だいふく』と『ブラックサンダーアイス1』を比較すれば、共通する/異なる部分がはっきり見えてくる。共通する部分はジャンル区分の定義候補で、異なる部分はそのまま作品の特徴と呼べるだろう。
つまりジャンル=共通する特徴に基づく分類は、同時に作品の際立った面も浮かび上がらせる。作品分析の一つの方法として、ジャンル区分の視点は役に立つ。
ここで表題に戻る。
展開なき『The Case of the Golden Idol』を、無理矢理にでも推理ADVに分類してみよう。すると何が見えてくるのか?
本記事では『The Case of the Golden Idol』をあえて既存のジャンルに当てはめて観察し、差異を浮上させ、そこから推理ADVが持つ「展開」という特徴に改めて注目する。そこから私たちが推理ADVを遊ぶ際の注目点の一つとして「展開」がいかにあるかを、実際の作品例とともに示すことを目指す。
なお、この時点で特記しておきたい点が二つある。
・本記事は『The Case of the Golden Idol』の正しいジャンル区分を目指すわけではない。
・本記事で示す「展開」という概念は、別に画期的な発見とかではない。ミステリファンの間では常識なのかもしれない
始める。
展開なき『The Case of the Golden Idol』
まずは『The Case of the Golden Idol』の紹介から。
本作はColor Gray Gamesが開発したポイント&クリック式の推理ADVだ。プレイヤーの目的は殺人事件の犯人と手口を暴くこと。画面内をポイント&クリックで探索してキーワードを集める。キーワードは一覧に表示される。解答画面では文中の穴を正しいキーワードで埋める。全て正解で埋めればステージクリア。
殺人事件と推理を扱うゲームと言えば、多くのゲーマーは推理ADVを思い浮かべるだろう。この共通点から、本作は推理ADVに分類することに無理はないと考える。でもぶっちゃけ本作のプレイフィールは、推理ADVというよりは論理パズルに近い。実際にパズルゲームとして紹介しているメディアもある。
でもこの記事では、本作をあくまでも推理ADVとして捉える。繰り返すが、正しいジャンル区分なんていう沼にjump inしたいわけではない。あえて推理ADVの枠組みに押し込むことで、他の推理ADVとの差異をより明確に浮上させるのが目的だ。
さて、本作を推理ADVの枠組みにぶち込むと、明確な差異が見えてくる。それは「展開がないこと」だ。
いや待て、展開がないとはどういう意味か?
つまり本作は、プレイヤーが状況にアクセスした時点で既に、事件の展開が終わっているのだ。被害者は既に死亡しており、容疑者は画面内の誰か。それを特定するための証拠品も画面内に全てそろっている。この状態からゲームが始まる。その地点から先へと事件が展開しない。
これは一般的な推理ADV2と大きく異なる点だ。
大抵の推理ADVは、まず事件を展開させていく。
最初に主人公と信頼できる人物が提示され、その後に他の人物が登場する。誰かが殺害されると捜査が始まり、証拠品の捜索やアリバイ確認を経て容疑者を絞っていく。作品によってはここでツイストがある。最も疑わしかった人物が更に殺害されたりする意外な展開だ(お約束でもあるが)。捜査は振り出しに戻る…かのように見せかけて、まさかの人物が真犯人として浮上してくる。再び捜査し、最後は犯人当て。
…こういう具合に、事件の発生から証拠集め、そして最後の犯人当て。つまり真犯人を確定させる推理に至るまでを展開させるのだ。
一方で『The Case of the Golden Idol』は、この展開をバッサリ切り落としている。被害者はもう増えないし、証拠品もこれ以上出てこない。その意味で異色の作品と言えるだろう。こうして推理ADVに分類してみると、本作が「展開がない」という大きな特徴を持っていることが明確に分かると思う。
だが話はまだ終わらない。
ではその浮上した展開とかいう特徴は、果たして推理ADVにとってどれだけ重要なのか?
推理ADVの「展開」に着目すると、色々見えてくるぜ
ジャンル内の差異と言っても、異なっているなら何でもいいわけじゃない。どうでもいい差異と重要な差異がある。では『The Case of the Golden Idol』と他多くの推理ADVの差異である「展開」は、重要な差異なのか?
メチャクチャ重要だ。
ただし、厳密にいうと「展開の有無という差異」ってよりは、『The Case of the Golden Idol』と一般推理ADVとの比較によって改めて浮かび上がる「展開」の存在それ自体が、推理ADVにとって物凄く重要だ…ということに俺は気づいた。パズルに分類した方が適切かもわからん『The Case of the Golden Idol』を、推理ADVの枠にギュっと押し込むことで、これが浮かび上がったわけだ。
『The Case of the Golden Idol』にはなくて他の推理ADVにはあるもの。それが展開。では他の推理ADVでは、展開はどのようにあるのだろうか?
ここから先は、実際の推理ADVを例に挙げながら、作品における展開の在り方を示していく。性質上いくらかのネタバレを含む。
『ファミコン探偵俱楽部』…物語として、面白さとしての展開
まずは『ファミコン探偵俱楽部』から。と言っても特筆するような点はない。本作はまず物語の形で事件を展開させつつ、節目で推理パートを挿入する形。これは小説も含めて多くの推理ものが当てはまると思う。
ポイントは、事件の展開自体が物語になっている点だ。
疑惑の人物が殺されたり、それまでの推理をひっくり返す証拠品が出たり、時には緊張のアクションシーンが入ったりもする。つまり展開が単なる情報提示でなく、それ自体がドラマ仕立てのエンターテインメント。この場合、展開を興味深く進められるか=物語として面白いかは作品の大きな評価点になり得るだろう。
例えば『ファミコン探偵俱楽部 消えた後継者』は、疑惑の人物を浮上させては殺害する流れを繰り返し、プレイヤーに先の予想できない緊張感と意外な真実による驚きをもたらそうとする。続編である『ファミコン探偵俱楽部 うしろに立つ少女』では、舞台となる学校に伝わる怪談をカギに、ホラーテイストを交えながら展開を進めていく。どちらも展開それ自体の面白さを重視している作品だ。
『かまいたちの夜』…推理と展開の逆転
『かまいたちの夜』は推理ADVの古典でありながら、現代から見ても興味深い特徴を持った作品と言える。その一端は展開に注目することでより明らかになる。
上記の『ファミコン探偵俱楽部』をはじめ、多くの推理ADVは展開の後に推理がある。まず事件を展開させ、展開させ切ったあとで推理が始まる。途中に論点整理みたいな推理パートが挟まることはあれど、真犯人を確定させるような推理パートは展開を終えた後だ。
『かまいたちの夜』は違う。本作は展開の前に推理がある。
というのも、本作は事件が展開しきる前に真犯人を当てられるタイミングがあるのだ。というかそこで真犯人を当てられなかった場合、事件が更に展開して犠牲者が増えまくり、かの有名な最悪のバッドエンドが待っている。
普通は展開の後に推理がある。『かまいたちの夜』ではこれが逆転している。極めてユニークな特徴だ。
誰もが展開の後に推理があると考える。どこかで展開が終わるタイミングがあり、その時点で推理をするのだと予想する。メタ的だが正しい考え方だ。しかしこの慣習は『かまいたちの夜』には通用しない。ではどこで推理をすればいいのか。真犯人を当てるためのピースはどのタイミングでそろっているのか。当てるのはプレイヤーだ。
本作は展開と推理を逆転することでプレイヤーを惑わせる3。また皆殺しによる凄惨なバッドエンドと、被害者ほぼゼロのハッピーエンドを一つの物語上で実現する。
『逆転裁判』…推理と展開の共存
お次は『逆転裁判』だ。
本作は「探偵パート」と「法廷パート」を交互に繰り返して真犯人を見つけるADV。今回注目するのは後者の法廷パートだ。この法廷パートを展開と推理の観点で見直してみると、本作の面白い特徴がわかってくる。
プレイ済みなら説明不要だろうが、本作はまず探偵パートで証拠品を集め、これを元に法廷パートで発言の矛盾点を指摘していく。その意味で法廷パートは、他推理ADVで言うところの推理パートと同じ位置にあるとも言える。真犯人を見つけるのも法廷パート内だ。展開が探偵パートで、推理が法廷パート。だが『逆転裁判』の仕組みは、スッパリと二分はできない。
なぜなら、本作は法廷パート中であっても事件が展開していくからだ4。法廷パートではライバル検事による反論や新たな証拠品の提出が頻繁に行われる。プレイヤーは事件を推理して仮説を立てていくが、その推理を踏まえて事件が更に展開する。
展開に合わせて推理し、推理に合わせて展開していく。だから法廷パートに入った段階では、プレイヤーにも事件の全貌は見えない。結論を固めてから挑むのではない。予想し得ない方への展開に、今その瞬間の推理で立ち向かうライブ感。推理しながら展開する。これが本作の面白いところだ。
言わば推理と展開の共存。この魅力を実現するライバルや嘘の存在を前提にした法廷というゲームの舞台は、演出に留まらない重要なメカニクスの根源と言えるのではないか。
『The Case of the Golden Idol』…展開が存在しない
最後は『The Case of the Golden Idol』だ。前述の通り、本作には展開が存在しない5。というか事件にアクセスした時点で展開が終わっている。
だからこそ本作は美味しいパートをすぐに楽しめる。だが同時にプレイフィールはパズルに近い部分もある。証拠品も容疑者もそろっていて、この中に必ず犯人がおり、それを導くための論証も手持ちの情報で行えると確定している。ならばあとはほとんど論理パズルだ。
これが面白い特徴であることは、上記の作品と比較すれば明白だろう。もちろん、そもそも本作を推理ADVに分類できるのかという疑問は残るが、今回はそこには立ち入らない。
終わりに…展開という私にとっての新たな視座
いかがでしたか?
短い内容だが『The Case of the Golden Idol』を推理ADVに分類し浮上する「展開」をキーワードに、既存の推理ADVを見つめ直してみた。正直ほぼ思い付きネタだったんだけど、意外と面白い内容になったと思っています。
推理ADVには展開と推理があり、これがどのようにあるかを見ることで、その作品の新しい魅力を発見できるかもしれない。共通点で括り、差異を浮かび上がらせる。これは推理ADVに留まった話でなく、多くの他ゲームジャンルにも応用できる……というか、ずっと使われてきた手法だと思う。
今回自分はこのやり方で、展開という推理ADVにおける新たな視座を得ました(今更かもだけど)。それを皆さんにも共有しようってわけです。
因みに記事中で言及した『逆転裁判』と『かまいたちの夜』の特徴は、実はある先達ADVファンが同じような言及をしているのを見たことがある。つまり上記の主張はぶっちゃけパクリなんだけども、まぁ今回は自分なりに考えて到達した6ので、特に断りもなく書いています。
おしまいです。