『笑み男』と『消えた後継者』はなぜこんなに違うのか? ~ゲームと私が重なる瞬間~

ADV(ノベル)
この記事は約49分で読めます。

全く同じゲームにすら見える『消えた後継者』と『笑み男』の差は、どこにあるのか?

2024年は私にとって、コマンド選択ADVを改めて考え直す一年でありました。そうなった理由はファミコン探偵倶楽部シリーズ1最新作である『ファミコン探偵倶楽部 笑み男』や『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』の発売があったからです。

特に『ファミコン探偵俱楽部 笑み男』はジャンルファンにとっては最大の注目のタイトルであったかもしれません。ナゾ多きティザーからの電撃発表。私自身はADVの中でもいわゆる美少女ゲーム側のファンではありますが、それでも予想だにしなかった『ファミコン探偵倶楽部 笑み男』の発表には、興奮を禁じ得ませんでした。

なにせ同じゲームを何度も遊ぶことを大の苦手とする私が、復習のためにリメイク版『ファミコン探偵俱楽部 消えた後継者』と『ファミコン探偵俱楽部 うしろに立つ少女』を再プレイしたほどです。
※これ以降『ファミコン探偵俱楽部 消えた後継者』を『消えた』、『ファミコン探偵俱楽部 うしろに立つ少女』を『うしろ』、『ファミコン探偵俱楽部 笑み男』を『笑み男』と略します。また『消えた』と『うしろ』は断りが無い限りはリメイク版を指します。

リメイク版『消えた後継者』の一幕

そうして昨年の私は『消えた』と『うしろ』、そして『笑み男』を続けて遊んだのですが、やはりこうして通してプレイしてみると、各タイトル間の差がよりはっきりと見えてくるものです。

やはり『笑み男』は30年ぶりの新作だけあって、プレイフィールがとても良くなっています。一方で『消えた』はずいぶん古いゲームでありますから、どうも漫然していて良くない印象。やはりこのジャンルも進化しているのだなと感じました。

しかしここである疑問が浮かびます。この『消えた』と『笑み男』の差は、いったい何によって生まれているのでしょうか?

というのもファミコン探偵俱楽部シリーズは、ゲームシステムは3作とも全く同じです。そして『消えた』と『うしろ』はかなり古いゲームではありますが、リメイク版でビジュアルが一新されたため、スクリーンショットを見たくらいでは最新作の『笑み男』と見分けがつかないくらい現代風になりました。

つまりこの3作は、仕組みやビジュアル面ではほぼ同じゲームにすら見えるほど似ているのです。しかし遊んでみると確かに差があります。ではその原因は何なのでしょうか?

まず思いつくのは、ストーリーの面白さによる差です。が、これは『笑み男』を良しとし『消えた』とそうでないとする上では、適切な基準ではないように思います。なぜなら、私は純粋なストーリーの良し悪しで言えば『消えた』の方が良いくらいだと感じているからです。しかしプレイフィールは『笑み男』の方が良いと感じるのですから、そこにはストーリーではない差があることになる。

では、その差の原因は何なんだろう?

今回はこれについて、やや長い記事になりましたが、じっくり考えてみました。

『消えた』は、総当たりがあるから面白くない…のか?

『消えた』と『笑み男』の差は、何に起因するのか。なぜ『笑み男』のプレイフィールは良くて『消えた』は良くないなのか。

その原因の候補としてまず私が最初に考えるのは「総当たり」です。

実際に『消えた』と『笑み男』の両作をプレイすると明白ですが、『消えた』は明らかに総当たり的な選択をさせられる場面が多く、一方で『笑み男』はとても少ないです。

そしてこの総当たり、はっきり言ってあまり面白くありません。ならば総当たりの有無が『消えた』と『笑み男』にプレイフィールの差の原因の一端だと考えられます。

ではその面白くない総当たりとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。実際のプレイ画面を見ながら確認してみます。

以下の3枚のスクリーンショットはいずれも『消えた』のワンシーンです。この3つの場面は連続しており、場面①から③まで、それぞれ条件を満たすことで進行していきます↓

…と、いきなり3つもスクリーンショットをアップしましたが、実は場面③以外はあまり重要ではありません。ただ注目してほしいのは、各場面で選択可能なコマンドです。

これを選択することで、そのコマンドに関する話を画面中のキャラクターから聞くことができます。そしてご覧になればわかるとおり、この3つの場面は、選択できるコマンドの種類がかなり被っています。

これ確認しやすくするため、各場面のコマンド部分だけをトリミングして並べてみたのがこれです↓

みると、例えば「アキラの事」というコマンドは3つの場面全てにありますし、その他にも「ユリの事」や「神田の事」なども3場面中の2場面にあります。

このようなコマンド被りは引用した3つの場面に限った話ではありません。『消えた』の全編に渡って見られます。さすがに全部を提示することはできませんが、『消えた』はとにかく、別々の人や別々の場面であっても、少なくとも表記の上では同じコマンドを選択する場面がとても多いゲームです。

それを踏まえた上で、もう一度③の場面を見てみます。

ここからは具体的なゲーム内容の説明が増えるため、合間にちょくちょく、ファミコン探偵俱楽部の基本的なゲームシステムの解説も挟みながら進めます。

さてファミコン探偵俱楽部シリーズは全て、コマンドを選択することでのみゲームが進行します。この仕組みは『消えた』でも30年ぶりの新作である『笑み男』でも変化していません。各場面には多数のコマンドが並んでいますが、その中のどれかがゲームを進行させる条件のような役割を担っています。それを選択することで場面が遷移=ゲームが進行します。

このような、それを選択するゲームが進行するコマンドのことを「必須コマンド」と呼ぶことにします。

必須コマンドとはそれを選択するとゲームが進行するコマンド

ちなみに、ここでの「ゲームが進行する」とは不可逆的な場面遷移をするという意味で使います。上記の例でいえば場面①から場面②へ進み、場面①へはもう戻れなくなったとき「ゲームが進行する」に当てはまります。

そして当然、場面③にも必須コマンドが存在します。プレイヤーはゲームを進行させるために、どこかにある必須コマンドを選択しなくてはいけません。では場面③内のどのコマンドが必須コマンドなのでしょうか。

…と、ここでファミコン探偵俱楽部シリーズ共通のコマンド選択システムを簡単に説明しておきます。本シリーズはまず動詞コマンド…「見る」や「聞く」などの動詞を表すコマンドを選択したあと、次に出てくる目的語コマンドを選択することで、コマンドに即した行為が実行されます(例えば「見る」→「時計」や「聞く」→「今の時間」など)。

赤丸で囲ってあるのが目的語コマンド。動詞コマンドをえらぶとウィンドウが展開されます。

そして必須コマンドは大抵の場合、動詞コマンド「聞く」から選択できる目的語コマンドの中にあります。なぜそう言えるかというと、これはシリーズの慣習によってそうなるものとさせてください。ファミコン探偵俱楽部は殺人事件を探偵として捜査するシナリオが描かれるゲームであるため、基本的に人物の聞き込みによってゲームが進行します。実際、ほとんどの必須コマンドは「聞く」内の目的語コマンドの中にあります。

そのため場面③においても、ゲームを進行させるためにまずは「聞く」から選択できる目的語コマンドを埋めていくのが定石です。慣習通りその中に必須コマンドがあれば、埋めていくうちに勝手にゲームが進行するでしょう。

しかし場面③の場合、実はこの時点では必須コマンドは存在するんだけど存在しません。これはどういうことかと言いますと、もちろん必須コマンドは存在するのですが、ある条件を満たしたあとでないとそのコマンドが必須コマンドとして機能しません。

具体的にはどういうことなのか。再びスクリーンショットを使って解説します。

↓は場面③において「聞く」を選択し、目的語コマンドを展開した状態のスクリーンショットです。

先に正解を言っておくと、場面③の必須コマンドは「聞く」→「アキラの事」です。ただこの必須コマンドはそのまま選択してもゲームが進行しません。ただ選択するだけでは、キャラクターは↓のスクリーンショットのような反応を繰り返すばかりになります。

何度選択してもこのテキストしか出なくなる

ではどうすれば「アキラの事」が必須コマンドとして機能するようになるのかというと、ある別のコマンドを経由する必要があります。具体的には「聞く」→「アキラの事(1度目)」と「完治の事」と「アリバイ」の3つ。更に「見る・調べる」→「香(この座っているキャラの名前です)」。以上の4つを選択し、そのあとで改めて「聞く」→「アキラの事(2度目)」を選択するとゲームが進行します。

このように、それを選ぶまでは必須コマンドをえらんでもゲームが進行しないコマンドのことを、これ以降「要経由コマンド」と呼ぶことにしましょう。

要経由コマンドそれを選ぶまでは必須コマンドを選んでもゲームが進行しないコマンドのこと
4つぜんぶ選んだあとでないと必須コマンドを選んでもダメ

場面③は4つの要経由コマンドがあり、これらを選択するまでは必須コマンドである「アキラの事」をいくら選択しようが、同じテキストが表示されるだけです。ただし要経由コマンドをえらぶ順番は自由で、また要経由コマンド同士および必須コマンドとの間に別の無関係なコマンドをえらんでも問題はありません。

ファミコン探偵俱楽部において、要経由コマンドの存在自体は珍しいものではありません。むしろ無いシーンの方が少ないくらいです。その理由は恐らく、要経由コマンドを設定しておかないと、プレイヤーが情報を十分に確認できないままゲームが不可逆的な進行をしてしまう恐れがあるためでしょう。そしてプレイヤー側も要経由コマンドの存在を、慣習的に認知しています。

ですから場面③に要経由コマンドがあること自体は当たり前ですらあります。

ただここで問題になるのは、場面③における要経由コマンドの位置です。具体的には4つの要経由コマンドの内の1つ「見る・調べる」→「香」です。

「見る・調べる」→「香」

前述の通り、プレイヤーは慣習的に「聞く」コマンドの中に必須コマンドがあると考えます。そして要経由コマンドの存在も常に認知していますから、「聞く」からのコマンドをそれぞれ2回は当たるでしょう。そのコマンド内に要経由コマンドと必須コマンドがどちらもある場合、選んでいるうちに勝手にどちらも踏むことになるからです。

しかし場面③の要経由コマンドは「見る・調べる」内にもあります。これはプレイヤーにとって慣習外の仕様です。そのためプレイヤーは「聞く」内を選びつくしてもゲームが進行しないことに、少しだけ戸惑うでしょう。

では戸惑ったあとどうするか。

これは私の実体験のみに基づいた話になってしまいますが、考えられるのは「聞く」内の目的語コマンドをもう1周、全て選択してみることです。もしかしたら「このコマンドを2回選択する」という条件を持った要経由コマンドが「聞く」内にあり、選びまくっているうちに勝手に踏み、そのまま「聞く」内にあるだろう必須コマンドを踏むことが推測できるからです。

前述の通り、プレイヤーの頭には要経由コマンドの存在が常に頭にあります。慣習がそうさせます。ですが一方でどのコマンドがどのような条件を持った要経由コマンドなのかは不明です。もしかしたら3回選択しないといけない要経由コマンドがあるかもしれない。そして慣習的に「聞く」内に必須コマンドと要経由コマンドが存在する場合が大半ですから、「聞く」を徹底的に潰してみることは有効な攻略法です。

そうして「聞く」内をぐるぐる周回することがあるのですが、そのときネックになるのが、上の方で書いた異なる場面でのコマンド被りです。

この3場面に限らず『消えた』は異なる場面でも同じコマンドがズラリ並んでいることがとても多いです。もちろんコマンドの文言自体は同じでも、場面ごとに返ってくるテキストは異なります。同じコマンドでも場面によっては重要な情報が得られることもあります。

しかしそれ以上に、似たような返答が来る場面が多い。重要な情報とはいえ一度聞けば十分なわけですから、「聞く」内をぐるぐる周回して既読テキストを見続けるのは、はっきりいってそれ自体が面倒で面白くない体験です。しかしどこかにある要経由コマンドと必須コマンドを見つけないとゲームが進まないのならばやるしかありません。

これが私の言う『消えた』における面白くない総当たりの一端です。ゲームを進めるために煮えきらない返答ばかりの面白くないコマンドを何度も選択しなくてはいけない。これがつまらない。

もちろん「聞く」コマンドの周回に入らずに「見る・調べる」など、他の動詞コマンドを試してみる方へと進む可能性も十分あります。しかしこの場合であっても、あまり面白くなさそうなコマンドをえらばなくてはいけないという点は「聞く」コマンドを周回する時と変わりません。

なぜならファミコン探偵俱楽部において情報を得るためのコマンドは、ほぼ全ての場面において「聞く」コマンドであり、他の動詞コマンドは大して意味がないものが大半だからです。

例えば場面③の動詞コマンドで言えば、「聞く」以外にも「取る」や「呼ぶ」などの動詞コマンドがあります。これらの中に要経由コマンドがある可能性は常に存在します。しかし要経由コマンドはゲームを進行させるために必要なコマンドなはずですから、当然、重要な意味を持つような、選択しなくてはいけないコマンドがそうであると考えるのが自然です。

では殺人事件解決のために聞き込みをしている場面において「取る」や「呼ぶ」、「見る・調べる」だのにどれだけの意味があると予想できるでしょうか(ちなみに場面③の座っているおばさんは容疑者ではありません)?

現場検証の場面ならいざ知らず、場面③のような聞き込みのシーンにおいて「取る」や「見る・調べる」が要経由コマンドになっているとは考えづらい。実際『消えた』のほとんどの場面において「聞く」以外の動詞コマンドは無意味で、「これは取れない」みたいな簡素なテキストが返ってくるだけです。

しかし既に書いた通り、場面③の要経由コマンドの一つは「見る・調べる」→「香」です。

そしてこれが要経由コマンドであることはプレイヤーには分からない。それどころか選ぶだけ無意味なコマンドにすら見えるでしょうから、「聞く」内を全て選択しおえた後のプレイヤーは、やはり戸惑うことになる。その後プレイヤーは「聞く」を周回するプロセスを挟む、あるいは挟まない可能性もありますが、どちらにしても要経由コマンドを探すために、今一つ意味が感じられない他の動詞コマンドへと探索の手を伸ばす必要があります。

そうしている内にいつかは「見る・調べる」→「香」を踏むでしょう。ただそのときプレイヤーがやっているのは「ゲームを進めるため、意味が感じられないコマンドを選択する」という行為であり、それは「聞く」を周回するときの精神状態と何も変わりません。もちろん良い具合に要経由コマンドを効率よく踏み、テンポよく進めることができる場合もあると思います。しかし結果的に少ない手間であったとしても、意味が感じられないコマンドを選択するプロセスを経ていることは変わらないでしょう。

つまりプレイヤーは場面③において、要経由コマンドを探してつまらないテキストしか表示されないコマンドを選ばなくてはいけない。どれが要経由コマンドかは不明なので、その探索は全コマンドを対象にした総当たり的な選択になるでしょう。いくつもあるコマンド全てを射程に入れ、つまらない選択にひたすら当たるその時間。これこそが私が『消えた』と『笑み男』の差の原因ではないかと睨んでいる「つまらない総当たり」に他なりません。

以上の話はあくまでも引用されたシーン内での話ではあります。しかし『消えた』は全体を通してこのようなシーン…つまり要経由コマンドが妙な位置にある場面が多いです。ひとつひとつを抜けるのにそれほど時間はかかりませんが、意味が感じられないコマンドを漫然と選ぶシーンは頻発します。それは毒のようにまわって本作への評価を悪い方へと落とすでしょう。

ちなみに要経由コマンドを全て通って必須コマンドを選ぶと、このようにアイテムを入手したのちゲームが進行します。

ではこれに対して『笑み男』は、どうなっているのでしょうか。

ふたたび具体的なシーンを見ながら確認していきます。

『笑み男』のから参照する具体的な場面は以下の2つです。

2つの場面は連続した場面です。『消えた』より一つ少ないですが、2作の大まかな違いを説明するには十分です。

まず一見してわかるように、『笑み男』は『消えた』と比べて選択できるコマンドの数が明らかに絞られているのがわかります。2作を比べてみます。

こっちは『消えた』
こっちが『笑み男』

『消えた』は3場面それぞれで10近いコマンドが並んでいるのに対し、『笑み男』は明らかに少ないことが分かります。このようなコマンドの数を絞る傾向は本シーンのみならず『笑み男』全体に渡って見られます。そのため『笑み男』は必須コマンドにせよ要経由コマンドにせよ、まずそれを総当たりによって探すこと自体の手間が『消えた』と比べてずっと少ないです。

また『消えた』は10近いコマンドのうち、必須コマンドと要経由コマンドはその一部でした。一方の『笑み男』は必須でも要経由でもないコマンドはそもそも存在しない場合が多いです。そのため当てもなく探すような自体にそもそもなりづらい。

…とはいっても、もちろんこれらのシーンは私の恣意的な抽出です。そのうえ異なるタイトルから条件をそろえずにシーンを抽出して比較することにどれほどの有効性があるのか、という疑問を持つ方も多いでしょう。『消えた』からはコマンドの数が多いシーンを選び、一方の『笑み男』からは少ないシーンを選んで差があるように見せかけているのではないかと疑われてしまうかもしれません。

そのような疑いを完全に否定しきることはできません。実際、私も全体を見て公平にシーンを選んでいるわけではありません。それどころか言いたいことを説明しやすいシーンを選んでいるので、恣意性は多分に含まれています。

ただ反論するのなら、私が話したいのは『笑み男』と『消えた』の傾向の話なので、例え抽出が恣意的で比較の方法が不十分であっても、そこから両作の傾向の違いが伝わればそれで良いと考えている…ということは言えます。『笑み男』が全体を通してそのシーンに不要なコマンドはなるべく表示自体しないよう作られている傾向を持っているのは明らかだと思っています。上記はその傾向を伝えるための抜き出しです。もちろん恣意的な抜き出しからゲーム全体の傾向など読み取れはしないでしょう。こればかりは私を信じてくださいという他ありません。ゲーム中のどのシーンを取ったとしても『笑み男』は不必要にコマンドが多すぎるシーンはほとんど見当たらないし、『消えた』は不要なコマンドがずらり並んでいるシーンが終始つづきます。これが本当の話かどうかを確かめる方法は、読んでいる人それぞれが両作を実際に最後までプレイしてみる以外にないでしょう。

話を戻します。

『笑み男』はコマンド数を絞っており、総当たりをするとしても楽だし、そもそも不要なコマンドが存在自体しません。一方の『消えた』はコマンドの数が多い上に、そのシーンに不要なコマンドがたくさんあります。

これだけでも2作のプレイフィールの違いの原因を説明するには十分かもしれません。ただもう少し踏み込む価値があります。

というのも『笑み男』は単にコマンド数を絞っているだけではなく、更にある工夫によってプレイフィールを『消えた』よりも大きく改善しています。その工夫とは、言わば「プレイヤーを導く工夫」とでも呼べるものです。

これを再び実際のシーンを参照しながら解説します。

もう一度、場面④のスクリーンショットを見ます。

この場面にも当然、要経由コマンドと必須コマンドが存在します。

が『笑み男』の要経由コマンドは『消えた』とはその様相が少し違います。

言うなれば笑み男の要経由コマンドは「線上性」を持っています。では線上性をもっているとはどういうことか。

先に言ってしまうと、上記の場面④の要経由コマンドは合計で7つあります。ただし7つの要経由コマンドは、場面④に入った最初の段階では一部しか表示されていません。ではどうすればいいのかと言うと、7つの内の最初の2つの要経由コマンドを選ぶと、3つめの要経由コマンドが出現します。

つまり『笑み男』の要経由コマンドは、ある要経由コマンドを選ぶと次の要経由コマンドが出現し、その要経由コマンドを選ぶとまた次の要経由コマンドが出現する…という、まるで要経由コマンドが一本の線の上で連なりを持つような形で構成されています。そのため「線上性2」という言葉で表現しました。

一方の『消えた』は場面開始時にあるいくつものコマンドの中のどれかが要経由と必須コマンド…という作りでした。そのため線上性は『笑み男』の特徴の一つと言えるでしょう。

では線上性を持つ要経由コマンドが体験をどう変化させているのか。これを具体的に見てみます。もう一度、場面④のスクリーンショットです。

この場面④において、まず要経由コマンドになっているのは「聞く」内の2つのコマンドである「英介の事」と「気づいた事」の両方です。前述の通り本作では慣習により「聞く」コマンドから埋めていくのが自然です。そのためプレイヤーはこの段階では要経由コマンドを探して迷うことは絶対にありません。

続く3つ目の要経由コマンドは、動詞コマンドである「考える」です。ただし3つは線上性の関係にあります。つまり「考える」は「英介の事」と「気づいた事」を選択したあとでないと、要経由コマンドとしての機能を果たしません。必ず2つの後に選ぶ必要があります(間に別のコマンドを挟んでも問題ありませんが)。

赤い丸で囲ってあるのが「考える」

では2つの要経由コマンドの前に「考える」を選ぶと、どうなるのでしょうか。ここからが『笑み男』の『消えた』にはないユニークな点です。

先に「考える」を選ぶと、↓のスクリーンショットのテキストが表示されます。

(生徒から話を聞いてみましょう)

スクリーンショットの通り、2つの要経由コマンドのまえに「考える」を選ぶと、まずは「聞く」内のコマンドを選ぶことを示唆されます。これはつまり現在の要経由コマンド=今選ぶべきコマンドが何かを伝えていると言えるでしょう。

このシーンに限らず『笑み男』における「考える」は常に、ヒントコマンドの役割も持っています。「考える」は選択すると次に選ぶべきコマンドが何かをそれとなくプレイヤーに伝えてくれるコマンドであり、そのためプレイヤーは迷ったら「考える」を選択すれば迷わない。そのような仕様になっています。

ですからプレイヤーはこのシーンにおいて、今何を選ぶべきかで迷うことがまずありません。前述の通りまず慣習的に「聞く」内から埋めていくのが基本ですし、たとえ迷ったとしても「考える」を選べば「聞く」を選べと教えてくれるからです。そして「聞く」内の2つのコマンドをえらんで話を聞き終えた後は、再び「考える」を選べばいい。このシーンでは「考える」自体が要経由コマンド化しますからしぜんとゲームが進行しますし、他の場所に要経由コマンドがあったとしても「考える」を選べばそのヒントをくれるだろうと予想できるからです。そのためプレイヤーは「考える」までの要経由コマンド3つをしぜんな流れで踏むことになるでしょう。

では要経由コマンド2つのあとに要経由コマンド化した「考える」を選ぶとどうなるのか。そのスクリーンショットが↓です。

(学校全体の雰囲気って、どうなのかしら?)

「考える」はヒントコマンドの役割を持っていますから、このテキストの内容から次は学校全体の雰囲気に関する話を聞けばよいのだと推測できます。

このテキストを確認すると、4つめの要経由コマンドである「聞く」内の「学校の事」が出現します。この「学校の事」が5つめの要経由コマンドです。

要経由コマンド化した「考える」を選ぶ前は「学校の事」はありません↓

「学校の事」がない

ポイントは、要経由コマンド化した「考える」を選択すると表示されるテキストにおいて、次は学校のことに関して話を聞くべきだとプレイヤーに促していることです。

「聞く」→「英介の事」と「気づいた事」を選択し終えたプレイヤーにとって、次に選ぶべきコマンドが何かは分かりません。慣習によって重要と思われる「聞く」内コマンドを全て潰したうえでもゲームが進行していないからです。そしてゲームが進行していない以上はまだ要経由もしくは必須コマンドを踏めていないことは確実ですから、このタイミングでプレイヤーはあのつまらない総当たり的な選択を始めることになりうる。

しかし「考える」がそれを防ぎます。「考える」によって提示されるヒントが次に選ぶべきコマンドを示唆します。それだけでなく「学校のことを聞くべきだ」とプレイヤーに伝えることで、この場面④のこの人物から学校の事に関する情報を聴けば、それにより重要な情報が得られるかもしれないことをも伝えています。ならばこの時点でプレイヤーは、自らの意思において学校のことに関する話を聞きたい(あるいは聞くべき)だと思うでしょう。ヒントコマンドである「考える」によって示されるコマンドから無意味なテキストが返ってくるとは思えないからです。

そしてそのプレイヤーの意思に呼応するようにして「学校の事」が出現します。「考える」にて促されたプレイヤーは、やはりしぜんに「学校の事」を選択するでしょう。

このように1~3つめまでの要経由コマンドと同様に、続く4つめの要経由コマンドもやはり、迷うことなくしぜんな流れで選択できるように作られていると言えます。

5つ目の要経由コマンドは「学校の事」をもう一度選択することです。ここで唯一、同じコマンドを2回選択する必要がでてきます。とはいえ『消えた』のところでも書いた通り、慣習的に「聞く」コマンド内は何度か選んでみるのが基本ですから、「学校の事」をもう一度選ぶということに対してプレイヤーが迷うことはないと思います。仮に迷ったとしても、そのときは「考える」をえらんでヒントをもらえばいい。↓の「聞く」を促すテキストが再び表示されます。

このあとは6、7つめの要経由コマンドである「聞く」と「考える」を選択し、最後に必須コマンドを選択するとゲームが進行します。ここでもこれまでと同様、基本的に「考える」を使いながら選択すればまず迷うことなく必要なコマンドを選んでいくことができます。

つまり『笑み男』はある要経由コマンドを選ぶと次の要経由コマンドが…と要経由コマンドに線上性をもたせ、その線の上を導くようにプレイヤーに選択を促すことで、迷ったうえでの総当たり的な選択が発生しづらい作りになっていると言えます。

ずいぶん長くなりました。まとめましょう。

『消えた』は一度わからなくなると、要経由コマンドと必須コマンドを探すために「こうなりゃ全部選んでみるしかない」という精神の上で目印すらない総当たりをしてみるしかありませんでした。しかも選択できるコマンドは多数あり、その中には意味のないコマンドがいくつもあります。このような行為にポジティブな感情が湧くはずもなく、だから総当たりはつまらない。そして『消えた』はそういう場面が多いゲームです。

そうして多数のコマンドの中に要経由コマンドと必須コマンドを散りばめ、当て所なく探さねばならないのが『消えた』ならば、対する『笑み男』は一本の線の上に要経由コマンドと必須コマンドを並べ、その線上を導いていくゲームだと言えます。導き手は「考える」によるヒントとテキストです。次に選ぶべきコマンドを常にプレイヤーに示唆し、するとプレイヤーは「これを選べば良さそうだ」というモチベーションを与えられながら、要経由コマンドの連なる線の上を歩くことができます。「意味が無さそうだけど選んでみるしかない」という精神での総当たりがありません。

これこそが『消えた』と『笑み男』の差の原因ではないでしょうか。つまるところ原因は総当たりの有無で、その内実は上記の通りです。

…と、はじめはそう考えていました。

上記の話、もっともらしいことを言っているようですが、ちょっと変だなと思った方もいるかもしれません。というのも、この話だけを見ると、私が本当に「面白くない」と思っていることが具体的に何であるのかが不明瞭だからです。

というのも、厳密に考えてみれば上記の『消えた』のケースでも『笑み男』のケースでも、プレイヤーは総当たりなどしていません。

どういうことでしょうか。次はこれを考えてみます。

実際のところ、『消えた』でも総当たりなんてしていない…?

今更な話、そもそも「総当たり」とはどのような行為を指すのでしょうか。国語辞典で引いてみると以下のように書かれています。

そうあたり[総当たり] 全部のものと〈試合/取り組み〉をすること。

三省堂国語辞典 第八版 / 三省堂 より

みるに、どうも総当たりとは本来スポーツなどの試合形式を意味する言葉であって、本記事内で使っているような意味は辞書的には存在しないようです。

では本記事内では総当たりをどのような意味で使っているのでしょうか。

私は総当たりという言葉を直観的にイメージする意味で使っているので、つまり本記事内での総当たりの意味=私が何となくこうだろうと思っている意味になります。

ではその何となくこうだろうとはどのようなものか。私自身もあまり考えたことはありませんが、強いていうならば「分岐点にある選択肢を、その全てを選ぶ可能性を排除しないまま選択していくこと」みたいな感じでしょうか。例えばA~Dの選択肢がある分岐点があるとして、最終的にはその全部を選ぶことになる可能性を排除しないまま、選択をし始めるような、そういう状況です。

これには異論もあると思います。そもそも辞書に載っていない意味を合意なく使っているのであれば、人それぞれの「総当たり」があっても何ら不思議ではないでしょう。

とはいえ、本記事はあくまでも私の思う意味で総当たりという言葉を使うとさせてください。ここでやりたいのは総当たりの正しい使い方の話でなく、総当たりという言葉を使って私がイメージする『笑み男』や『消えた』のシーンの話なので、特に問題はないと考えています。

さて、上で私が考えた「分岐点にある選択肢を、その全てを選ぶ可能性を排除しないまま選択していくこと」という意味で総当たりという言葉を使うとするならば、前述の『笑み男』や『消えた』の話はおかしなことになります。

なぜか?

これは1枚のスクリーンショットを使って簡単に説明できます。

先ほどの場面③と全く同じシーンです。

このスクリーンショットは上でも散々だした場面③と全く同じ場面です。具体的に言うと、場面③にて動詞コマンド「見る・調べる」を選び、更に目的語コマンド「どこ?」を選択すると出てくるフリーカーソルを「カーテン」に合わせた状態です。このまま決定ボタンを押すと「カーテン」を調べることができます。

しかしこの「カーテン」は本当にただのカーテンで、調べても「カーテンだ…」みたいなテキストが出てくるだけです。つまり攻略には一切関係ありません。ゲーム中いちども調べなかったとしても何の問題もありません。

さて、もしプレイヤーがこの場面③にて要経由もしくは必須コマンドを総当たりで探すとき、果たしてこの「カーテン」を調べるでしょうか?

私は調べない可能性がかなり高いと思っています。なぜなら「カーテン」はどう考えても攻略に関係ないし、調べたところで大したテキストも表示されないだろうということが明確に予想できるからです。

もちろん「カーテン」が要経由コマンドである可能性がゼロではない以上、一応「カーテン」を調べてみるというプレイヤーもいると思います。ただしそのときの精神は「どうせ関係ないけど一応」のようなものではないでしょうか。プレイヤー自身も明らかに関係ないとわかっていて、でもしらみつぶしにやっておきたいから一応調べておくような形ではないでしょうか。それは少なくとも「これが要経由コマンドor必須コマンドかもしれない」という、何かを探す精神とはかなり異なると思います。

つまりプレイヤーが要経由もしくは必須コマンドを総当たりで探すとしても、実はそのとき、総当たりと言いつつ、選べる全ての選択肢を対象にしているとは限らないと言えます。上記の「カーテン」のように、プレイヤーは自身の脳内で一部の選択肢をはじめから「絶対に関係ない」と除外しているのではないかと思います(もちろん場面によっては一切除外しない場合もあるでしょうが)。

そして上で書いた私が思う総当たりの意味は「分岐点にある選択肢を、その全てを選ぶ可能性を排除しないまま選択していくこと」でした。これでいくならば、一部の選択肢を選ぶ可能性を排除したうえで選択していく場合…上記の例でいうなら「カーテン」をはじめから除外していたのなら…それは少なくとも私が思うところの総当たりはしていないことになります。

こうなってくると、私が一度出した『消えた』と『笑み男』の差は総当たりの有無にあるという結論はひっくり返ってしまいます。なぜなら『消えた』でも『笑み男』でも、全選択肢を対象にした総当たりなど行われていないからです。

そもそも『消えた』の総当たりがつまらないと感じる理由は、目印もなく、それを選ぶことに意味があるのかすら不明ないくつものコマンド全てを対象に「こうなりゃ全部選んでみるしかねぇ!」の精神で当たることが面白いはずがないから…というものでした。しかしこれまでの話を踏まえれば、私はすくなくとも「全部」を対象にしてはいません。ならば、私が考える意味での総当たりの有無が、両作の差の原因であるとは言えなくなってしまいます。

これを明確にするため、もう一度場面③のスクリーンショットを見てみます。

場面③には選べるコマンドが多数あります。たとえば動詞コマンド「取る」を選ぶとフリーカーソルが出現し、画面内の様々なもの…カーテンだとか写真だとか窓だとかに「取る」を実行できます。しかしそんなことをしても何の意味もありません。当然攻略には関係ないですし、テキストも「これは取れない」みたいな簡素なものが表示されるだけです。

そのため、少なくとも私が『消えた』を遊んでいるとき、この場面③でどんなに要経由コマンドや必須コマンドが見つからなくて困ったとしても、私は「取る」→「カーテン」や「取る」→「窓」を選ぶことは決してないと思います。どう考えても関係ないからです。

つまり私は『消えた』の総当たりで全部のコマンドから必須もしくは要経由コマンドを探すシーンが面白くないと言いつつも、その実態では全部を対象にした総当たりなどしていなかったことになる。なぜなら始めから一部のコマンドを除外しているからです。

さて全コマンドへの総当たりが行われてすらいないのならば、『笑み男』と『消えた』の差はその有無だという話は間違っていることになってしまいます。しかしそれでも両作のプレイフィールに差があり、そして『消えた』の要経由コマンドを探して当て所なくコマンド内をさまようことがつまらなくて、そして『笑み男』の線上性のある要経由コマンドを追っていくのはそうでないという事実は変化しません。

では両者の差は、本当はどこにあるのでしょうか?

この真実を知るために「総当たり(だと思っていた)」という行為をより細かく分解してみましょう。

その選択は総当たりであり、同時に総当たりではない

これまでの話で、私は実は総当たりをしているつもりでしていなかったことが明らかになりました。そのため「総当たり」という言葉をこれ以上は使うべきではないでしょう。

ただそれを踏まえたうえでも、これ以降もこれまで通り「総当たり(だと思っていた行為)」と呼んでいたものを、そのまま変えずに「総当たり」と呼称します。つまり「総当たり」という言葉を、私が想定していた意味ではなく、『消えた』で実際に行われている「最初の時点から一部の選択肢を除外した上で、残った選択肢の中から、その全てを選ぶ可能性を排除しないまま選択していくこと」の方を指して使いたいというわけです。

なぜそんなややこしいことをするのか。

まずこれまでの話で分かったのは「『消えた』でも『笑み男』でも、選択肢の全部を対象にした総当たりは行われていない」ということです。「見る・調べる」→「カーテン」のように、たとえ総当たりで探しているときであっても、一部のコマンドは除外されています。

一方で私は「総当たり」という言葉の意味を「分岐点にある選択肢を、その全てを選ぶ可能性を排除しないまま選択していくこと」と考えていました。そして『消えた』でもその意味での総当たりが行われていると考え、だから面白くないのだとしたわけですが、実際のところは『消えた』とて全コマンド対象の総当たりなど行われていませんでした。

つまりこれまでの流れによって何が判明したのかと言えば、それは私自身が『消えた』で行われる総当たりの実態を勘違いしていたということです。「『消えた』の総当たりは面白くないよね。総当たりってこういう意味だよね。あれ? でもよく考えたら『消えた』の総当たりって、オレが想定してる総当たりと全然違うじゃん!」みたいなことが判明したわけです。

私が勘違いしていただけであって、『消えた』では「一部のコマンドを除外した上でのの総当たり」が行われています。ですからその「一部のコマンド除外状態での総当たり」の周辺に『消えた』と『笑み男』の差があるのではという論旨はこれ以降変わりません。はっきりしたのは、両作の差の原因が「分岐点にある選択肢を、その全てを選ぶ可能性を排除しないまま選択していくこと」の有無ではないということです。そんなことは行われていないのですから。

これらを踏まえて「総当たり」を、『消えた』内で本当に行われている「一部のコマンドを除外した状態での総当たり」という意味で使っていこうというわけです。そのため「カーテン」を除外して行われるような総当たり的な選択を、変わらず「総当たり」と呼称し続けます。

いいわけじみた前置きは終わりです。

さて本記事では冒頭から総当たり総当たりと言っています。しかしその総当たりは私が想定していたものとは違うものであることが分かりました。

ではその実態は、いったいどのようなものなのか。これを考えてみる必要があるでしょう。何せ私は、私が持っている「総当たり」という言葉の意味と、『消えた』や『笑み男』の中にある総当たりが異なることが分かってしまったのですから。その『消えた』や『笑み男』の総当たりとはどのようなものなのか…これを何となくのイメージとかでなく、もう少し具体的な形で捉えてみようというわけです。

ではその「もう少し具体的な形」とはどのような形か。それはプロセスを明らかにすることです。

…と言いますのも、さっきから、いや冒頭からずっと「総当たり」と一言で表現していますが、実際のところ総当たりとは、細かい複数の行為からなる一連のプロセスを指した言葉(という意味で使っている)です。総当たりに限らず、こういうものは他にいくらでもあります。

例えば「駅に行く」という一文には、その中に細かい行為からなるプロセスが内包されています。靴を履き、玄関を出て、道をあるき、信号を渡り…と、そのようなものを全部ひとまとめにして「駅に行く」と言います。

「総当たり」も同じです。では総当たりのプロセスは、どのような行為からなるのでしょうか。

三度め(だっけ?)になりますが、場面③を見てみます。

場面③の要経由コマンドは「聞く」内の「アキラの事」と「完治の事」と「アリバイ」、それに「見る・調べる」内の「香」でした↓

必須コマンドは「アキラの事(2回目)」です。要経由コマンドを全て選んだあとでえらぶと、ゲームが進行します。

要経由コマンド後に必須コマンドを選ぶと、写真を貰える。

このとき問題になるのは、要経由コマンドの1つである「見る・調べる」→「香」だと上で主張しました。問題になる理由は「見る・調べる」内に要経由コマンドがあることが分かりづらいためです。ジャンルの慣習により「聞く」内のコマンドはいろいろ選択してみるのが基本ですから「聞く」内に要経由コマンドは問題になりません。しかし「見る・調べる」内はそのような慣習がないため迷ってしまう。そして迷ったときにやることになる総当たり的な選択がつまらない…というのが私が上で展開した主張の大枠です。

ではこの「見る・調べる」→「香」を総当たり的に探そうとしたとき、プレイヤーはどのようなプロセスを経るのでしょうか。つまり「総当たり的に探す」とは、具体的にはどのような行為によって行われるのか。

なおここでプロセスを考えるのは、あくまでも「総当たり的に探す」という行為であり「総当たり」それ単体ではないことを断っておきます。総当たりといっても何を目的として行われるかでプロセスは微妙に変化すると考えているためです。たとえば既読率を100%にするための総当たりと、要経由コマンドと必須コマンドを探して行われる総当たりは、そのプロセスが異なるでしょう。

さて、どのような行為によって…といっても、何も難しいことはありません。「総当たり的に探す」のプロセスはせいぜい「選択をえらんでみる」→「他のを選んでみる」以下、見つかるまで繰り返し…程度のものでしょう。もちろん厳密に言えば「ボタンを押す」とかも含まれますが、そのレベルの細かさは本記事には関係ないため無視しましょう。

「総当たり的に探す」とはこの「選ぶ」→「他のを選ぶ」というプロセスの連なりであり、これをそのときの目的を達成するまで繰り返す行為です。このときのポイントは、プレイヤーがこれ以上えらんでも意味がないと判断した選択肢および絶対にここにはないだろうと予想される選択肢は「選ぶ」の対象から除外されることです。目的は特定の何かを見つけることであるため、同じものを何度も選んだり、どう考えてもありそうにないコマンドを選ぶ意味はないからです。

さて『消えた』の場面③における要経由コマンド探しもこのようなプロセスにより行われるいうことを踏まえると、ちょっと見え方が変わってきます。

私は「要経由コマンド探し総当たりするのがつまらない」と言っていますが、そもそもの話「総当たり的に探す」という行為は、いつ始まっているのでしょうか?

『笑み男』のワンシーン

「総当たり的に探す」は「選ぶ」→「他のを選ぶ」というプロセスの連なりであり、これを目的のものが見つかるまで繰り返す行為だと言いました。ですが『消えた』と『笑み男』は「総当たり的に探す」云々に関係なく、最初から最後までずっと「選ぶ」→「他のを選ぶ」という行為を繰り返すゲームです。他にできることがありません。しかもゲームを進行させる方法がその選択にしかない…つまり必須コマンドと要経由コマンドを選ぶ以外にゲームを進める方法がないので、「総当たり的に探す」のプロセスはゲーム全体を通して常に繰り返され続けていると言えるでしょう。

では「総当たり的に探す」の始まりは、いったいどこにあるというのか。

私の考えを言えば、そんなものは存在しません。なぜなら『消えた』と『笑み男』を遊ぶ限り、プレイヤーはつねに「総当たり的に探す」のプロセスを繰り返しているからです。強いて言うならば、ゲームが始まって最初の選択をしたその瞬間に「総当たり的に探す」が始まり、あとはそれがずっと続きます。

…というのはちょっと言い過ぎかもしれません。ずっと続くと言っても、合間に切れ目はあります。ある場面で必須コマンドと要経由コマンドを見つけゲームが進行したなら、その場面での「総当たり的に探す」はいったん終わります。次の場面に入った瞬間にまたすぐに始まります。そこが「総当たり的に探す」の始まりだとも言えるでしょう。

ですが確かに言えるのは、ある場面内の途中において「総当たり的に探す」が始まる瞬間は存在しないということです。なぜならファミコン探偵俱楽部のシステム上、その場面に入った時点で既にプレイヤーは「総当たり的に探す」のプロセスの内側にいるからです。いつ始まるかではなく、おまえは既に始まっているのです。

もちろん、プレイヤーが「総当たり的に探す」を意識しているかは別です。しかしそもそも『消えた』も『笑み男』も常に選択を繰り返し、その中で要経由コマンドと必須コマンドを選ばないと先に進めないゲームですから、行為のレベルでの「探す」3はずっと続けていると言えるでしょう。

そして前述の通り「総当たり的に探す」は、プレイヤーがこれ以上えらんでも意味がないと判断した選択および絶対にここにはないだろうと予想される選択は「選ぶ」の対象から除外されるという特徴を持っています。ふつう、いちど見た場所や絶対にないと思っている場所は「探す」の対象から外れるでしょう。ならば「総当たり的に探す」に至るそれまでの過程でえらんだ選択に関しては「既に探してある」という状態の選択になっています。「探す」を意識していたわけではないのに、なぜ「既に探してある」だなんて選択が存在し得るのでしょうか。それはプレイヤーの意識と関係なく、行為のレベルでは常に探しているからです。だからこそ意識の中での「探す」がはじまった時点で「既に探してある」選択肢が存在するのです。

場面③において問題になるのは、慣習から導かれづらい要経由コマンド「見る・調べる」→「香」の存在だと主張しました。これが見つからないとき、プレイヤーは「総当たり的に探す」をすることになり、それが面白くない。しかし「総当たり的に探す」を意識したその時点で既に選んでいる選択肢は、「総当たり的に探す」の対象となる選択から除外されている。そしてファミコン探偵俱楽部はコマンド選択のみで進行するゲームですから、「総当たり的に探す」を意識しようがしまいが選択を常に行っているはずで、それを意識した瞬間にいくつかの選択肢は「既に探してある」です。

だから場面の途中に総当たりが始まる瞬間は存在しない。あらゆる選択が既に総当たりで、しかしプレイヤーが意識していないという意味では総当たりではないのです。要経由と必須コマンドがいつ見つかるかはわかりません。しかしいつ見つかろうとも、それは常に「総当たり的に探す」のプロセスの内側にあり、外に出ることはゲームの仕組み上ぜったいに有り得ません。

ここで最初の問いに戻りましょう。では『消えた』と『笑み男』の差は一体どこにあるのでしょうか。

はじめは総当たりの有無がそうだと考えました。しかし総当たりはどちらもやっているということが分かりました。『消えた』も『笑み男』も、ずっと「総当たりに探す」を繰り返すからです。

ならば、その差は総当たりの内側にあると考えられないでしょうか。つまり「総当たり的に探す」の中に「ここを越えるとつまらなくなる」という基準点のようなものがあり、『消えた』はそれを越えているからつまらない。そして『笑み男』は越えていない。これこそが両作の差の原因ではないでしょうか。

ではその基準点とはどこにあり、いつプレイヤーはそれを越えてしまうのでしょうか?

その答えは『笑み男』や『消えた』のコマンドが、要経由コマンドや必須コマンドに至るまでの間に、どのような順番で選択されるのかを考えることで明らかになるでしょう。

興味のあるコマンドから、興味のないコマンドへ。

私たちはコマンド選択ADVにおけるある場面で選択をするとき、どのような順番で選択してくのでしょうか。その順番を明らかにし、ではどの順番に差し掛かったタイミングでつまなくなるのかを考えれば、「総当たり的に探す」の面白い/面白くないをわける基準点を知ることができそうです。

『消えた』の場面①~③を見ながら、これに関する私の考えを解説します。

以下の3枚のスクリーンショットは、上でも一度だした『消えた』における連続する3場面からのものです。厳密に言うと各場面において動詞コマンド「聞く」を選択し、目的語コマンドウィンドウを展開した状態のスクリーンショットです↓

この3場面のコマンドが、それぞれかなり数、同じものが被っていることは一度説明しました↓

これを踏まえて、では場面③において、プレイヤーはどのような順番でコマンドを選択していくと予想できるでしょうか?

…といっても、これを全プレイヤーが納得する形で予想するのは難しいでしょう。順番など個々のプレイヤーがどのようなプレイスタイルでいるかや何を目的とするかによっていくらでも変わるからです。なのでここでの予想は、あくまでも「私ならこうする」という程度の根拠しかありません。その程度のものとして読んでください。

まず最初に選択される可能性が高い選択は何であるかを考えてみます。

私の考えにもとづけば、場面③においてまず最初に選択される可能性が高いのは、シンプルにプレイヤーが興味のある選択です。例えば「聞く」→「アリバイ」がそうでしょう。『消えた』は殺人事件を捜査するゲームですから、聞き込みでアリバイをたずねるのは基本中の基本ですし、プレイヤー自身もシンプルに目の前のキャラクターのアリバイが気になるのではと思います。そういう選択は興味を引き、だから早い段階で選ばれるでしょう。

また『消えた』は聞き込みによって情報を集めて殺人事件を捜査するゲームですから「聞く」内の他のコマンドも優先度が高いと思います。何か思わぬ情報が聞けるかもしれません。その中でも「アリバイ」が筆頭で、他は今聞き込みをしているキャラクターに関わりの深い選択も同じく優先度が高くなるでしょう。

一方で、選択される確率が低いのは明らかに関係ないコマンドがそうだと思っています。例えば上でも例示しました「見る・調べる」→「カーテン」などがそうです。

こういうどう見ても関係ないコマンドは、選択の優先度がかなり低いはずです。そのため要経由コマンドや必須コマンドがどうしても見つからないときになってようやく選択の対象になるのではないでしょうか。

この順番を考えるときは、同じコマンドの複数回の選択もあり得ることを考慮に入れておかねばならないでしょう。『消えた』も『笑み男』も同じコマンドを2回選択すると反応が変わるシーンが多々あるからです。そのため一度選択したからといって候補から除外されるわけではありません。よって「見る・調べる」→「カーテン」よりも「聞く」→「アリバイ(2回目)」の方が優先度が高くなると思います。

上記の考えから、プレイヤーはまず最初に興味のあるコマンドを潰すように選択し、その後は興味はないけれどゲームの進行に関係あるかもしれないコマンド、最後に興味もないしゲームの進行にも関係なさそうなコマンド…と、このような順番で選択肢に当たっていくのではないかと思います。

つまりプレイヤーが選択する順は以下のようになるのではないでしょうか。

プレイヤーがコマンドを選択する順番(の予想)

1.興味のあるコマンド群
2.興味はないけどゲームの進行に関係ありそうなコマンド群
3.興味ないしゲームの進行にも関係なさそうなコマンド群

おおむね1~3の順番で選択していく。

もちろん、1~3はそれぞれがはっきり分かれているわけではなく、それぞれにグラデーションがあります。例えばメチャクチャ興味のあるコマンドもあれば、興味が無いとは言えない…くらいのコマンドもあるでしょう。また当然ですが完全に順番通りになることは少ないでしょう。例えば興味あるコマンドのすぐ隣に全く興味のないコマンドがあったりした場合、ついでだからと選択しておくようなことがあるはずです。あくまでも大体の順番だととらえてください。

既に述べた通り『消えた』でも『笑み男』でも、「選ぶ」→「別のを選ぶ」のプロセスを要経由コマンドと必須コマンドが見つかるまで繰り返します。いつかは見つかって次のシーンに移動するでしょうが、移動できない限りこのプロセスはずっと続きます。その選択の順番は無作為に決定されるわけではなく、おおむね上記の順番に沿うと考えています。つまりプレイヤーにとっての次の選択候補となる範囲はプロセスを繰り返すたびに徐々に広がり、やがて「興味ないしゲームの進行にも関係なさそうなコマンド」へとたどり着くでしょう。

こうして次なる選択候補の範囲を1→3へと徐々に広げながら、「選ぶ」→「別のを選ぶ」を繰り返す…この一連の流れが「総当たり的に探す」です。

さて、このような「総当たり的に探す」の一連の流れ…そのどこかに総当たりがつまらなくなる基準点みたいなものがあるのではないか、という話でした。

ではその基準点を、上で示したプレイヤーの選択の順番(の予想)の中から探してみましょう。このどこかにあるはずです。もう一度、順番(の予想)を見てます↓

プレイヤーがコマンドを選択する順番(の予想)

1.興味のあるコマンド群
2.興味はないけどゲームの進行に関係ありそうなコマンド群
3.興味ないしゲームの進行にも関係なさそうなコマンド群

2かそれより下です。

私が考える「総当たり的に探す」がつまらなくなる基準点。つまり『消えた』は越えていて『笑み男』はそうではない点。両作のプレイフィールの違いを決定的なものにしているその原因は「総当たり的に探す」が2かそれより下まで及んでしまっているか否か。

つまり要経由コマンドと必須コマンドが2かそれより下の領域に入る選択内にあるかどうか。これが『笑み男』と『消えた』の差の原因に他なりません。

その選択は自己源泉的か、非自己源泉的か

コマンド選択ADVにおいてプレイヤーはまず「興味のあるコマンド」から選びはじめ、プロセスを繰り返すうちに選択の候補が拡大していき、やがては「興味ないしゲームの進行にも関係なさそうなコマンド」へとたどりつきます。

この「興味のあるコマンド」のことを、これ以降「自己源泉コマンド」と呼ぶことにします。逆に興味のないコマンドは「非自己源泉コマンド」と呼びましょう。

なぜこんな言い方をするのかというと、興味のあるコマンドとは、ゲーム的に必要だからとかそういう理由でなく、純粋にプレイヤー自身を源泉にする興味によってえらばれるからです。選択する理由の源泉が自己であるという意味で「自己源泉コマンド」としました。逆に興味のないコマンドを選ぶときは、プレイヤー自身がそのコマンドを選びたいと思っているわけではありません。でもゲームの進行に必要かもしれないから選んでいる。その意味で自己を源泉としていないため「非自己源泉コマンド」としました。

もちろんこれは二分されるものではなく「ちょっと自己源泉コマンド」や「どっちかっていうと非自己源泉コマンド」などが存在します。

更にもう一つ、プレイヤーがゲームの進行に必要であると感じるであろうコマンドを「高い進行可能性コマンド」と、そしてそうでないコマンドを「低い進行可能性コマンド」と呼ぶことにしましょう。

整理すると↓のようになります。

自己源泉コマンド興味のあるコマンド
非自己源泉コマンド興味がないコマンド
高い進行可能性コマンドゲームの進行に関係ありそうだと予想されるコマンド
低い進行可能性コマンドゲームの進行に関係なさそうだと予想されるコマンド

また進行可能性と自己源泉性はそれぞれ独立した要素で、かつどのようなコマンドも2つ両方をあわせ持っています。例えば、実際には「自己源泉かつ高い進行可能性コマンド」だとか「非自己源泉かつ低い進行可能性コマンド」などが存在します。どちらか片方だけと持つコマンドは『消えた』と『笑み男』の仕組み上、決してあり得ません。

このとき注意点として挙げておきたいのは、自己源泉性と進行可能性の正の相関は必ずしも見られないということです。

例えば以下のスクリーンショットは『EVE rebirth terror』というゲームのワンシーンです。

EVE rebirth terrorより

本作も『笑み男』や『消えた』に近いシステムを持つコマンド選択アドベンチャーゲームです。そしてスクリーンショットを見れば分かる通り、このシーンでは動詞コマンド「脱ぐ」を選択できます。

本シーンは日常の一幕です。そして背景ビジュアルを見ればわかるとおり、日中のオフィス街です。ですから「脱ぐ」必要は全くないシーンです。ならば当然「脱ぐ」は低い(というか皆無)進行可能性コマンドですが、しかしたいていのプレイヤーにとって「脱ぐ」は自己源泉コマンドであるでしょう。この例から分かるように、自己源泉性と進行可能性に正の相関があるとは限りません。

さてこの自己源泉だの進行可能性だのは、上で示した選択の順番(の予想)内で書いた「興味のあるコマンド」だとかを格好よく書き換えただけです↓

プレイヤーがコマンドを選択する順番(の予想)を格好よく書き換えると…

1.自己源泉コマンド群
2.非自己源泉かつ高い進行可能性コマンド群
3.非自己源泉かつ低い進行可能性コマンド群

おおむね、1~3の順番で選択していく。

いちいち「興味のあるコマンド」だとか「ゲームの進行には関係ないけど興味はあるコマンド」とかだと長ったらしいので、ちょっと格好よくしてみました。

この自己源泉/非自己源泉コマンドや高い/低い進行可能性コマンドは、単にコマンドをプレイヤーのモチベーションなどに基づいて分類するだけでなく、そのコマンドが良いものかそうでないものかを判定する際に重要な基準になる…と考えています。

なぜなら、しぜんに考えれば自己源泉コマンドを選ぶことは面白くて、非自己源泉コマンドを選ぶことはつまらないと言えるからです。

自己源泉コマンドは前述の通り、プレイヤーが興味のあるコマンドという意味です。それは例示した「脱ぐ」のようなお遊び系のコマンドかもしれませんし「聞く」→「アリバイ」のような重要そうな情報が手に入るコマンドかもしれません。どんな反応があるのか…だとか、重要な情報が得られるかも…という期待が、プレイヤーの自己源泉性を高めるでしょう。

そういう自己源泉コマンドは、シンプルにプレイヤーが自らの意思で興味をもって選ぶことができますから、そこには好奇心が満たしにいくような楽しみがあるはずです。だからそれを選ぶこと自体にポジティブな感情があるといえる。

非自己源泉コマンドは逆です。非自己源泉コマンドに楽しみはありません。例示した「見る・調べる」→「カーテン」などは正にそうでしょう。カーテンなど調べたところで大した情報があるわけもなし、そんなコマンドを選ぶことにプレイヤーが楽しみを覚えることはふつう無いと思います。だからこそ選択の順番(の予想)でも下の方に位置しています。

もちろん、非自己源泉コマンドとて選択して見たら面白い結果が返ってくることは十分あり得ます。ただそれは選択した上での結果の話ですから、選ぶ前の自己源泉性が低いことは変わりません。

なのでプレイヤーとしてはなるべく非自己源泉コマンドは選びたくないわけですが、しかし『消えた』も『笑み男』も必須コマンドと要経由コマンドを見つけないことにはゲームが進みません。そのコマンドはいま選択できるコマンドのどこかに必ずあり、既に選択し終えたコマンドの中にはない。そのため自己源泉コマンドを選び終えてもまだゲームが進行しないのであれば、非自己源泉コマンドを選択候補に入れるしかなくなります。

さて私は上で「総当たり的に探す」がつまらなくなる瞬間は、表の2かそれより下にあると言いました。ではなぜ、そんなことが言えるのでしょうか。

なぜといっても、ここまでくると難しいことを考える必要はありません。

2かそれより下に入るとつまらなくなってしまう理由は、シンプルに選ぶこと自体に面白味がない選択非自己源泉かつ低い進行可能性コマンドを選ぶ領域へと入っていってしまうからです。

「総当たり的に探す」が非自己源泉コマンドの領域におよんだとき、プレイヤーは自己の興味を源泉としない、しかしゲームを進めるためにやるしかない選択を強制させられることになる。そのような体験が良いものであるはずがありません。特にこれが表の3「非自己源泉かつ低い進行可能性コマンド」に及んでしまったときは最悪です。プレイヤーは興味ないしゲームに関係あるとも思えないコマンドの中を、当て所なくさまようことになるのですから。

そして『消えた』は必須コマンドと要経由コマンドが、2かそれより下である非自己源泉コマンドの中に入ってしまっているシーンがとても多い作品です。そのためプレイヤーはたびたび、つまらない選択を強いられる。一方で『笑み男』はなるべく自己源泉コマンド内に収まるよう作られてる。

これこそが2作の差の原因です。

じっさいに両作をプレイしてみると『笑み男』は常にプレイヤーの「総当たり的に探す」の範囲が非自己源泉になってしまわないようコントロールしています。

その簡単な例は、例えば上で一度例示した場面④でも見られます↓

このスクリーンショットは場面④にて、3つめの要経由コマンドである「考える」を選択した時にでてくるテキストです。主人公が独白内で、いま目の前の人物に何を尋ねるべきかを示唆しています。これはつまり「聞く」にてそれを尋ねれば何らかの情報が得られるだろうというゲーム側からのメッセージでもあると言える。そしてプレイヤーは事件解決のための新たな情報には興味を持つでしょう。つまり次のコマンドへの自己源泉性が高まる。

すると「聞く」内に「学校の事」が出現する…というのは、上でも書いた通りです↓

プレイヤーは直前のテキストから、学校の事に興味を持っています。それに呼応するように新コマンド「学校の事」が出現する。とうぜん「学校の事」は要経由コマンドです。プレイヤーはこれを自己源泉コマンドとして選択し、好奇心を満たす楽しみを覚えつつゲームを進行させることができます。

迷ったとしてもヒントコマンドの機能を持つ「考える」を選択すれば、当たりをつけて「総当たり的に探す」ことができます。必須および要経由コマンドが非自己源泉コマンド内に入ってしまう場合であっても、「考える」がその時間を短くします。そして最悪の事態である非自己源泉コマンド内を延々と彷徨う事態を防止しています。

「考える」で出るヒントメッセージ。どこに要経由もしくは必須コマンドがあるかを伝える。

一方の『消えた』は、例示した場面③の「見る・調べる」→「香」が、非自己源泉寄りで、かつ低い進行可能性寄りのコマンドであると言えるでしょう。この人物から話を聞くことはともかく、人物自体の様子を「見る・調べる」ことには自己源泉性も進行可能性も感じづらいと思います。もし要経由コマンドが「見る・調べる」→「カーテン」だった場合は最悪です。表の3に入ってしまう。さすがにこのシーンもそこには至っていません。

座っている女性が「香」です。ちなみに完璧なアリバイがあり容疑者ではない。

と言っても、もちろん『笑み男』にも非自己源泉コマンドを選ばなくてはいけないシーンは存在します。そして『消えた』にも自己源泉コマンドを上手くつないでくれるシーンが存在します。ですからこれはあくまでも傾向の話です。また既読スキップ機能などもありますから、実際に非自己源泉コマンドをえらぶ時間はそれほど長大なわけではありません。しかしそれでも、非自己源泉コマンドをえらぶときに伴うネガティブな感情は消えるわけではない。そのようなものが積み重なり、両作のプレイフィールに大きな違いをもたらしている。

最初に出した問い「『笑み男』と『消えた』の差はどこにあるのか」。その答えはいかになります。

『笑み男』は必須コマンドと要経由コマンドが自己源泉コマンドの中にあるシーンが多く、『消えた』は非自己源泉コマンドに及んでいるシーンが多い。自己源泉コマンドは好奇心を満たしにいく楽しみがあるが、非自己源泉コマンドにはそのような楽しみがなく、ゲームを進行させるために選ぶことを強いられるネガティブな感情が伴う。以上の事が『笑み男』のプレイフィールは良くて『消えた』は良くないという差を生み出している。

【終わりに】ゲームと私が重なる瞬間へ

コマンド選択ADVにおいてコマンドを選択するとは即ち、ビデオゲームの中でプレイヤーが行動することです。何かを「見る・調べる」だとか、特定の場所に「移動する」だとか、あるいは「脱ぐ」だとか。そのような行動の全てがコマンド選択によって行われます。

そしてそれらのコマンドが自己源泉コマンドであるか非自己源泉コマンドであるかの違いは、そのコマンド選択を通して実行されるゲーム内行動が、プレイヤー自身の「やりたい」という気持ちに重なっているかどうかの違いと同一であると言えるかもしれません(でも脱ぎたいプレイヤーはいないか…)。

非自己源泉コマンドをえらぶとき、プレイヤーにとってはそれは「やりたくない」のですが、ゲームを進行させるためにはやるしかない。その意味でプレイヤーの欲求とゲームが求める行為にズレがあり、この瞬間につまらなさを感じるのではないでしょうか。それはやりたくない行為をゲームを進行させるためにやっている瞬間だからです。ならば自己源泉コマンドをえらぶときは、プレイヤーの「やりたい」という気持ちとゲーム内の行為が重なっている…正にその瞬間であると言えるでしょう。

その行動が、私の「やりたい」という気持ちにもとづいたとき。それはゲームと私が重なる瞬間です。そのとき私はコマンド選択ADVを「面白い」と感じているのかもしれません。

もちろん、その瞬間は「やりたくない」な行為をあえてやらせることが後々の楽しみに繋がるケースも多くあるはずです。ではそれはどのような場合か…それを調べる必要はあるでしょうが、ひとまずここで本記事は終わりにします。

なお最後に、まとめて本記事の注意点を列挙しておきます。

まず本記事の内容ですが、厳密な論理に基づいているフリをしていますが、実際はところどころで私の想像や大きな飛躍に基づいています。そのような点は本文中でも自虐的に書いてきたつもりですが、他にもまだあるはずです。

また本記事はジャンル論などではなく、あくまでも『消えた』と『笑み男』を比べてみたら見えてきたものです。これ以上に本記事の内容を拡大する場合、適切な変形が必要になるでしょう。もちろんかなり抽象的なことを書いている部分もあるため、一切の拡大ができないとは思いませんが、野放図に広げられるものでもないと思っています。

本記事では『笑み男』と『消えた』の差の原因を、これまで書いてきた内容であると断じていますが、普通に考えれば他にもあるに決まってます。本記事で私が考えたのはあくまでも一端です。

そして最後に、散々『消えた』は良くない『笑み男』は良い…と言ってきましたが、この差は開発スタッフらの仕事が良い/悪いというよりは、単純なゲームの製作方針の違いによって生まれていると考えていることをここで強調しておきます。冒頭にも述べましたが『消えた』は30年以上前のゲームです。今とはコマンド選択アドベンチャーを取り巻く環境もノウハウも、プレイヤーが求める体験もハードにできる表現も、何もかも違う時代に生まれたゲームです。そのうえでの私の予想ですが、『消えた』のころのコマンド選択アドベンチャーゲームは、いくつものコマンドの中から正解のコマンドを探すこと自体を、面倒なものではなく遊びとして捉えていたのではないでしょうか。そうだとするならば非自己源泉コマンド内に必須コマンドと要経由コマンドが埋め込まれているのも当然と言えば当然で、そこから長い時を経てゲームに求められるもの、そして表現の幅が大きく変化した結果『笑み男』が生まれた…そのように考えるのが妥当ではないかと思っています。そのため本記事は『消えた』を批判するつもりは一切ありません。…なんて言っても本文の内容からすれば批判しているようにしか見えないでしょうが、それは私の力不足というものです。だいたい批判もなにも、30年前のゲームと今のゲームを比べたら今のゲーム方が良いのは当たり前です。

以上になります。……ここまで全部読んだ人…いますか?

  1. 未プレイの方のためにファミコン探偵俱楽部シリーズ各タイトルの関係を簡潔に書きいておきます。ファミコンで発売された『ファミコン探偵俱楽部 消えた後継者』を皮切りに展開されているシリーズで、この続編として『ファミコン探偵俱楽部 うしろに立つ少女』が同じくファミコンで発売されています。その後は番外編やスーパーファミコンでのリメイクなどあったのですが、長らく新作は無し。しかし2021年に両作がSwitch専用タイトルとしてリメイクされました。ただ変更点は一部に遊びやすさ向上などされた以外はほぼそのままで、主にビジュアルやサウンドなどが一新されました。そして2024年に完全新作としては35年ぶりに『ファミコン探偵俱楽部 笑み男』が発売された…という流れです ↩︎
  2. 線上性という言葉は本来は言語学などで使われる言葉のようですが、本記事内では独自の意味で使っており、関連は特にありません。 ↩︎
  3. ここでは行為のみの「探す」と、意識が伴った「探す」を同一のものとしています。これは現実世界で行われる「探す」を言う場合は問題になりますが、少なくとも本記事の文脈で言うなら特に問題はないと考えています。現実世界では意識を伴わない「探す」は探したことにならない…意識を伴っていない状態では探しているものの存在を知覚できないことが多いため…ですが、ことファミコン探偵俱楽部の必須および要経由コマンド探しにおいては、意識が伴おうが伴うまいが、コマンドを選択した時点で「探す」が達成されるからです。たとえ意識が伴っていなかったとしても、見落とすことがありえません。 ↩︎
タイトルとURLをコピーしました