※ややネタバレ有『Love at First Sight 』は、見た目の異なりと、その人を想う姿勢について考えさせられる作品だった

ゲームレビュー
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.Love at First Sight の一部ネタバレを含んでいます

・単眼キャラクターの画像が記事中にあります。ショッキングなものではありませんが、一応。

Love at First Sight 』というゲームを遊びました。

いわゆる単眼っ子ヒロインとの恋愛模様を描いたアドベンチャーゲームです。エルフ耳のような、萌え要素の一つとしての単眼であり、現実の単眼症とは関係ありません(ちなみに検索しない方が良い)

このゲーム、遊んで早々に驚かされたことがありました。

というのも、本作ではヒロインの単眼は「持って産まれた他の人とは違う部分」として描かれているのです。

奇形とは関係ないと言いましたが、現実世界におけるそれらを描いたものではないとしても、本作における単眼はそれに近い位置づけだなと感じました。フィクション…とりわけ恋愛ものにおいて単眼っ子がどのように位置づけられるのが一般的なのかを知らないため、これが本作ならではなのか、だいたいそういうものなのかは不明なんですけども。

一目惚れ…ってそういうことかー

例えば上にも書いたエルフ耳とか、形状レベルで特徴を持った体の一部分を萌え要素とする文化は、昔からあります。でもそれって、私の触れてきた作品の中だと、そういう人たちが存在するのが当たり前とされていることがほとんどだったように思います。

エルフ耳なら、その作品世界にはエルフ族みたいな人たちがいて、その人たちはみな耳が細長く伸びていて、それが当たり前で、人と異なる部分…とは位置付けられていない…というのが、大半でした。

しかし本作『Love at First Sight 』における単眼は、そうではありません。

作品世界は、私たちが暮らす現実世界をそのまま舞台にしています。そのためヒロインの単眼は、他多数の人物たちとは異なる、ヒロインの持って産まれたものとされます。単眼であることが当たり前とされる設定は存在しないわけです。

そしてヒロインは、視覚に現れる個性を持って産まれたがゆえに、イジメにあっています。暴行を受けています。

エルフ耳であることを理由にイジメられる作品は寡聞にして知りませんが、本作は正に、単眼っ子が単眼であることを理由に、イジメられている(ように見える)のです。

この暴行の描写は控えめですが、ヒロインは体のあちこちにキズの手当の跡があり、制服はボロボロ。即通報のひどい目にあっていることが伺えます。主人公はあるきっかけでこのヒロインと出会い、彼女と親しくなっていきます。

ヒロインです

私たちは、それに嫌悪感や恐怖を抱いているのか?

本作のまず良いと思ったシーンは、はじめヒロインの単眼に驚いた主人公が、その後、自身の感情を自問自答する場面です。

「次に思い浮かぶのは・・・嫌悪感?」

マクロでもミクロでも、外見を理由に人を傷つける行為はなくなりません。

肌の色での差別はいつだってニュースにあります。また外見でのその人の個性は、学校でのイジメの大きな理由になるでしょう。最近どうかは知識がないので語れませんが、私が学生時代の頃、人とは違う見た目を一部分でも持って産まれた人は、それを理由に侮辱されることがたくさんありました。

一方で本作の主人公は、ヒロインの単眼を見て大いに驚きつつも、その後で自身に生まれた感情について自問自答します。

それならと次に思い浮かぶのは・・・嫌悪感?
いや、それとも違う。
あの子の前にいる間俺は顔をしかめることも目線をそらすこともしていない、

Love at First Sight』より

外見が異なるから…という理由で人に危害を加える人はたくさんいます。しかし、その外見の異なりが、具体的にその人に何をもたらしたのでしょう?
石を投げられたわけでもない、暴言を吐かれたわけでもない。そこにあるのが単なる見た目の異なりで、それ以上でも以下でもないならば、排斥する理由にはならないはず。

主人公はヒロインの単眼という見た目の異なりに大いに驚きつつも、それがもたらすのは恐怖でも嫌悪でもなく、本当に純粋な驚きのみだと気づきます。

短絡的に見た目が異なる=排斥や忌避と至らず、まず見た目の異なりが自身にもたらすものが何であるかを考えるのは、素晴らしい姿勢であると思います。

本作は単眼を作品世界における当たり前とせず、その人の持って産まれた個性として描き、そしてそれは現実世界でも延々と続く見た目由来の差別やイジメともリンクし、ならば主人公の姿勢は、その差別やイジメに加担する人たちが今考えるべきことであるように感じました。

そのため、ごく短くはありますが、この主人公の自問自答のシーンは、本作の良い点であると感じました。単眼を当たり前の世界とせず、現実世界を舞台にしたからこそ生まれたシーンであるように思います。

そんな本作ですが、後半にはちょっと気になるシーン…というかセリフもありました。そのシーンを絡めて、記事の本題を語っていきます。

隠したい、と思う気持ちを尊重すべきか否か?

物語中盤のデートのシーン。

フードで顔を隠したがるヒロインに対し、主人公がそれは怪しいからやめよう、という場面があります。正直、これにはショックを受けました。

「人と歩いててフードを被って顔が見えない人は怪しいね」

幸い主人公は、すぐ後のシーンでこの発言はマズかったかと自省します。

ネット上でもよく、外見にコンプレックスを抱く人に対し、気にするなだとか堂々としろと助言する人を見かけます。私はこれがあまり好きではありません。

いきなりカミングアウトしますが、実は私も、人と大きく異なる見た目を持って産まれた人間の一人です。具体的に何であるかは伏せますが、ぼかして言うならば、服を脱ぐとはっきり表れるタイプの、見た目の異なりです。

学生時代は、これを理由に随分とイジられました(イジりという表現も適切ではありませんが、分かりやすいため記事内では使います)。

服なんて人前じゃ早々脱がないでしょう?と思われるかもしれませんが、これが意外に機会はあります。例えば、今はどうか知りませんが、体育祭の組体操など男子は上半身裸が当たり前でした。そのほか水泳の授業、内科検診、修学旅行での入浴なんかも。

必ずイジられるため、どれも凄くイヤでした。しかし休めば余計に目立ちます。なので気にしていないフリをして参加していました。体育祭なんて保護者や異性も含めて見ていますから、正に衆人環視に晒されると言った心地であり、一番嫌いな行事でした。

その学生時代の経験は今でも尾を引いており、私はいまだに人前で服を脱ぐのが嫌いです。だから温泉、銭湯、プール、海水浴には、もう15年は行っていません。大浴場が前提になる旅行も嫌いです。

こうして見た目の異なりを隠したい、見られたくないと思う気持ちを、怪しいだとか隠すなだとか言われたら、私はまず間違いなく、傷つきます。それこそ「何も知らないくせに」と暴言を吐いてしまうかもしれません。

人目を気にするなと言いますが、そもそも見た目の異なりを気にしているのは、周りではなく自分です。その裏には絶対にその人にしか理解できない過去の経験があります。堂々としろだとか隠すなだとかいう発言は、周りからの奇異の目を我慢しろというのと同じです。それは思いやりでもなんでもなく、むしろ乱暴だと思います。

その人が、堂々としたい!と言ったのならば、話は別ですけどね。

単眼を隠したいと思う、ヒロインの気持ち。それを本当に慮った姿勢とは、一体何だろう?

主人公のセリフから、それを考えさせられました。きっと主人公も堂々としていれば良いんだと思ったのかもしれません。なるほどそれはカッコいいですが、果たして、ヒロインの気持ちに寄り添った発言でしょうか。

もし私が主人公だったならば、隠すなとは言いません。隠したい気持ちを尊重したと思います。フードを被っていていいし、なるべく人通りの少ない道を選びますし、そもそも外を出歩かないようにしたかもしれません。ヒロインが堂々としたいと言ったのならばそれに沿います。しかしそうでないのであれば、隠したいと思う気持ちを大切にしてあげたい。

さて皆さんは、これにどのような意見を持っているでしょうか?

終わりに

フェチ向けの恋愛ADVと思っていた『Love at First Sight 』ですが、いろいろなことを考えるきっかけにもなったユニークな作品でした。プレイ時間は2時間程度の短編ですので、気になる方はぜひプレイしてみてください。

タイトルLove at First Sight 
ジャンル恋愛ADV
対応機種PC
価格1200円
プレイ時間の目安2時間
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